Time to say good-bye
うす曇の中、青山墓地に綾人と美咲の姿があった。
二人が立つ足元には、白い大理石で出来た墓石が儚く光り輝いていた。

綾人がフランスに静養に行く前に挨拶がしたいという、美咲とその母の薫の申し入れがあり、今日はこうして亡き人の眠る場所へとやって来たのだ。美咲の父の一馬と母の薫とは、後で合流する事になっていた。

グレーのワンピースに白のレースのボレロを羽織った美咲が、白と青の花達で作られた大きめの花束を抱え込んだまましゃがみ込む。
首元には、金色の十字架が光っている。

「はじめまして。私、真山美咲と言います。よろしくお願いします。」

そう言って、二つの墓石の間に静かに花束を供える。
美咲の挨拶に答えるかのように、一陣の風が優しく美咲の頬を撫でていった。

「そして、ありがとう。お兄さんに会わせてくれて。」

美咲は、墓石に刻まれている樹里の名を、そっと撫でる。
冷たい石のはずなのに、指先に伝わってくるものは、暖かだった。

「やっぱ、そうなのかな・・・。」

そう呟いた人を、美咲は振り返り、見上げる。
青のジーンズにフード付きの黒のジップアップシャツを着た綾人が、腕を組み苦笑いをしていた。伸びた髪が、そよ風になびいている。

「そうよ。色んな場面で、樹里ちゃんが私達を助けてくれたんだと思う。樹里ちゃんの想いが無ければこうやって一緒には居られなかったと思う。」
「・・・・そうか・・・・。」

感慨深気に綾人が呟いた時、美咲のバックの中で、マナーモードになっていた携帯が震えた。急いでバックから取り出し、画面を確認すると、父の一馬からだった。

「もしもし。・・・・あ、着いたんだ。じゃあ、迎えに行くよ。・・・・うん。じゃあね。」

美咲は、電話を切るとバックの中に放り込み、

「じゃあ、私、お父さん達を迎えに行って来るね。」

と言いながら立ち上がる。

「俺が行くよ。」
「大丈夫!信裄さんから貰った地図があるから!!」

歩みだそうとする綾人より早く、美咲は両親を迎えに走り出していた。
少し高さのあるサンダルで走っていく姿を、

(よく、あのかかとで走れるよなぁ)

と感心しつつ綾人は見送った。
愛しい彼女の姿が視界から消えた綾人は、墓石に向き直る。
そこには、白のワンピースに身を包んだ樹里が立っていた。
ジーンズのポケットに両手を突っ込み、呆れ顔の綾人は、自分と同じ顔の妹に向かって

「おせっかい・・・。」

と呟いた。
目の前の妹は、思いっきり右目の下を手で引っ張り、赤い舌を出し、兄に向かい
“あっかんべーーー”をしている。
姿だけは大人になった妹の変わらない仕種に、綾人の顔が綻ぶ。

「・・・・・ありがとう・・・・・。」

綾人の感謝の言葉に、小さく微笑むと、樹里は周りの景色に溶け込んで行った。
妹を見送った綾人は静かに目を閉じる。そして、胸一杯に空気を吸い込み、それを吐き出すと同時に歌を歌い出した。
それは、妹が大好きだった歌。
彼女がこの世から消えさり、色んなものと決別したあの日から、歌う事も、ピアノで奏でる事も、聞く事も無かった歌。
それを、綾人は何年振りかに歌う。
ありったけの感謝の気持ちを込めて・・・・。

暖かな声が周りに溶け込んでいく。その歌声に、樹里が耳を傾けているような感じがした。


歌い終わった綾人は、そっと目を開ける。
そして、父の墓石に視線を移す。

「父さん。今まで心配をかけて、すみませんでした。でも、もう大丈夫です。
これからは、母さんだけを見てあげて下さい。・・・僕は大丈夫・・・。」

綾人は、父に向かい新たに歌を歌いだした。
彼の決意を乗せて歌いだした歌は「Time to say good-bye」。揺るがない自信を乗せ、力強い歌声が辺りに広がっていく。

綾人が歌に込めた想い。それは、今までの自分に別れを告げ、新しい人生を歩む事。
彼女と二人で・・・・。

綾人は、両手を広げ、空を見上げ、堂々と歌い上げる。
それは、彼の揺ぎ無い自信の現われだった。

綾人の想いと歌が、天(そら)へと昇華される・・・・。


歌い終わった綾人が両手を下ろし、深呼吸をして息を整えた時、盛大な拍手が沸き起こった。振り返ると、真山親子が上気した顔で、力いっぱい手を叩いている。
綾人の顔が赤く染まる。
彼は、誰も居ないから歌ったのだ。人が居ると分かっていれば歌わなかった。
そして、一つの事に集中すると周りが見えなくなる自分の癖がこの時ほど嫌になった事はない。

「いつの間に・・・・。」

顔を赤くし、口を手で覆い隠した綾人が、小さく呟く。

「実は僕達、信裄君に途中まで案内されて来てたんだよ。それでね、いいものが見れるから美咲だけ呼び出せって言われてね〜〜。いや、本当にいいものを見させてもらったよ!」

嬉しそうに話す一馬が更に拍手を贈る。
真相を聞かされても綾人はちっとも嬉しくなかった。更に落ち込む。

(信裄〜〜〜・・・・・・・・。)

一瞬、彼の頭の中を意味深な笑みを浮べる秘書の顔が浮んだ。
綾人が幼い時から世話をしている信裄の方が、常に綾人より一枚も二枚も上手だった。
そんな落ち込む綾人の手が軽く引っ張られる。
見ると、美咲が綾人の手を両手で包み込み、上目遣いで彼を覗き込んでいた。

「・・・・なんだよ・・・・・。」
「歌って。」
「やだ。」
「歌って。」
「い・や。」
「どうして?・・・けち〜〜・・・。」
「ケチでもなんでもいいよ。俺は、ちゃんとしたレッスンをあんまり受けてないから、人前では歌いたくないんだよ・・・。下手なんだから・・・・。」

はぁ〜〜〜・・・と盛大なため息をつきながら、綾人はうな垂れてしまった。
これを見た一馬と薫は同時に

(本当にいいものが見れてる・・・。照れたり落ち込んだりしてる彼なんて滅多に見れない・・・。)

と思い、仕掛けた信裄に感謝した。
信裄が此処まで計算していたかどうかは、彼のみが知るところだが・・・。

「え〜〜〜。何処が下手なの?すっごく上手だったよ。ね、お母さん?」

美咲は、援護射撃を頼むかのように、クラシックに詳しい母に賛同を得ようとする。

「ええ!お母様譲りのとっても綺麗な声だったわ。」

薫は、少女の様に目を輝かせ、娘の援護射撃を行う。美咲だけではなく、薫も、もう一度聞きたいのだ。綾人は、自分の歌は下手だと思い込んでいるが、このクラシックに五月蝿い薫を魅了しているのだ。それなりに上手いのだ。

「ほら!お母さんも、ああ言ってるし!」
「薫さんにも悪いけど、駄目なものは駄目。ピアノだったらいくらでも聞かせるけど、歌は絶対駄目!」
「え〜〜〜〜・・・・・。」

美咲の眉が垂れ下がる。
懇願する眼差しは、慎一あたりなら、一発で落ちていたであろう攻撃だが、頑固な綾人には効かなかった。

「そんな目をしても駄目。」
「綾人君の意地悪。」
「ケチでも、意地悪でも結構。嫌なものは嫌。駄目なものは駄目。」

上目遣いで見上げる美咲に負けじと、綾人は拒否の眼差しをおくる。
美咲も負けない。
変な見詰め合いを続ける二人を黙って見ていた一馬が薫に小声で話しかけてきた。

「なあ、薫。」
「なんです?」
「どっちが勝つか賭けないか?」
「・・・・賭けにならないでしょう・・・・。」
「やっぱり?」
「当然でしょう。だって・・・・。」

意味ありげな笑みを薫は夫に向ける。それを一馬も口の端を上げ、受け止める。
夫婦歴ウン十年の二人が賭けにならない賭けをしている間も、若い二人は睨み(?)あっていた。
でも、それにも終わりがやってくる。

美咲が綾人の視線から目をそらし、軽く口を尖らせる。

「・・・・・・いいよ。お夕飯食べた後、お父さんたちと一緒に帰るから・・・。」
「うっ・・・・。」

これは、流石に効いたらしい・・。綾人の目があからさまに困惑に泳いでいる。
それを横目で美咲は、チラッと見ると、心の中でガッツポーズをとった。
綾人は、「う〜〜〜」と唸り声を上げながら散々迷った挙句・・・

「わかった・・・一曲だけだぞ・・・。」

と、美咲の願いを聞き入れた。
美咲の機嫌が直り、一気に嬉しそうに顔が綻ぶ。

「うん!ありがとう!!」

美咲は、綾人の腕を目一杯抱きしめる。本来なら嬉しい仕種であるのだが、これから歌を歌うと思うと素直に喜べない綾人だった・・・。本当に、彼は、家族以外の人間の前で歌うのは恥を晒すようなものなのだ。

「で、何を歌うの?」
「さっきの歌!・・・題名知らないの・・・。」
「”Time to say good-bye”だよ。」
「覚えた!だから、早く歌って!」

急かし、期待の眼差しを向ける美咲の頭を、軽く叩いて、腹を括った綾人は静かに歌い出した。

澄んだ歌声が観客三人を包み込む。
その心地よい響きを楽しみながら、薫が口を開く。

「だって、女に勝てる男なんて居ないわよ。」
「そうでした。」

一馬と薫は楽しそうに微笑み合い、美咲は、歌う姿もさまになる綾人に見とれていた。

少し頬を赤らめたまま、綾人は歌い続ける。

綾人の歌に導かれたかの様に、雲の隙間から太陽が顔を覗かせる。
そして、新たな人生を歩みだした綾人と美咲を祝福する様に照らし出していた。





『Time to say good-bye』 END
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