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風邪の功名 part2 |
「まいったな・・・。」
綾人は、自宅マンションの寝室で赤い顔をし、そう呟きつつ、外出着からパジャマに着替えている。2・3日まえから喉を痛め咳き込んでいたのが、今日になって熱が出たのだ。しかも本人はそれに気が付かず仕事をしており、ほんのり赤い彼の頬を春麗が気が付かなければ綾人は職場で倒れていたに違いない。
「平気だ」と言う綾人を春麗が無理矢理に医療部へ連れて行き、診察をしてもらったところ、39度の高熱で放っておいたら肺炎になるところだった。というわけで、即、処置室にて点滴。
点滴終了後、強制帰宅で今に至る。
綾人は、ベットに腰掛けたまま耳式体温計を覗く。
「38度か・・。少し、下がったな・・・。」
手にしている体温計をベットサイドにあるサイドテーブルに置き、ベットの中に潜り込む。そして、白い天井を見つめたまま考え事を始めた。
(ほんと、まいったな・・・。まだ、仕事が残ってるのに・・・・。報告書や資料の整理は、春麗とアリスに任せられるけど、明日の会議は外せないんだよな。でも、明日までに熱が下がるなんて無理だよなぁ。・・・熱なんて、何年ぶりだ?高校?いや、中学か?・・違う、樹里が生きてた時だから、小学生だ・・・。10年・・・ぶ・・・り・・。)
薬が効いてきた綾人は、考え事をしながら夢の住人となった。
夢の中、小さな幼い綾人は上下逆転している小さな部屋の中に居た。その光景を夢のせいか何の違和感もなく受け入れる。とりあえず近くの扉を開けてみると、同じ部屋が広がっている。その部屋に入り、また、扉を開ける。
でも、今度も同じ部屋だ。
それを何度か繰り返した後、後ろを振り返ると、今まで通ってきた四角い小さな部屋が螺旋状になって広がっている。それを見た綾人は、急速に恐怖に駆られ、それから逃れるように次々に扉を開け進むが、後ろにはその螺旋が長くなっていくだけであった。
でも、逃げずにはいられない。何処かに出口があると信じずにはいられない。
兎に角、目の前に現れる扉を開け続けた。
出られないかもしれないという恐怖と、何かに責めたてられている様な感覚に、息苦しくなってきた。
立ち止まる事が出来ない恐怖に、綾人は息を切らし、足がフラフラになりながらも扉を開け、次の部屋へと進む。同じ風景、でも、確実に長く伸びていく螺旋状の部屋たち。
永遠に続くのかという不安に駆られた。
この螺旋から自分は逃れられない。
出口はない。
そんな思いに満たされた綾人は、この出口の無い迷宮に迷い込んで初めて立ち止まり、色違いの瞳から涙を流し始めた。
「誰か・・・助けて・・・・。」
彼が、弱々しく呟いたとき、小さな部屋に別の扉が現れた。
新しい扉に(もしかしたら・・・)と期待したが、また、今までと同じ様な空間が広がっていたらと思うと、開けるのを躊躇ってしまう。
そんな彼を見かねたように優しい声が彼の背を押した。
「大丈夫よ。私が居るから・・・。」
何処かで聞いたことがある、とても安心できる声に勇気を得た綾人は、新しい扉のドアノブを廻し、開け放つ。
そこからは、目を開けていられないくらいの眩い光が差し込み、彼を意図も簡単に包み込んでしまった。
現実の成人した綾人が目を開けると、そこには、心配そうに自分の顔を覗き込んでいる美咲の顔があった。
「ごめん・・・。起こしちゃったかな・・・。」
小さく謝る、彼女に対して綾人は何も言わず、ほんのりと赤い顔をして、ぼ〜〜〜っとした目つきで彼女の顔を見続けている。男性に対して、こういう言い方は失礼かも知れないと思いつつも、美咲は妙に色っぽい綾人の視線にどうしていいか分からないながらも、見とれてしまう。
「・・・な・・何か飲む?汗かいて、喉が渇いたよね・・・。」
「・・・・・。」
また、綾人は何も答えない。
(こ・・・困ったな・・・・。)
目覚めてからずっと同じ視線を投げかけられ続けて、看病に来た美咲は何も出来ずに困ってしまう。でも、このままお互い見詰め合っていても病状は良くならないので、美咲は、飲み物を取りにキッチンへ向かう事にした。
そっと、ベットから離れようとした時、綾人が美咲の右手を取り引き止めた。
「なに?どうしたの?」
何か用があるのかと思い、綾人を覗き込むが、また、何も言われなかった。
が、今回は、彼自身が起き上がってきた。
「だ・ダメよ!寝てないと!!」
慌てて美咲が綾人の右肩に左手を置いた時だった。
綾人が美咲の胸に顔を埋め、小さな体を抱きしめてきた。
「え!?え!?・・・あ・綾人君???」
突然の事に、熱のある綾人以上に顔を赤らめて美咲はとまどってしまう。というより、いくら彼氏とはいえ、胸に顔を埋められるのは、はっきり言って恥ずかしい。
でも、病人を無理矢理引き剥がす事は出来ない・・・。
美咲があたふたしているのはお構いなしで、綾人は気持ち良さそうに抱きしめている。
「ね・・・ねぇ・・・・。」
美咲は、遠慮がちに綾人に話しかける。しかし、離してもらえそうに無い。
また、困ってしまう。
美咲が眉を八の字にして、どうしようかと思案している時、
「ここは、居心地がいいな・・・。」
と、初めて綾人が声を出した。
その言葉に、美咲の顔が発火しそうな勢いで更に赤みを増す。
「な・・・な・・・な・・・・。」
あまりの恥ずかしさに、心の声が言葉にならない。
そんな事はお構いなしに、綾人は腕に力を込める。
「ありがとう・・・。助けてくれて・・・・。」
美咲は、この言葉に恥ずかしさが吹き飛び、この部屋に入ってきたときの事を思い出した。
春麗から連絡を貰い、講義が終わったら直ぐに綾人のマンションに駆けつけた。
途中、必要と思われる食材等を買い込んで・・・。
食材を、相変わらずミネラルウォーターとアルコール飲料以外何も入っていない冷蔵庫にしまい、そっと綾人の寝室に入ると、息荒く夢にうなされている綾人がいた。駆け寄り、手を握り、起こすために彼の名を呼ぶが聞こえていないのか、目を覚ます気配がない。
何度も呼んでみるが、彼はうなされ続ける。
とにかく呼び続け、額から流れる汗をサイドテーブルに置いてあったハンドタオルで拭く。
汗は拭いても拭いても、次から次へと出てくる。
彼の苦痛に歪む顔も一向に治まらない。
美咲は、一人苦しむ綾人に、自分は汗を拭いてあげる事以外何もして上げられないのかと情けなくなり、泣きたくなってきた。
美咲が、潤んできた瞳を自分の手で拭った時、
「誰か・・・助けて・・・・。」
と、弱々しい綾人の声が聞こえた。その顔は今にも泣き出しそうで、思わず美咲は彼の頭を抱きしめてしまった。
「大丈夫よ。私が居るから・・・。」
気休めにもならないかもしれないが、そう言わずにはいられなかった。
でも、彼女のその言葉が効いたかのように、綾人の息遣いは落ち着きだした。
安心して彼から離れた時、綾人がゆっくりと目を開けたのだ。
美咲には夢の内容までは分からないが、彼が整理できたと言っても、未だに父親と妹の死が深い傷となっている事は確かだった。その事が、弱っている今、夢となって彼を苦しめたことは手に取るように分かる。
美咲は、自分を抱きしめて離さない綾人を優しく包み込む。
「大丈夫。私が、側にいるから。」
「うん。」
安心したかの様に無邪気に答える綾人に、美咲は不謹慎かと思いつつも「可愛い」と思わずに居られなかった。
(あれ?・・・そういえば、綾人君が甘えるのって初めてじゃない?・・・うわっ、どうしよう・・・。ものすごく嬉しいんだけど・・・。)
自分が綾人を支えている存在である事、彼にとってかけがえのない者であることなど知る由も無い美咲は、何でも自分で解決してしまう彼が甘えている現実に、(たまに、弱って・・・)と思わず願ってしまった。
そして、数時間後。
体のだるさとは裏腹に気分爽快で目が覚めた綾人は腕に重みを感じる。
薄明るい天井の照明から左腕に視線を移すと、気持ち良さそうに寝ている美咲がいた。
(?????)
目の前の現実に、頭が付いてこない。
可愛い彼女の寝顔を見つめたまま綾人はゆっくりと考えてみる。
たぶん、春麗か京あたりが美咲に連絡して看病に来させたのだろう。でも、なんで、自分の腕の中で眠っているのかが分からない・・・。
「まぁ・・いいや。」
綾人は、美咲の小さな体を抱き寄せて、また、そのまま眠りに落ちた。
何とも言えない満ち足りた気分の中で・・・。
その後。
キッチンのカウンターで夕食を食べながら、美咲から今日の自分の身に覚えのない行動を嬉しそうに聞かされた綾人は、熱とは別に顔が赤くなり、寝込みそうだった。美咲にとっては嬉しい事でも、綾人にとっては失態以外のなにものでもなかった。
またも、普段では見せない表情をする綾人に美咲は、
(か・・・可愛い!・・・本当に、また、弱ってくれないかなぁ・・・・。)
と願わずにはいられなかった。そして、
(これも怪我の功名?違う、風邪の功名ね。)
と、小さく笑う。
それを見た綾人は、赤い顔で
「笑うなよ!」
と諫めるが、いつもとは違い、全然迫力にかけるため、美咲は平然と且つ少々優位な気分で
「はい、は〜〜い。」
と笑いながら答えると、綾人の頬にキスをした。
なんだか拗ねる子供に母親が宥めるようにするキスを貰った感じがする綾人は、
(これからは、健康管理には気を使おう・・・。)
と、キスをされた頬に手をあて、健康管理に無頓着な自分をいつも叱る春麗に心の中で誓った。
しかし、病気というものは気を付けていてもなるもので、これからその度に寝ぼけた綾人に美咲は遭遇する事になる。
これは、誰も知らない彼女だけの特権。
甘甘な二人の、更に甘甘な、幸せな日常のひとこま・・・。
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『風邪の功名 part2』 END
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