Under the moonlight
 
『ねぇ、あたしと契約≠オてくれない?』
 
そういって、彼女は、にっこりと笑った。……身体を、小刻みに震わせながら。
 
あの瞬間に。
俺の全ては、目の前の女性に囚われたのである……。
 
 
 
 
 
いつもの部屋で、いつものように。
塚田浩二は、ソファーに腰掛けながら、恋人の弾くピアノの調べを聴いていた。
流れるような指先。小刻みに踏まれる、足元のペダル。あまりこういうことに詳しくない浩二でも、彼女がかなりの腕前であることは察せられた。
それもそのはず。彼女は、ピアノの教師なのだ。……もっというならば、幼き頃はコンクールなどでも優勝し、ピアニストを目指していたという。
だが、不注意で階段から転げ落ち、左手首を粉砕骨折した。もちろん、手術をし、完治はした。普通に生活する分には問題はなくなったが、ピアニストとしての道は絶たれてしまった、という。
 
『でもね……今では、たくさんの子供達に囲まれながらピアノを弾く楽しさ
 を教えることができて……あたし、幸せよ。それに、浩二にも逢えたしね』
 
そういって、はにかんだように微笑む彼女を、本当に愛しい、と思う。
7歳年上の、大切な、大切な、自分だけの恋人……。
 
 
「今日の曲は、なんていう曲?」
 
そう問うと、彼女は……高原里奈は、浩二の方を見ながら口を開いた。
……指の動きは、少しの間も止めぬまま。
 
「ドビュッシーの『月の光』よ。今日にぴったりの曲でしょう?」
 
……そう、今宵は満月。薄暗い部屋を、淡い月の光りが差し込んで、なんともいえぬ幻想的な雰囲気を作り出していた。
里奈がピアノを弾く時は、いつも、極力明かりを落としている。なんでも、その方が心の中に曲のイメージが湧きやすいのだという。そんなものかな、と思うが、そのテのことに興味がない浩二には、よくわからない感覚だった。
 
「激しい曲も好きだけど……どちらかというと、こういう
 ゆったりした曲の方が好きなのよね」
 
うっとりとした表情で、里奈は語る。
本当に、ピアノを弾くことが好きなんだな、と思う。
けれど。
ちょっとだけ、ピアノに嫉妬してしまう自分は、やはり子供なのだろうか?
このような表情、浩二に対して、滅多に見せてくれない。年上、ということを気にして、
いつも、気を張っているように見受けられる。唯一、全てを委ねてくれるのは、ベッドの
中だけだ。
そのことが、悔しい。
年の差は、決して縮まらない。まだ未成年だから、経済力すらない。
もどかしいが、それが現実だ。
浩二は、静かに立ち上がった。そして、里奈の指が最後の一音を弾き、鍵盤から離れた刹那、後ろから抱き締めた。
 
「……ち、ちょっと、浩二!?」
「黙って……少し、このままでいて……」
 
浩二の声の真剣さに驚いたのか。
里奈は、身体を硬直したまま、微動だにしなかった。
 
幾度も、肌を合わせた。
浩二の行為に、里奈は素直に応えてくれる。
でも。
浩二にとっても、里奈がはじめて≠フ女性で。
本当に満足してもらっているかわからない。
 
たしかに、最初のきっかけはとんでもなかったけれど。
今の自分には、彼女しか見えない。
好きで、好きで、たまらない。
たから、不安になる。苦しくなる。
……自分がもっと大人だったら、里奈の全てを受け止められるのではないか、と。 
 
その想いのまま、浩二はさらにきつく里奈を抱き締める。
そのまま、首筋にくちづけた。
 
「……ぁ」
 
唇から漏れる吐息。女≠感じさせる。
身体の中から、里奈を求める衝動が高まっていった。
 
「里奈さん……」
 
椅子を引き、ピアノと彼女との間に空間をつくる。そして、跪き、里奈の腰のあたりに
抱きついた。
 
「……浩二」
 
困ったような里奈の声。それでも、しなやかな指先が、浩二の髪に触れた。
 
「俺のこと、好き?」
 
見上げながらそう訊くと、里奈の頬に朱が散った。幾度か瞬きをした後、
唇を舐める。
そして、ひとつ嘆息してから、口を開いた。
 
「……好きよ。大好き。浩二こそ、あたしのこと……好き?」
 
こんなに年上の女なのに?
淋しそうな言葉に、首を振った。そのまま、彼女を抱き上げ、ベッドへと運ぶ。
ゆっくりシーツの上に下ろし、覆い被さった。
 
「いますぐ、里奈さんを抱きたいくらい……好きだよ」
 
いって、くちづけを届ける。
角度を変えて、強弱をつけて。
緩く開かれる唇……するり、と舌を滑り込ませた。
奪い合うように絡める。濡れた音が響くほどに。
十分に堪能してから唇を離すと、里奈の瞳が潤んでいた。たまらない、というように、
かすかな声を漏らしている。
 
「……いい?」
 
そう問うと、里奈は目を見開き……次の刹那。
こくん、と頷いた。
 
「で、でも、シャワーを浴びないと」
 
起き上がろうとする彼女を、腕で制した。
 
「起きないで……そのままでいて」
 
え? と目を丸くする彼女にかまわず、そのまま抱き上げた。
 
「このまま、一緒に……ね」
「ンもう……えっちっ」
 
ほんのりと、目元を染める。
こうしている時の彼女は、本当に可愛らしい。年上の女性とは思えぬくらいに。
 
 
 ……悩むのはよそう。
 
 
静かに、思う。
たしかに、自分はまだ未成年で、なんの力もない。
けれど。
きっと、世界の誰よりも、里奈のことを愛している。
このことだけは、誰にも負けない。その自信がある。
だから……。
 
「これからも、ずっと、俺の傍にいて」
 
いって、もう一度くちづける。
 
「馬鹿ね……浩二が嫌だって言ったって、離れてあげないから、って
 言ったでしょう?」
 
瞳を細めながら、里奈は告げた。
 
「大好きよ」
 
ことん、と。
里奈の頭が、浩二の胸に預けられる。
そんな彼女を、優しく抱き締めてから。
浩二は、バスルームへと続く扉を開けたのである……。
 
 
 
 
 
月明かりの差し込むバスルームで。
呆れるほどに、求め合う。
 
言葉で、態度で、自分の想いを伝えよう。
これから先も、一緒に歩いていく為に……。
 
 
『Under the moonlight』 END
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