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鷹が飛び立つ日 〜御伽噺になろう 番外編〜 |
高彬は、桜舞い散る中を愛馬「北斗」(黒毛・雄)を駆り、頭上に疾風を従えて数日振りに戻る屋敷へと急いでいた。彼は、気晴らしにふらふらと出かけた帰りであった。
元服を済ませて五年が経ち、戦場での名声も上げてきていても、彼は、今までと何ら変わる事無く着の身着のまま生きていた。
屋敷に着いた高彬は、下男に愛馬の世話を頼み、屋敷内に入る。
自室へ続く廊下を歩きながら、彼は徐々に顔が険しくなっていく。
(なんだか、変な雰囲気だな・・・・。)
数日振りの屋敷は、いつもと変わらないようでいて、何かが違う気がする。何処がどのようにと具体的にははっきりしないが、強いて言うなら屋敷内を漂う空気の色が違う。そんな感じがした。
何ともいえない居心地の悪さを感じながら歩いていると、廊下を自分の方に向かって来る女性が視界に入ってきた。
「あら。やっと帰ってきたのね。」
そう言いながらやって来た女性は、高彬の姉・千絵であった。彼女は、高彬が元服した時期と同じ頃、金谷信春の元に嫁いでいた。この時、高彬は信春に向かって「信春殿も物好きだな。巷には、もっと素直な女がいるであろうに。」と言って姉の怒りを買った。が、「私もそう思います。」と切りかえした夫に千絵の怒りは萎えてしまった。
「出戻りですか?姉上?」
「失礼ね!遊びに来ただけです!!」
「冗談ですよ。」
握った拳で今にも殴りかかってきそうな(実際、何度か殴りかかられている)勢いの姉に向かって、高彬はにっこりと微笑む。それが、千絵の怒りに油を注ぐ。
「ああ、もう!ちっとも変わらないわね、この愚弟は!口の悪さも、その人を喰った様な態度も!それにその格好!!ボサボサ頭に粗末な着物!!貴方、本当に武家の息子なの!!」
「はぁ。一応、今の所は。」
「嘘よね!戦場での貴方の手柄は嘘よね!!本当は他の人じゃないの!?もしくは、相手が弱すぎたのね!!こんなボケボケした男にやられるんですものね!!!」
千絵は自分より大きい高彬の胸倉を掴み上げて、弟を締め上げる。姉に物凄い形相で睨まれているにも関わらず、高彬は平然としている。
「あ・・・あの〜・・・。千絵様、今はそのような場合では・・・・。」
姉と弟の激しいじゃれ合いを、千絵の侍女が制して本来の目的を進めるように助言してきた。それによって我を取り戻した千絵は、弟の胸倉から両手を離す。
「そうでした・・・。今朝、殿の使いのものが来て、お前に城に来るようにと言い置いて行きましたよ。」
「城に?・・・俺、何か悪い事したっけ?」
突然の呼び出しに心当たりのない高彬は首を捻る。
「貴方がした気はなくても、気分を害された方は大勢いらっしゃると思いますよ!・・・しかし、さすがわ殿ですわね。今日、貴方が戻ってくる事を分かってらっしゃったのですよ。」
「それくらいでなければ、英の殿様なんてなってないだろう・・。」
「それもそうですけど・・。そんな事より、早く湯浴みをして仕度を整えなさい。いつまでも殿をお待たせするものではありませんよ。」
「はい、はい。」
軽く千絵に手を振ると高彬は浴場へと向かった。揚々と歩く後ろ姿を千絵は元気なく見つめていた。
仕度が済み、城へ出かけようとする高彬を、母・姉・弟が見送りに出てきた。戦に出かける以外は、外に出て見送るのは家の者(侍女や下男)だったが、何故か今日に限って三人は表まで出てきた。
それを高彬が怪訝そうな顔で見る。
「なんです?今日に限って・・・・。」
「良いではありませんか。たまには。・・・それにしても、あの腕白坊主がこんなに立派になって。」
母・菊が高彬の左頬に手を当て、感慨深げに呟き、しげしげと我が子の顔を眺める。
「突然ですね。」
「親とはこういうものですよ。ある日突然、我が子の成長に気付くのです。お前も親になったらわかりますよ。」
穏やかに微笑む母に、高彬は「そうですか。」と小さく微笑み返す。
「にしても、兄上。なぜ、いつもその格好でいないのです?大変、お似合いですのに・・・。」
弟の泉丸(せんまる)もしげしげと高彬を見つめながら言う。
「お前も元服すれば分かる。これが、いかに窮屈な物か。」
「そんなものですか?」
「そんなものだ。」
高彬は、泉丸の頭を力強くグリグリとかき回す。
「兄上、痛い〜〜。痛い〜〜。」
と言いながらも、泉丸の顔は笑っている。この二人は、非情に仲が良かった。
高彬は、年の離れた泉丸をことのほか可愛がり、泉丸も今より幼い時に別所帯を持ち独立してしまった長男と長女より高彬に良く懐き、高彬が元服するまでは、小さな足で兄の行くところ、行くところを付いて廻っていた。
「これ、これ。いつまで、じゃれているのですか。殿が痺れを切らしてらっしゃいますよ。」
「そうでした。そうでした。」
千絵の注意に高彬は弟の頭から手を離す。
「では、行って参ります。」
軽く頭を下げた後、颯爽と北斗の背に乗ると、わき腹を足で軽く叩き、北斗を駆り、屋敷を後にした。その後を疾風が追う。
そのいつも見慣れた光景を、外に出た者達は瞬き一つせずに見送る。
まるで、目の奥に焼き付けるかのように・・・。
高彬の姿が見えなくなった時、泉丸が突然走り出した。
「兄上!!」
まるで高彬を追いかけるかのように彼は走った。
「兄上!兄上!!」
門まで来た彼は、そこで立ち止まり、あらん限りの声で兄を呼ぶ。
「兄上!兄上〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
泉丸は、声が枯れるまで高彬を呼び続けた。それを止める者は誰も居なかった。
泉丸が高彬をそう呼び、慕えるのはこれが最後であったから・・・。
城に着いた高彬は、屋敷同様、城の様子も何処と無く可笑しい事に気が付く。
(一体、今日はなんなんだ・・・・。)
心の中で首を捻りながら、侍女に付いて行く高彬が案内された部屋は、大広間だった。此処は何か特別の事がないと使われる事はない。ここで何かをするとは、彼は聞いていない。
「高彬様のお着きでございます。」
そう言って、侍女が音もなく襖を開ける。
「!!」
高彬が目にしたのは、左右に別れ、一斉に居並ぶ、英の親族、家臣一同であった。このように一同が会するのは新年の挨拶の時ぐらいだ。
「何をしておる。こっちへ来い。」
呆然と立ち尽くしている高彬に、一同より一段高くなっている場所に座っている当主・景勝(かげかつ)が手招きをする。
「はっ。」
高彬は、一礼をすると、自分と景勝を結ぶ一本の道のように空いている空間を上座へと向かってゆっくりと歩き出した。
(まさか・・・・。いや、そんなはずはない。何か別の事だ・・・。)
歩む高彬の頭にとある事が浮んだが、それは直ぐに否定した。
景勝の顔がはっきりと見えるくらいの所に来た高彬は静かに座り、頭を下げる。
「殿、直々のお呼びだてに遅れました事をお詫び申し上げます。」
「良い、良い。これくらいの時刻になる事は分かっておったから、待ってはおらんよ。」
「すみませぬ。」
高彬は、更に頭を下げ、詫びる。
「さて、さっさと用件に入るとしよう。」
「はっ。」
「高彬よ。私は、年が年なので、今日を限りに隠居する事にした。」
「はい・・・。」
嫌な予感がする。
急速に不安に包み込まれた高彬の鼓動が早まる。
大広間も異様な緊張感に包まれ、静まり返っている。
「で、跡を・・・・・・高彬、お前に任せる。」
「殿!!」
勢い良く顔を上げた高彬は、驚き、切羽詰ったような顔を景勝に向ける。
高彬とて、実子が跡目を継がない英にとっては、男子全員が当主候補であることは分かっている。自分だってその一人だという事も分かってはいる。しかし、若い自分が当主の条件に当てはまっているとも、有力候補だとも思ったことがない。
自分が当主の座に着くなど、彼の頭には全く持って無い事であった。
高彬の珍しい表情を見た景勝は面白そうな顔になる。
「ほう。いつも余裕のあるお前でもその様な顔をするのだなぁ。」
「お戯れを!」
「戯れてなどおらぬ。」
「何故、わたくしが!・・わたくしは、元服して五年しか経たず、戦歴も少のうございます!ここにお出でのお歴々の方々の中にわたくしよりふさわしい方がおられましょう!!」
「おらぬから、お前を指名しておるのではないか。」
「しかし!!」
「高彬・・・・。」
好々爺のような雰囲気であった景勝の目が、急速に細くなり鋭さを増す。
大阪の将軍が、天下を治める事が出来たのは、景勝あっての事と称される程の武将である人物の眼光は、高彬でさえ怯み、背に冷や汗を掻くほどである。
「元服しての五年でお前は何を成した?お前に当主になる資格が無いとは言わせんぞ。巧妙にこの戦乱の世を戦い抜いてきた武人達を手玉にとり、そして、武神と言われる成富(なりどみ)様をして「鬼神」と呼ばせる、そなたの戦歴と活躍を偶然などという軽い言葉で片付けるなよ・・・。良いか。これはそなたの才能なのだ。」
「ですが・・・。」
「では、昨年、実子に跡目を継がせたく、偽の遺言状を作り私を毒殺しようとした、我が側室・冴と息子・・・お前と仲の良かった忠徳(ただのり)を眉一つ動かさず切り捨てたのは、どこの誰だ?このわしとて、躊躇したものを・・・。」
更に強みを増した視線を受けた高彬の目がとまどいから一転して、景勝に劣らないほどの鋭さに変わる。
「我が英を貶める者であれば、それが殿の寵姫であろうと、わたしと同じ血を引く者であろうと切って捨てます。例え、それが、我が親、兄弟でもあっても、同じ事・・・。」
高彬は、自分の主を睨み返す。それは、自分の信念に自信があるからであった。
それを見た景勝は口の端を上げて笑う。
「それだ。その目だ、高彬。その何者にも媚びず、我が道を歩む獣の様な・・・そう、血に飢えた獣のような目が私は気にいっているのだ。」
「・・・・・。」
「高彬よ。お前も英の男子なれば、戸惑う事無く、この運命を受け入れよ。」
諭すかのような静かな声に、高彬はそっと目を閉じる。
母、姉、弟の顔が浮んでくる。
彼らの行動の妙に合点がいった。屋敷の雰囲気が可笑しかった事も・・・。
家中の者みんながこうなる事を知っていたのだ。だから、姉など用も無いのにわざわざ婚家から来ていたのだ。
もう、姉とあのように話すことも、弟の頭を撫でてやる事も、母に触れてもらう事も適わなくなる。
そっと、目を開けた高彬が見たのは、景勝の最も近くに座り控えている父・忠臣(ただおみ)だった。
高彬と目が合った忠臣は、一度、力強く頷いた。
それが、高彬の背中を押した。
「わかりました、景勝様。若輩者なれど、この高彬、力の限り当主としての責を果たしましょうぞ。」
高彬の力強い視線と共に述べられた力強い言葉に、景勝は満面の笑みを浮かべる。
「よう言うた、高彬。今日から、お前が英の当主だ。私は隠居させてもらおう。」
「はっ。」
高彬が深々と頭を下げた。
この瞬間、彼の周りが一変する。親は親で無くなり、兄弟も兄弟では無くなった。
共に戦った仲間も、もう、仲間ではない。彼ら全てが、高彬の家臣となり、高彬は、彼らの主君となったのだ。
もう、今までのように触れあう事は二度とない。
高彬が、全てのもを吹っ切るかのように勢い良く立ち上がった。
「忠臣!」
「はっ。」
父であった家老が新たな当主に呼ばれ、軽く頭を下げる。
「明日、当主が替わった旨の親書を持って大阪へ行け。私も仕度が済み次第、大阪へ挨拶に行く。」
「かしこまりました。」
忠臣は、息子であった高彬に深々と頭を下げる。
次に高彬は、体ごと後ろを振り返る。
「信春!主税!」
気心の知れた仲間を呼ぶ。
「はっ。」
大広間の中程に座る若者達が頭を下げる。
「大阪の往復の警護はそなた達に任せる。準備を怠るなよ。」
「かしこまりました。」
二人は更に深く頭を下げる。
「利勝!」
自分のすぐ側に座る兄であった人物を呼ぶ。
「はっ。」
「城下への告知、諸国への親書はお前に一任する。抜かりなくやれ。」
「かしこまりました。早速、準備に取り掛かりましょう。」
利勝は、弟であった人物に深々と頭を下げる。
「高彬、こちらへ。」
景勝の声で、後ろを向くと、先ほどまで当主として景勝が座っていた席が空けられていた。景勝は、その座の斜め後ろに座り、佇んでいる。
高彬は、ゆっくりと席に向かい歩き出す。
高くなっている場に足をかけようとした時、高彬の歩みが止まる。
そこには、父・忠臣が控えていた。
「忠臣。菊殿に伝えてもらいたい事がある。」
「なんで、ござりましょう。」
「・・・・長い間、世話になった。達者で暮らせ。と・・・。」
「確かに、お預かりいたしました。」
この時、二人は涙が溢れ出そうであった。しかし、現実を受け入れ、必死の思いで涙を止めた。それは、離れた場所で見ていた兄・利勝も一緒であった。
高彬の腕白振りに手を焼いていた彼だったが、それでも高彬は自慢の弟だったのだから・・・。
高彬が当主の座に座る。
一段高くなっているその場所からは、居並ぶ家臣一同が見渡せた。彼らがこれから高彬が統べる者達であり、手となり、足となり働く者達である。そして、自分もさっきまであの中に居たのだ。
高彬は、運命の過酷さを呪いたくなった。
しかし、嘆いた所ではじまらない。彼は、自分の運命を受け入れ、その中で精一杯生きる事を決心する。
忠臣が高彬の前に歩み出て、座りなおし、軽く頭を下げる。
「我ら一同、ここに高彬様に変わらぬ忠誠をお誓い申し上げます。」
忠臣の誓いの言葉に呼応するように、広間にいる家臣一同が一斉に高彬に向けて、深々と頭を下げた。それを、高彬は、軽く頷き受け取る。
これが、この先何百年と、名将、智将として語り継がれる事になる「名当主 英 高彬」の誕生の瞬間だった。
そして、この二年後。
ただひたすら飛び続けていた彼は、羽根を休める場所を見つける。
「で、名前は?」
「・・・・・・。」
「な・ま・え・は?」
「・・・か・・・・伽耶・・・・。」
「伽耶か・・・。可愛い名だな。」
そう言って、高彬は男装した少女に優しく微笑んだ・・・。
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『鷹が飛び立つ日 〜御伽噺になろう 番外編〜』END
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