Sacre nuit 〜聖なる一夜〜
12月24日。
la veille de Noel.

臨海地区にある、自然公園の中に名物の巨大クリスマス・ツリーがある。
電光色に彩られたツリーは暗闇の中にぼんやりと浮かび上がり、その幻想的な姿はクリスマス・イブの夜を盛り上げていた。
24日と25日は、このツリーの為に公園は朝方まで開けられている。
そして、このツリーは夜中にも関わらず、沢山の人に鑑賞されていた。

その中に周りの目を引く一組の男女がいた。
女性は、赤いカシミアのコートを羽織り、赤いハイヒールを履き、背筋が伸びた姿勢は元々背の高い彼女を更に高く感じさせる。腰まである茶色の巻き毛、青い瞳、白い肌は、何処から見ても外国人だった。
そして、連れの男性は、黒のトレンチコートを羽織り、黒い革手袋をはめ、隣の女性より更に背が高い。髪は日本人特有の黒髪だが、目がアイスブルーとエメラルドグリーンのオッドアイであった。
どちらかといえば外国人のように見える。
カップルにしては、年が離れているように見受けられる。

彼らの周りの人間は、ツリーよりも雑誌モデルのような二人に目を奪われ、感嘆の声を上げている。
そんな周りの視線を分かっていないのか、分かっていてあえて無視しているのか分からないが、彼らは自分達の世界で自分達の会話を繰り広げている。
フランス語で・・・。

『あら〜。噂どおり、綺麗なツリーねぇ〜〜。ねぇ?クリード?』
『・・・・・そうだね・・・。でも、なんで、公演の打ち上げを切り上げてまで、
 此処のツリーを見たいの?ツリーなんて何処にでもあるじゃないか・・・。
 しかも、本場から来ておいて・・・。』
『・・・感動の薄い子ね・・・。』
『母親に無理矢理連れて来られて、どうやって感動しろっていうの・・・・。』

オッドアイの彼・・・綾人がうんざりした顔で小さくため息をつき、その様子にムッとした母親のアリエノールが隣の息子を軽く睨みつける。

『日本は、なんでだか知らないけど、クリスマス・イブはカップルで過ごすって
 聞いて、一人身のあんたが悲し〜〜くしてると可哀相だから、付き合って
 あげてるのに。そういう温かな親心を冷たく拒否するもんじゃないわよ!』
『それを大きなお世話っていうんだよ。俺は、此処のところ、ちゃんと寝てないん
 だから、久しぶりの休暇くらい寝かせておいて欲しかったね。今日の母さんの
 公演に来たのだって奇跡に近いんだから・・・。』
『やな息子・・・。』
『褒めてくれてありがとう。』

父親譲りの綺麗な笑みを浮かべる綾人に、アリエノールは愛しい夫を思い出し、何も言えなくなってしまう。
そして、彼に見とれていた数人の女性は自分の彼氏そっちのけで気絶しそうに
なっていた。
ただ、綾人は若葉と違い、目の奥が本気で笑っていなかった。
綾人は、いつも、何にしても一歩ひき、冷めた目で物事を見つめていた。それが、高校を辞めてから特に酷くなって来ていた。何か投げやりな感じさえする時があり、それを心配したアリエノールは少しでも息子の側にいられるように12月から日本公演の仕事を請け負い、何かにつけて綾人と過ごす様にしていた。でも、彼の心の闇は親であるアリエノールでさえ、どうにもならない程酷くなっていた。
その事がもどかしくもあり、情けなくもあった。
だからと言って指を咥えて見ているわけにはいかない。綾人は、アリエノールにとっては唯一残された家族なのだから・・・。

無感動、無表情でツリーを見ている綾人にアリエノールが優しく話しかける。

『日本人スタッフの女の子が言ってたんだけど・・・。このツリーね、何の相談も
 しないで好きあった者同士が同じ願い事をすると叶うらしいわよ。』
『・・・自分で叶えられないような願い事なんて最初から願わなければいい・・・。
 夢は身の程を知って、それに見合ったものをみるべきだと思うけど。』

綾人は瞳だけを隣の母親にむける。
この発言に、アリエノールは盛大なため息をついた。彼女も、家族とは絶縁状態で一人でがむしゃらに生きていた時は、「まじない」や「占い」など不確かな物は信じず、自分の手で夢をもぎ取ろうとしていた。その姿が今の綾人と重なって
しまう。

『やだわ・・・。あんたって私の若い頃そっくり・・・。』
『嫌がられても、親子だからしょうがないじゃないか。』
『でもね、世の中にはどうやってもままならい事があるのよ。何かに縋らないと
 立っていられないくらい・・・。祈らずにはいられない事があるのよ。』
『知ってる。今までの俺の人生がそれだから。でも、だからって縋りたいとは
 思わない。縋ってもどうしようもないじゃないか。その中で、何とか生きていく
 しかないんだから。』
『クリード・・・・。』

息子の冷めた言葉と冷めた感情に、アリエノールは掛ける言葉を失ってしまう。
そして、新たに痛感する。息子の心の闇の深さと自分の至らなさを。
彼女は、綾人がこのようになってしまった事に責任を感じていた。彼が7歳の時、司法取引として特機に入隊したのを何とかして止めていれば、樹里が死ぬ事も、綾人が今の状態になる事もなかったと後悔しない日は無かった。
あの時は、それしか選択肢が無い様に思われたが、今になってみると、別の方法があったのではないかと思わずにはいられない。

『・・・で、一人身の母さんは何を願いに来たの?』

綾人は、先ほどとはうって変わって、諭すような優しい笑みを浮かべる。
母親の沈んだ顔を見て、ちょっと言い過ぎたと思ったのだ。
それを察したアリエノールも気を取り直す。

『失礼ね。貴方と違って、私は心の中に若葉がいるんですからね!それに、
 私達は相談しなくても同じ事を願うわよ!』

アリエノールは両手を腰にあて、自慢げに胸を張り、それを見た綾人は小さく
笑った。

『ほんと、あきれるくらい父さん一筋だね。』
『そうよ。若葉に出逢って「おまじない」の効力を身を持って知らされて、それと
 同時に彼に甘い魔法をかけられたままだもの。彼に肩を張らずに生きていく
 ことを教えてもらった。夢を見ることの大切さも。・・・若葉以上に素敵な男性を
 私は知らないわ。』

自信満々に答えるアリエノールの表情は、母親ではなく、一人の恋する女性で
あった。

『・・・こういうところも、母さん似か・・・・。』

相手が死した後も変わる事無くその人を愛し続ける母に、自ら離れた女性を、未だに想い続けている自分との共通点を見つけて苦笑いしてしまう。

『え?何か言った?』
『いいえ。何も。・・・・じゃあ、父さんと願い事をしててよ。俺は、車で寝て
 待ってるよ。』

右手を軽く挙げて、綾人は、母親とツリーに背を向け、さっさと駐車場へと歩んでいってしまった。その孤高の後姿をアリエノールは闇に紛れ込むまで見送った。
それは、今の綾人を現わしているようで胸が痛んだ。
アリエノールはツリーの頂上に輝く、星型のモニュメントを見上げる。

(ねぇ、若葉。貴方の願いも、あの子の幸せでしょう?誰かがあの子を
 救ってくれる事を願うでしょう?)

彼女の耳に「そうだよ。」と聞こえた気がした・・・。


薄暗がりの中、芝生の上をただひたすら歩いていた綾人は、ふと歩みを止め、何気に後ろを振り返った。
暗闇の中に、淡い光を湛えたツリーが遠くに見える。
その光景が、自分の闇の中で見つけた少女の面影と重なる。

(自分ではどうする事も出来ない願いか・・・・。)

そのまま、淡い光の塊を見続ける。
ほんの一瞬の時間を共に過ごした彼女。でも、あのツリーの輝きのように、目の奥に焼きついて離れない彼女の笑顔・・・。
忘れたくても忘れられない愛しい女性・・・。

(・・・・彼女が、幸せであるように。笑って過ごしているように。・・・ああ、でも、
 好きな者同士じゃないとダメなんだっけ・・・。)

綾人は小さく笑う。
そして、

「・・・美咲・・・。」

愛しい彼女の名前を、綾人は大切そうに愛しげに呼んだ。



(さて、そろそろ戻ろうかしら・・・。あまり長い時間待たせたままだと
 信裄が可哀相ね。)

綾人が立ち去った後、暫くじっとツリーを見ていたアリエノールがツリーを後にしようと踵を返し、一歩踏み出した瞬間・・・・人にぶつかった。
考え事をしていた彼女は、どうも、後ろで移動している人に気付かずに歩き出してしまったようだ。

『ごめんなさい!』
「すみません・・・・じゃない・・・pardon」

アリエノールがぶつかってしまった小柄な女性は、彼女が外国人だとわかり、英語で謝ってきた。小柄な女性は茶色のセミロングの髪が音を立てる程の勢いで頭を下げ、それに恐縮したアリエノールは両手を左右に思い切り振る。
小柄な女性は英語が話せるようなので、アリエノールは英語に変える。

[私が考え事しながら歩き出したのが悪かったのよ。大丈夫?]
[はい。私こそ、ツリーに見とれていて・・・。]

気恥ずかしそうに頬をほんのりと赤く染め微笑む女性に、アリエノールは、初対面にも関わらず好感を持ってしまう。たぶん、女性が醸し出す雰囲気が、柔らかく暖かいものだったからであろう。

[お互い、これからは気をつけましょうね。じゃあ、ごゆっくり。]
[はい。本当にすみませんでした。]

女性は軽く会釈すると、隣でガチガチに固まっているショートカットの女性と、ツリーの反対側に向かって歩き出した。何故かアリエノールはその女性から目が離せず、彼女がツリーの影に隠れるまで見送ってしまった。

(クリードにはあんな感じの温かな子がいいかもね・・・。)

息子が他人を、しかも大事な者を側に置く気が無い事を分かっていても彼女は、綾人をそのまま包み込んで癒してくれる人物が現れる事を願わずにはいられなかった。


その頃、目的地に着いた女性二人は、先ほどの事についてツリーを眺めながら話していた。

「びっくりしたね・・・。」

緊張が解けたショートカットの女性・・・かすみが思い切り背伸びをしながら友人に話しかける。

「うん。でも、ボーっと歩いてた私も悪かったし・・・。」

小柄な女性・・・美咲が頬を染め、はにかんで答える。

この二人も観光化している巨大ツリーを見に来たのだ。何故、お互いの彼氏と来ていないのかは、美咲の彼氏である誠は警察学校で訓練中につき、よっぽどのことがないと外出は出来ず、かすみはほんの数日前に彼氏と別れていた。
そういうわけで、二人はカップルだらけの中、女同士で遊びに出ていたのだ。

「でも、美咲が英語得意で良かったよ。言葉がわからないのをいい事に、
 いちゃもん付けられたらどうしようかと思ったわよ・・・。」
「かすみ・・・。外国の人をそんな偏見で見ないの・・・。でも、あっちも英語が
 得意で良かったわ。」
「なんで?」
「一番初めに謝られた言葉は、フランス語だったよ。」
「まじ・・・・・。」
「うん。おかげでちゃんと謝れて良かった。」

安心したように微笑む友人に対して、英語が苦手で外国人というだけで緊張してしまうかすみは、こともなげにそう言う美咲に軽く尊敬を覚えてしまう。
そして、フランスという言葉にとある人物を思い出した。
とても、印象強い元同級生を・・・。

「フランス語ねぇ・・・。そういえば、如月君は元気かねぇ・・・。」

何気なく呟いたかすみの言葉に、美咲の体が軽く強張る。
それを見たかすみは「しまった!」と自分の軽はずみな言動を後悔したが、出てしまった物は引っ込める事は出来ない。

「そうね・・。元気だといいね・・・。」

美咲は、かすみに小さく作り笑いを浮かべるとツリーを見上げた。

目の前では、無数に光り輝く電飾の光を浴びて、愛らしく浮かび上がる熊のオーナメントがあった。しかし、彼女の目はそれを写してはいなかった。
今の彼女の目に映るのは、目の前の輝かしいツリーとは正反対の、静かな雰囲気を持つ、色違いの瞳の彼。
静かに自分の心の扉を開け、そっと入ってきて、未だに自然に心の隅に住まい続ける綾人の姿が映っていた。

食い入るようにツリーを見る美咲が、綾人の事を想っている事が手に取るようにわかる かすみ は自分が思い出させた事に責任を感じ、なんとか話題を変えようと一生懸命に頭を回転させていた。

(あ・・・そうだ!)

そして、ある事を思い出した。

「あ・・あのね、美咲。」
「うん?」

美咲から心無い返事が返ってくる。彼女は、ツリーを見たままだ。

「このツリーね、好きな者同士が相談なしに同じ事を願うと叶うんだって。」
「・・・・・。」

美咲がびっくりした顔で隣の友人の顔を見る。
かすみが心外そうな顔をする。

「なに・・・、その顔・・・・。」
「だって、現実主義のあなたからそんなロマンティックな言葉が聞けるなんて
 思ってなかったから・・・。」
「悪かったわね!・・・私の事はいいから、何か願い事あったら願っとけば?
 もしかしたら叶うかもよ?」
「・・・・そうね・・・。」

美咲は再び、ツリーに目を向ける。
今度は、彼女の目には眩いばかりに輝くツリーが目に入る。

(・・・・彼が元気でありますように。・・・怪我をしていませんように。)

美咲は、胸の前で手を組み、手の届かない人になってしまった綾人の事を
願った。
このとき、誠に対しても、誠の事を思い描かなかった事に対しても彼女は何の罪悪感も無かった。いや、彼には失礼だが、少しも思い出していなかったので罪悪感など浮ぶ事は無った。
それだけ、美咲は綾人の事で頭が一杯だった。

「・・あっ、でも、芝山は忙しいからここに来れないんだよね・・・。ごめん・・・。」

かすみは美咲が誠の事を願っていない事などわかっていた。でも、あえて彼の名前を出した。美咲を現実に戻すために。
またも話題に失敗したと後悔したかすみが唯一できる事だった。
美咲は、顔の前で両手を合わせて両眉を垂れ下げて謝るかすみを笑う。

「なんで謝るの?こういう事って、「叶う、叶わない」が目的じゃないもの。
 ・・・そうね、一種の願掛けかな?あとは、自分に対する誓いだったりする人も
 いるんじゃない?」
「・・・なるほど・・・。案外、馬鹿にはできないのね・・・。考えを改める事にする。」
「うん。かすみは少しくらいこういう事した方がいいと思うよ。現実的すぎるから
 彼氏と長続きしないのよ。」

にっこり微笑みながら、するどい指摘をする友人にかすみは苦笑いしか出来な
かった。本当の事だけに何も言えない。
美咲は、時々、天然でするどい指摘をしてくるので、なかなか侮れなかった。

「それより、そろそろ帰らない?なんだか、私達場違いな感じがしてきた・・。」

かすみに言われて、美咲があたりを見渡すと、来た時よりも更にカップルの数が増えており、もう、イチャイチャし放題だった。
目のやり場に困る・・・。

「そ・・そうね。帰ろうか・・・。」
「うん・・・。」

何故かお邪魔虫になった気分になった二人は、ゆっくりとその場を離れた。
そして、美咲が薄明かりの中、芝生の上を気を付けながら歩いている時だった。

―――美咲・・・・・

綾人の呼ぶ声が聞こえた。
美咲は立ち止まり、声が聞こえた方角・・・クリスマス・ツリーの方を、体ごと
振り返る。
まさかとは思いつつ、ツリーの下に集う人達の中に彼の姿を探すが、やはり
居なかった。

(空耳?・・・でも・・・・・。)

そう、美咲の耳には、はっきりと綾人が呼ぶ声が聞こえたのだ。まるで、近くに
居るかのように・・・。
美咲は、ツリーの下から天辺で輝く星型のオブジェに視線を移す。


綾人は、肺に溜まった空気を一気に吐き出す。それは、白い塊となって宙を漂う。


美咲は、別れた時の綾人の感触と体温を思い出し、自分自身をきつく
抱きしめる。


クリスマス・ツリーを挟んだ反対側に、ほんの少しだけ離れた場所にいる二人は、お互いを深く想い描く。そして・・・。



        『逢いたい・・・・。』



同時に、お互いが心の奥に見て見ぬふりをして、仕舞い続けてきた気持ちを
声に出し、強く願った。
この時、綾人の右のエメラルドグリーンの瞳から、美咲の左の瞳から一筋の涙が零れ落ちたが、二人は気にする事も無く、涙はそのままでツリーをじっと見つめ続けた。

この願いが叶えられたのか、この数ヵ月後二人は最初の再会を果たす。
そして、ちょうど一年後には、奇跡に近い三度目の再会を果たし、二人の気持ちは強く結ばれる。
しかし、まだ出逢う時期ではない二人は、涙を拭い、ツリーに同時に背を向けると、其々の道を其々の場所へ向かって歩き出した。


Noelの奇跡が静かにゆっくりと、でも確実に動き出した・・・・。




>>>>>>

フランス語訳
 sacre nuit(サクレ・ニュイ)・・・聖夜
 la veille de Noel(ラ・ヴェイユ・ドゥ・ノエル)・・・クリスマス・イブ



『Sacre nuit』 END
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