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a preliminary skirmish 〜 恋の前哨戦 〜 |
「いらっしゃ・・・い・・・ま・・せ・・・・。」
レンタルショップの女性店員は、新たな客にいつもどおりの元気な挨拶をしようとした。したのだが、言葉がしりすぼんでしまう。
形状記憶のように顔の筋肉組織に覚えこまれ、何時いかなる時でも、客に対して向ける営業スマイルがこの時ばかりは鳴りをひそめる。変わりに彼女の顔を彩るのは、目が飛び出さんばかりの驚愕。
それは、その客を出迎えた彼女だけではなく、その場に居た数人の客も同じだった。中には手に取ったCDを落とした者もいた。それさえ気がつかないほど、ただ一人の人物にその場に居合わせた全員が釘付けになっている。
・・・・いや、店の前を通りかかった者達も立ち止まり、自動ドア越しに店内を覗いている。その中の女子高生など、友人同士手を取り、悲鳴に近い金切り声を上げて興奮している。
それは、片思いの人に偶然出逢ったかのような、はたまた、憧れの有名人にでも出逢ったかのような興奮具合であった。
“有名人”・・・あながち間違っていないかもしれない。その人物の格好は、とても一般人の格好ではなかった。この日本では、大概の人が見上げる事になる長身に、線の細い輪郭。シャープな形のサングラスを掛け、黒のロングコート(腰や左肩にシルバーの細いチェーン付き)を羽織り、皮パンと底の厚い革靴を履いている。しかも、中のシャツは目も冴えるような紅い色をしている。
どこをどう見ても、ロケ中の有名人かモデル、もしくはロックシンガーのようないでたちであった。だが、この店内にいる人物の方がそんな個性的な服装を自然に着こなしていた。その人物が醸し出す雰囲気に、服の方が逆に飲み込まれている感じがする。
周りを驚愕と興奮の渦に巻き込んでいる人物は、そんなことはお構いなしにサングラスを掛けたまま店内を悠然と見渡している。
一通り見渡した後、小首を傾げたその人は、自分を呆けて見ている店員に視線を移す。
「ねぇ。ここでバイトしている真山美咲に用があるんだけど、何処にいるのかな?」
その雰囲気にマッチした、透き通る低音に話しかけられた女性店員は、体が電気ショックでも受けたかのように痺れ、更に昂揚する。
「ま・・真山さんなら、バイトの時間は終わってるので、スタッフルームかと・・・。」
いつもの様に接客しているつもりが、声がかなり上ずっていた。
しかし、そんな事は気にせず、自分の事を見ているであろう、サングラスの向こうにある瞳を頬を赤らめ見つめ返す。
「そう。・・悪いんだけど、呼んで来てもらえるかな?」
「あ・・案内しますので、良かったら、どうぞ!!」
口元が緩んだだけの笑顔に、完全にノックアウトされた店員は、関係者以外立ち入り禁止のスタッフルームへの案内を自然に買って出ていた。
「そう?ありがとう。」
柔らかな声に、更に緩む口元。
もう、店員は昇天しそうだった。・・・客の中には、腰砕けになっている者がいた・・・。
「ど・・・どうぞ!こちらへ!!」
先ほど以上に上ずった声で、店員はその人を案内する。
ぎくしゃくした店員とは対照に、彼は悠然と後に続く。店員の方が小さくなり、客(?)が威風堂々としてるという奇妙な二人連れが、レジカウンターの前を通った時、本来なら、見ず知らずの人物を奥に通す事をとがめなければならない同僚の男性二人は、自分の仕事の手を止め、黙って見送ってしまった。
「いいな〜・・・。」
案内役の女性店員を羨むような台詞を吐きながら・・・・。
その頃、美咲は、店の内外を騒がすような人物が自分を訪ねてきている事も知らず、休憩中の店長と、バイト仲間の女性の三人で、椅子に座り話しに花を咲かせていた。
「いや、本当に、綺麗になったよね。真山さん。」
店長が小さく頷きながら、美咲を感慨深げに見つめる。
それに、女性も目を輝かせ賛同する。
「ですよね!最近、とみに綺麗になったって皆で噂してたんですよ〜〜。梶さんも心配でバイトどころじゃないだろうね〜〜って。」
「ううっ・・・やめてくださいよ・・・・。私、綺麗じゃないですぅ・・・・。」
自分の容姿に自信が無い美咲は、二人の賞賛に身を丸めて俯いてしまう。
綾人の横に立つと自分に華やかさが無い事を思い知らされる。ショーウィンドーに映る自分達を見るたびに、恥ずかしくなる。こじんまりとして華やかさに欠ける自分は、綾人とは釣り合わない。もう少し背があれば、もっと美人であれば、もっとスタイルがよければ・・・そういう事ばかり考えてしまう。
彼にとっては、この世で一番美しく、貴き花である事も知らないで・・・。
「また、そんな謙遜を〜〜〜。」
「失礼します!」
美咲を話しのネタにしていた女性と、上ずった声が重なった。
声がしたスタッフルームの入り口を三人一斉に振り返ると、そこには、かちんこちんに固まったバイト仲間が立っていた。
何をそんなに緊張しているのか分からない三人は、頭上にクエスチョンマークを飛び散らせる。
「ま・・真山さんに、お・・お客様です。」
その言葉に美咲は首をかしげ、店長は部外者を奥まで連れてきた事を注意しようとした。が、開いた口はそのままに、女性と入れ替わるように入り口に現れた人物に釘付けになった。一緒に話をしていた女性も瞬き一つせず固まっている。
そんな中、美咲だけが、その人物に駆け寄っていた。
「綾人君!!」
その声に、室内で呆けていた店長と女性も我に返る。そして、「あ・・知り合いなの・・・」と白い頭で思った。
そう思うことだけで精一杯といった方がいい。
「どうして、ここにいるの!?」
信じられないものでも見るような目つきの美咲に、綾人は、何も語らずコートの袖を捲ると、手首に巻かれている腕時計を彼女の目の前に出す。そして、人差し指で、時計の表面を軽く叩く。
美咲の視線がそれに集中する。
「え?」
時計の長針と短針が指す時間を認識した美咲の目が丸くなる。そして、音が聞こえそうな程の勢いで室内の壁掛け時計を見る。綾人の時計と指し示す時が違う。もう一度、綾人の時計を見る。また、振り返る。・・・室内の時計の時は、先ほどと全く変わらない時を示している。
「やだ!!!あの時計、止まってる!!!!」
美咲の声に店長が振り返り、壁掛け時計を見る。じっと見る。
・・・・確かにピクリとも動いていない。
「あれぇ・・・。ここに入った時は動いていたんだがなぁ・・・。」
そう言いつつ、椅子を持ち、時計のある壁へと店長は向かう。「時々、遅れてはいたんだよな・・・」などとブチブチ呟きながら。
「ごめんね!すっごく待たせたよね・・・。」
美咲は、綾人に謝りながら休憩用のテーブルの上に置いていた自分の荷物を取る。
「30分くらいかな・・・。」
「携帯に電話してくれればよかったのに・・。」
「・・・・携帯を出してごらん・・・・。」
呆れたような物言いの綾人に首を傾げながら、美咲は、言われるままにトートバックの中から携帯電話を取り出した。
「やだ!!」
取り出した携帯は、画面が真っ黒だった。慌てて電源ボタンを押すが、待ち受け画面は一向に映し出されない。何度押しても駄目だった。バイトに入った時、マナーモードにした。その時、電池マークは満タンだった。電池切れではない。
「ここのところ調子悪かっただろう?とうとう壊れたんだな。」
「うそ〜〜〜〜・・・・・。」
美咲の眉と両肩が同時に垂れ下がる。ついでに、気分も・・・。
今日は、「時」に関する壊れ物ばかりだった。
昨夜、長年愛用していた腕時計が止まり、バイトの前に修理に持ち込んだのだが、買いなおした方が早いと言われた。修理代が馬鹿にならないらしい。
愛着があったので、しょんぼりしていたら、みかねた店の人が「これだけ長いこと大事に使ってもらえて、時計も本望さ。」と励ましてくれた。でも、美咲の心は少しも晴れなかった。
その時計は、自分と綾人の今までの時を見つめ、刻んできた物だったのだ。
辛い時も、嬉しい時も、どんな場面でも一緒だった。なんだか相棒を失った気分だった。
そして、壁掛け時計に携帯電話。
何か自分はしたのかと思いたくなるくらい、気分が暗くなる。
美咲は、盛大なため息をついた。
「今日のデートは、携帯を買うことが先だな。あと・・・。」
綾人が、うな垂れている美咲の左手を取る。
長袖シャツの袖から、いつもある腕時計がない手首がのぞく。
「腕時計も。その時計に新しい思い出を刻めばいい。」
顔を上げた美咲は、目も飛び出さんばかりに驚きの表情をしていた。
それを見た綾人は小さく笑う。
「ふっ・・。どうして分かったか不思議そうだな。」
美咲は、コクコクと小刻みに頷いた。彼女は、腕時計が壊れた事も、それが自分にとってとても大切な意味を持つ物だとも一度たりて彼には話していない。
それを悟られて、驚かないわけが無い。
「俺を見くびるなよ。伊達や酔狂でお前の彼氏なんてやってない。それくらいわからないでどうする。」
美咲は、顔が一気に赤くなり、側のバイト仲間の女性二人は腰が砕け、役立たずになった時計を外していた店長は「もちょっと俺が若ければ、使わせてもらったのに・・。」と心の中で悔しがっていた。
サングラス越しに熱い視線を送る綾人から逃れるように、美咲は話題を元に戻す。
「あ・・・で・・・でも、バイト代出たら自分で買うから・・・・。」
「何を遠慮してるんだ?別に高いものじゃないんだし。甘えとけ。それに、待たされたり、連絡取れないで心配するのは、今日だけで十分だよ。」
口元を綻ばせる綾人に「貴方の高くないは十分高いの!!」と言ってやりたかったが、彼にとっては本当に高くないのだ。それが、一般的には「高級」と言われるものでも・・・・。この金銭感覚の差だけは、一生埋まる事はないのだろうと、美咲は常々感じていた。
かすみあたりなら、「有り余ってるんだからジャンジャン使っちゃえ!買って貰え!!」となるのだが、目の前で一生手にする事はないであろう物を気軽に買われると、気を使うとか彼に悪いとかよりも、恐くなるのだ。何がどうという説明ができない恐怖があった。この感覚は、一人、華やかな世界に足を踏み入れた美咲にしか分からない感覚であろう。
そして、忘れてはいけない感覚である事もわかっていた。
綾人は、目の前で思案顔な美咲が、何を考えているが手に取るように分かる。
彼女らしいと思った。でしゃばらず、着飾らず、欲張らない彼女。
こういう変わらない謙虚さも綾人の男心をくすぐる。
綾人は、美咲の肩を抱き、そっと自分に抱き寄せた。
「そんなことより、そろそろ行こうか?俺は一分一秒でも早く、美咲を独り占めしたいんだけど。」
甘い愛の囁きに、美咲の体温は急上昇し、顔だけでなく体中を赤く染め、バイト仲間の女性二人は、興奮しすぎて眩暈を起していた。店長は、本当に悔しそうに「若ければ!!」と心の中で地団駄を踏んでいた。
「お騒がせしました。」
綾人は、美咲の肩を抱いたままで三人に会釈し、魅惑の営業スマイルを振りまいて、その場を立ち去った。
その後ろ姿に
『また、お越しくださ〜〜〜〜〜〜〜〜いvvv』
と言う黄色い声が二つ、投げかけられていた。その声に、明日、自分が質問攻めにあう事を美咲は覚悟した・・・。
そんな頃、梶慎一がバイト先であるレンタルショップにやってきた。
一歩踏み入れた店内の異様な昂揚感に眉をひそめる。
まるで、ロックシンガーのライブ後のような風景だった。
「何があったんだ?」
一人ごつ慎一の目に、奥からやってくるこの場の雰囲気を作り出した原因が、
彼の最愛の女性(ひと)を伴ってくるのが飛び込んできた。
恋の戦闘モードにスイッチが入る。
悠然と歩み寄ってきたライバルは、慎一の目の前で立ち止まると
「お久しぶり。お元気でしたか?」
と、にこやかに挨拶をしてきた。
愛想笑いが、慎一には余裕の笑みに見える。悔しさに歯軋りしそうになる自分を抑えて、自分も余裕を見せる。
「ああ。さっきまですこぶる元気だったんだけど、たった今、急に気分が悪くなったよ。」
満面の作り笑いを顔に張り付ける。少々引き攣っていたが・・・。
「それは大変ですね。お体、お大事に。」
「お気遣いありがとう。」
言葉は穏やかだが、張り付いた笑顔と出すオーラが痛い程黒かった・・・。
恋のライバル同士の直接対決に、店内が、違う昂揚を見せ始めた。客も店員も、興味津々、ハラハラドキドキといった感じで、固唾を呑んで見守っている。
そんな中、奪い合われている美咲は、男二人の異様な光景にどうしていいのか分からず、二人の顔を交互に見ながらオロオロしていた。
「如月君は仕事が忙しそうだね。なかなか会えなくて真山さんが寂しがってたよ。」
「埋め合わせはしています。」
「仕事ばかりにかまけてると、彼女に愛想つかされちゃうよ。もしくは、横から掠め取られるかもね。」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。そんなちゃちな愛し方はしてませんし。それに・・・。」
綾人が、サングラスを少し下にずらす。
「害虫は、早い所駆除しますから。害虫駆除は、職業柄得意ですから。」
ずらされたサングラスの隙間から覘くオッドアイが、「害虫は貴様」だと語っていた。しかも犯罪者と同レベルにされている。
慎一のこめかみに青筋が立ち、ひくついている。
相手を最高潮に怒らせた綾人は、何事も無かったかのようにサングラスを元に戻す。口元には、穏やかな笑みを湛えたまま・・・。
「ああ、すみません。お仕事の邪魔でしたね。じゃあ、僕達はこれで。
行こうか?美咲。」
綾人は、美咲には本気で穏やかな笑顔を向ける。
その笑みと言葉で、一応、今日のところは終わったのだと思った美咲は、内心ほっとする。
「う・・・うん。・・・お先に失礼します。梶さん。」
にこやかに可愛らしい笑みを自分に向けてくれる美咲に、慎一は、今までの嫌な事を記憶の底へと葬り去った。ついでに、彼女の隣にいる男も視界の外に葬り去った。なんとなく敗北感が残るが、美咲の笑顔が見れただけでも幸せだった。その幸福感だけで残りの一日をやっていける。・・・・はずだった。
慎一の横を通り過ぎる時、綾人が彼の耳元に何かを囁いていった。
それは、慎一の幸せをぶち壊し、彼を怒りの炎で焼き尽くすには十分だった。
計り知れない怒りで、慎一の体が小刻みに震えだす。
この猛りを、いけ好かないあの野郎にぶちかまそうと彼が振り向いた時には、
相手は店の外だった。しかも、振り向きもせず、手を振っている。
かなりの余裕を見せ付けられる結果となってしまった・・・。
「あんにゃろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
地を這うような声を絞り出す慎一の肩を軽く叩く者がいた。振り向くと、バイトの仲間の男性だった。彼はとっても同情的な眼差しを慎一におくっている。
彼だけではない、店内の雰囲気が自分に同情的になっている。
嫌な予感がする。
「梶さんの悔しい気持ちはよ〜〜くわかります。でも、諦めも肝心ですよ。
あの彼相手に勝とうなんて無理っすよ。」
慎一の右の眉が軽く動く。
不機嫌さが更に増す。
慰めるように肩を叩く男に、何かを言い返そうとしたとき、別のバイト仲間の男性が割って入ってきた。
「ばか!ああいうライバルを倒してこそ、ナンボだろ!!ようは心よ、心!!!
頑張ってください、梶さん!!俺は変わらず、応援しますから!!!」
握りこぶしを作り力説する彼を、思わず抱きしめたくなった。
一人でも味方がいる。その事に、勇気が沸いて来る。
「ありがとう!君の声援に答える為にも、俺、頑張ってあいつの毒牙から彼女を
救い出すよ!!」
「梶さん!!」
だいぶ昔に流行ったスポコンドラマの先輩と後輩のように抱き合う二人。
夕日に染まる海岸が見えてきそうな勢いだ。
「ひっど〜〜〜い。毒牙なんてあんまりじゃないですか!!」
盛り上がる二人を現実に引き戻す女性の声。腰に手を当て、慎一を睨みつける女性が二人居た。店の奥で、綾人のあま〜〜〜い攻撃にやられていた二人である。
「彼、本当に真山さんの事が好きなんですよ!!彼女しか見てないんですから!!!もう、彼女にだったら何でもしてやりたいっていうのが、こっちにまで伝わってきて・・・。」
女性は手を組みうっとりとした表情で天井を仰ぎ見る。
どうも、先ほどの綾人と美咲のやり取りを思い出しているようだ。妙な笑い声が零れ出ている。
「真山さんだって、彼にぞっこんですよ!『一分一秒でも早く、一人占めしたいんだけど』とかなんとか言われちゃったら、彼しか見えませんって!!私なら、「好きにして!!」って体をなげだしちゃいますよ!!最近の彼女の綺麗さが納得できましたよ!!あんなに愛し、愛されちゃえば、そら綺麗になりますよ!!!!いや〜〜〜〜〜ん!!!!!」
もう一人の女性も、興奮しすぎて倒れるのではないかというくらい興奮して、
あの二人を熱く語る。
「そんな事を恥ずかしげもなく言えるって言うのは、相当女慣れしている証拠だぞ!」
慎一の反論も、興奮しきっている女性二人には聞こえていない。
女性二人は、お互いに手を取り合うと
「私達も」
「あんな素敵な彼氏が」
『ほっし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!』
と、絶叫していた。
その絶叫に、女性客全員が深く深く頷いた。
これを見た慎一は、女性達(店員&客)が皆綾人にやられていることに気がついた。しかも、目の前で陶酔している店員二人は、昨日まで率先して自分を応援していた。その二人がいとも簡単に落ちている。
自分の旗色が悪い事がヒシヒシと伝わってくる。
自分がせっせと培ってきたものを、一回の、しかもほんの数分で壊されたことに、
新たな怒りが込み上げてくる。両の握りこぶしを白くなるほど握り締め
「如月〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!ニ度とくるな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
と吠えていた。
その隣で、この日の唯一の味方である男性が、慎一の代わりに涙していた・・・。
この日、この時を境に、「頑張れ!梶さん!!」一色だったバイト仲間達が、
梶推奨派とモデル彼氏派に別れた事はいうまでもない・・・・。
こうして、真山美咲を巡る男達の戦いの火蓋が、切って落とされたのだった。
<<その後のお二人はというと・・・。>>
綾人が運転する高級スポーツカー(もちろん外車)は、一路銀座にある英所有の百貨店へと向かっていた。車に乗り込む前に、「携帯電話と女性用腕時計を何点か用意しておいて欲しい」という連絡も入れている。店のVIP専用フロアに腰を落ち着けた瞬間、品物が二人の目の前に並ぶはずだ。
「ねぇ、その格好どうしたの?綾人君のじゃないでしょう?」
車に乗ってからずっと不思議そうな視線を綾人に送っていた美咲が、頃合を見計らい問いかける。
「これは、瑤子さん所の新作。待ち合わせ場所に行く前に、瑤子さんの会社に寄ったんだよ。で、これから美咲と出かけるって言ったら、無理矢理着替えさせられた。」
「そういうこと・・・。」
美咲は、逃げる綾人を、「デートならもっと気合をいれないさい!!」とか言いつつ
部下を使い手際よく着替えさせる瑤子が想像でき、噴き出しそうになった。
「デートだから」というのは口実で、綾人を着飾りたいというのが本音であることを
美咲は知っていた。初めて会った瑤子に、「私の生きがいは、綾人の魅力をどう引き出すかなのよ!」と力説されていた。何度か、綾人のマンションに服を届け(綾人の服は、ほとんどが瑤子のチョイス)に来た瑤子に、「これ、撮影で一回しか着てないのよ。あんたに似合うと思うのよ?着てみない?」とモデルの服を着せようとしているのを目撃した事もあった。
「もう、俺で着せかえして遊ぶのやめてほしいよな・・・・。」
右手でギアチェンジをしながら、ため息混じりに綾人はそう呟くが、何だかんだ文句を言いつつも最後には瑤子が持参した服を着ていた。春麗といい、瑤子といい、自分を可愛がってくれる女性に強く出れない綾人が、美咲は失礼ながらも可愛らしく感じた。
「でも、さすが瑤子さんだと思うの。今日の服装も綾人君にピッタリ!すっごく格好いいよ。」
「ありがとう。」
こういう事をさらっと受け取り、それが嫌味にならないあたり、「綾人君だな〜〜」と感心してしまう。恋人に妙な感心をされている綾人は、ギアをニュートラに入れ、サイドブレーキをかける。そして、センターのカーナビに目をやる。自分達がいる辺りの道路は真っ赤だった。
「渋滞か・・・あと少しなんだけどな・・・・。時間帯が時間帯だから仕方がないか・・・。」
綾人は、諦めたように、シートに身を沈め、首を軽く回す。
「ねぇ、ねぇ。綾人君。」
「なに?」
「こっち向いて。」
美咲に言われるがまま、彼女の方を向く。すると、彼女の手が顔に伸びてきて、彼のサングラスを掴む。そして、そのまま静かに抜き取られた。
サングラスを手に、美咲は、満足そうに微笑んでいる。
「うん。こっちの方がもっと格好いい。」
「・・・・・本当に、好きだな。俺のオッドアイ。」
「大好き!すっごく綺麗なんだもん!!」
とろけそうな笑顔を見せる美咲に対し、綾人は複雑そうな表情を浮べる。
愛しい彼女が、「大好き」だと「綺麗」だと言う瞳の色を綾人は、未だに好きになれていない。昔ほど、嫌いではなくなった。しかし、この瞳のせいで大切な者を亡くした過去は拭い去れない。まだ、鏡に映る己を直視出来ない時がある。いつかは乗り越えなければならないという事は分かっているのだが・・・・。
ご満悦な彼女の頬を一撫でし、綾人は、動き出した前の車に合わせ、自分達の車を発進させた。
その後も、ちょっと進んでは止まり、ちょっと進んでは止まりを繰り返した。
もう何度目か分からない停車をした時、
「ねぇ・・・やっぱりお金、出すよ。」
と美咲が言ってきた。
(まだ気にしてたのか・・・。)
と心の中で苦笑いしつつ、表面は平然とした顔つきで、神妙な顔つきの美咲の頭に軽く手を乗せる。
「いいよ。」
「でも・・・。私のだし・・・。少しくらいは・・・。」
「俺が買ってあげたいんだから、いいんだってば。」
「でも、綾人君が働いて得たお金じゃない・・・。自分の為に使いなよ・・・。」
「俺にとっては、美咲の為に使う事が有意義なんだけど。それに、『彼女にしてあげたい』っていう男心も察してよ。」
「う・・・・う〜〜〜〜ん・・・・。」
美咲は、納得いかないといった表情をする。このままだと「やっぱりお金払う!」と言って聞かなくなりそうな気がする。彼女が一度決めるとテコでも譲らない事を知っている綾人は何とか気を逸らす方法がないか考える。
で、閃いた。
「じゃあさ、御礼に美咲からキスしてよ。ここで。」
「うん。・・・・・・・・・・・えーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
一瞬の間の後、車中に美咲の叫び声が充満した。耳を塞ぎたくなるくらい大きな声にも関わらず、綾人は、にこにこと目を細め笑っている。綾人がこういう表情を見せるときには何か裏があると分かりつつも、この笑顔にも弱い美咲は従ってしまう。
「私からキスするの?」
「そう。美咲からキスしてくれないじゃないか。だから、してくれると嬉しいな。」
「ここで?」
「そう。キスのお礼に俺が携帯と時計を買うの。どう?」
「う〜〜〜・・・・。」
悩みながらも
(自分からなんて、恥ずかしいけど、綾人君がそれでいいなら・・・・。)
と美咲は思った。何となく、丸め込まれているような気もしたが、目の前で大好きなオッドアイで穏やかに微笑まれては逆らえない。昼間の様に明るくはないとはいえ、人工の明かりが車を照らし出している。顔は見えなくとも、シルエットで何をしているのかくらいは分かる。
(軽くさっとキスをすればいいのよ。)
そう思い、意を決する。
頬をうっすらとピンク色に染めた美咲の顔が綾人にちょっとづつ近づいていく。
ほんの少しの距離が、美咲には、とてつもなく長く感じる。そして、自分からキスをするという行為が、恥ずかしくて、恥ずかしくて仕方がない。
恥ずかしさに、微かに震える唇が、綾人の薄い唇に触れた。
一仕事終えたと思った美咲が離れようとした時、彼女の後頭部が強く固定され
互いの唇が強く重なった。綾人が、美咲の唇が離れるより早く彼女の後頭部に手を回したのだ。
「ふ・・・う・・・。」
僅かな隙間から器用に、綾人の舌が美咲の口内へと侵入してくる。
車中とはいえ、外だ。誰に見られるか分からない。これ以上は勘弁して欲しかった。でも、彼は解放してくれない。侵入を拒む為に出した舌を逆に絡め取られてしまった。こうなったら綾人の思うが侭である。思う存分、彼女の口内を味わいつくす。
綾人が薄目を開けると、頬を恥ずかしさに赤らめながらも必死に綾人に答えようとしている美咲の姿があった。それを見た綾人の目の奥に、怪しい光が灯ったが、直ぐにそれを彼は隠してしまう。
横目で車の流れを確認すると、数台前が動き出していた。
名残惜しいが、これまでだ。楽しみは、後で・・・・。
「ごちそうさま。」
そう言って、美咲の唇を解放すると、何事も無かったかのように、ギアを入れ、
サイドブレーキを落とし、静かに車を走らせる。
解放された美咲は、俯き、火照った体をシートに沈めた。
美咲は、顔が、体が火照ってしょうがなかった。はじめは恥ずかしくて仕方がなかったキスも綾人が唇を離した時、名残惜しかった。離れていく唇が、悲しかった。
もっと彼と触れ合っていたかった。
自分の唇にそっと触れてみる。
まるで水を含んだ後のように、濡れていた。でも、それは、水ではない。
それは・・・・。
(やだ・・・・・。)
自分の唇を濡らすものの正体を認識した美咲の体が、更に火照りだす。
目的地までは、もう目と鼻の先だ。何とか、体を鎮めないといけない。
そう思えば思うほど、逆に体は火照りだす。
美咲は、自分の体を自分では制御不能にした張本人をのぞき見る。相変わらず、冷静な顔つきで冷静に運転している。
本来なら腹立たしい表情であったであろうが、窓から差し込む色とりどりの人工の光に照らし出された彼の横顔は、芸術家が手がけた造形物のように美しかった。
火照った体を持て余したまま、美咲は見とれてしまう。
そして、この火照りを治める方法が分かった。でも、それを自ら口にするのは、戸惑われた。恥ずかしいというのもあるが、彼に「はしたない」と思われることが恐かった。でも、この火照りをどうにかしてもらいたい。彼に・・・。
車が止まる。
車内には変わらず沈黙が流れている。
きまずいとか、不快であるという沈黙ではない。やけに熱っぽい沈黙だった。
この沈黙には罠がある。これに嵌れば容易には抜けられない。
・・・・・・違う。
とうの昔に罠に嵌っている。その罠から抜けようと思わない自分がいる。
美咲は、自ら罠へと進む。
「綾人君・・・・。」
「なに?」
「・・・・・もう、一回・・・・・。」
美咲の甘えた声に、正面を見据えたままの綾人の口の端が微かに上がる。
「いいよ。」
罠を仕掛けた人物の、甘く艶のある声に美咲が身震いする。
恐怖ではなく、甘い歓喜によって・・・。
振り向いた綾人の瞳は、怪しい熱を帯びていた。その奥には、欲望の炎が揺らめいて見える。
美咲が引き出した、彼女だけが見ることが出来る「男」の綾人。
そんな熱っぽい瞳に見つめられて正気でいられるわけが無い。
美咲の中から、ここが外だという事、誰かに見られかもしれないという事が綺麗さっぱり消え去ってしまった。
縋るような目つきの美咲に、熱く滾る綾人が近づいていく。
「何度でも。君のお気に召すままに・・・。」
どちらとも無く触れ合う唇。
戸惑う事無く、差し込まれ、絡み合う舌。
二人の交わりは、“貪りあう”という表現がしっくりくる。
それほど、二人はお互いを欲し、お互いを味わい尽くす。
酸素を求め、一旦離れるが、また、深く絡み合う。
二人の熱い夜は、こうして始まる・・・。
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『a preliminary skirmish 〜 恋の前哨戦 〜』
END
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