|
彼の手 |
彼の手。
節くれだった、大きな手。
美味しい料理を作り出す手。
パソコンを手早く操る手。
私の頬を包み込む手。
私を抱き寄せる手。
そして、その手で彼は「言葉」を話す。
私の彼は「言葉」を口で発することができない。
幼い時に遭った事故で彼は「声」を失っていた。
――僕は、神様に「声」と引き換えに「命」を救ってもらったんだ。
彼はそう言って笑った。正確には手話でそう伝えてきたのだけれど・・・。
きっと話せないことで嫌な思いをしてきたはずなのに、そんな事はおくびにも
出さずに笑う彼に尊敬を覚えた。
私達の会話は街の人の目をひく。
私は時々声に出して話をするけど、彼は全てが「手話」。
私にとっては当たり前の光景でも、周りの人はそうじゃないみたい。
それは、私の友人達もそう。
見た目は自分達と変わらない彼が、手話を繰り出した時は、みな、同じように
驚いた。
「大変だね・・・。」
彼を紹介した後には、いつも言われる言葉。
両親にも、兄弟にも、親戚にも言われた。
少々うんざり・・・。
「なにが?どこが大変なの?」
まぁ、手話を覚えるのは最初のうちは難しかったけど、コツを掴めば大丈夫。
英語を覚えるよりは早くに覚えられた。
私の場合は、先生が彼だったからかもしれないけれど・・・。
それ以外の何が大変なのか分からない。
「私達が言った事に対して、すぐには答えが返ってこないでしょう?手話だと
解読しないといけないから、普通より時間かかるよね・・。」
か・・・・解読!?
手話は記号でも暗号でもないわよ!?
「言葉」よ!「言葉」!!
私達が使っているのと変わらない。ただ、手法が「口」か「手」かの違い。
・・・・でも、手話を知らない人から見たらそう思えるのかもしれない・・・。
ちょっと呆気に囚われている私を無視して友人が話を進める。
「愛の言葉を言われてるって感じもしなさそうだし・・・。なんか雰囲気出ない
じゃない?」
それは、貴方が手話を「記号」か何かのように思ってるからでしょう・・・。
彼の愛の言葉は強烈よ!
二人っきりの時はもちろんだけど、人ごみの中でさえ平気であま〜〜い言葉を
囁くから、ちょっと困ってるんだから・・・。
周りの人は手話を理解出来ないから彼が言ってる意味なんてわかんない
だろうけど、言われるこっちの身にもなってよ・・・。恥ずかしいって・・・。
「でもでも、映画館とかお芝居とか静かにお喋りできるから、便利よ?
周りに迷惑かけないし。」
あまり手話を悪く言われたくなくて、ちょっとおどけて言った事に友人も
「ああ、そうね。」
と納得していたけど、そんな和やかな雰囲気はすぐに打ち消された。
「でも、なんだかんだ言っても障害者ってまだ社会的に・・・ねぇ・・・。」
絶句・・・・。
この一言で私の時が止まった。そして、理解した。
皆が「大変ね・・・。」と言っていた本当の意味が・・・。
手話の事なんかじゃなかったのだ・・・。
「・・・・・ねぇ、彼と私と何処が違うの?ただ声を出して話が出来ないだけよ?
私が運動神経が鈍いとかっていうのと一緒じゃない・・。声が出せないって言う
彼の個性だわ!」
別に、友人の言葉にムキになったわけではない。
本当に私にはそれくらいの事・・・。
でも、友人はそうじゃなかった・・・。友人だけじゃない、私の周りすべてが・・・・。
この時、急に自分が・・・ううん、私と彼が世間から拒絶された気がして、
その場に居る事が苦しくなり、驚いた顔で私を見つめる友人を残し、その場を
逃げるように走り去った・・・・。
「ねぇ・・。私と一緒に外に出るのって本当は好きじゃないでしょう?」
唐突な私の質問にテーブルの向かいに座り、ノートパソコンで仕事をしていた
彼が驚いた顔で私を覗き込む。
パソコン用のメガネがずり落ちそうなくらい驚かなくてもいいと思うのよね・・・。
――いつもながら、突然だね・・・。どうしたの?なにかあったの?
首を傾げて聞いてくる彼に私の胸が痛む。
「だって、「手話」で話してることが目立つじゃない・・。貴方が障害者ってことが
バレるわ・・・。」
“障害者”・・・この言葉に涙が出そうになる。一度も思ったこともないのに、それを
口にするのはくやしいし、悲しい・・・。
私はきっと泣きそうな顔をしてる・・・。
トントン。
俯いてしまった私の顔を上げさせる為に彼がテーブルを指で叩いた。
顔を上げると、いつもの笑顔があった。
――僕は室内で出来る仕事だからね、君と出かけるのは楽しいから好き。
いい気分転換にもなる。目立つのはしょうがないよ。手話で話をする人は絶対的
に少ないからね。
「奇異な目でみる人もいるのよ?本当に嫌じゃないの?私に遠慮しなくても
いいんだよ?」
彼がいつもと変わらないので、それが私に気を使っているように思われた。
それに対して彼は笑いながら首を横に振った。
――今更、君に遠慮なんかしない。それに、奇異な目は慣れてる。君がそんなに
心配する必要はないよ。
・・・・慣れている・・・・。
事も無げに彼はそう言うが、そう言えるまできっと沢山傷ついてきたはずだ。
声を出せないと言うことを恨みさえしたかもしれない。
でも、目の前の彼はそんな事さえ無かったかのように穏やかに微笑んでいる。
そんな彼にこれ以上この話をするのも失礼かともおもったが、どうしても聞きたい
事があった。
「ねぇ。私も貴方に初めて逢ったとき、変な目つきだった?」
この質問に彼は目を斜め上に上げた。何かを思い出そうとする時の彼の癖だ。
――変な目つき?そうだな、あれも変といえば変なのかな?
君は他の人とは違って、興味津々といった目つきだったよ。
柔らかに微笑む彼に、私の体の温度は一気に上昇し、冬場にも関わらず夏場の
様に暑かった・・・。
確かに、彼がいう通りかもしれない。
彼と初めて遭った高校の入学式。
初めて入るクラスの中に、私の目を引く一団がいた。
彼とその友人達だった。
その中の誰かが特別格好いいとか、私の好みだったとか、そういうのではなく、
器用に流れるように動く手が目をひいたのだ。
色んな表情を見せる手に釘付けになり、そして、それに答えたり、笑い出したり
する男の子達がすごく羨ましかった。
帰りに彼とその友人の一人を捕まえて
「私にも貴方と話が出来るようにして!!」
とお願い(彼の友人が言うには脅迫)した時の二人の驚いた顔はきっと一生
忘れない。
――あの時の君は未だにあいつらと会うと話題に上る。
クスクス笑う彼に更に私の体温は上がる。
「うう・・・。笑わないでよ・・・。」
恥ずかしさに縮こまってしまう。
穴があったら入りたいとは、まさに今の様な状況のことかもしれない・・・。
大きな彼の手が又俯いてしまった私の頭をポンポンと軽く叩いてきた。
軽く口を尖らせながら顔を上げると、真剣な顔つきの彼がいた。
何事・・・。
滅多に見ない彼の顔に私も冷静になる。
「どうしたの?」
彼の顔が言いづらそうな顔になる。
なに?なに?
さっきまで笑ってたのに、急になんなの?
パニックになっている私に彼は静かに話しだした。(傍から見たらいつも静か
なんだけど・・・。)
――僕も気になっていることがあるんだ。いいかな?
「うん・・いいよ。」
彼の改まりぶりに緊張する。何を聞かれるのだろう・・・。
――君は、僕の声が聞きたい?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はぁ!?」
ちょっとした沈黙の後、彼の質問が自分の脳に到達した後に出た言葉が
これです。
だって、何を言われるのかと緊張していたから・・・。
「そんな事・・・。何かと思ったわよ・・・・。心臓に悪いから止めて・・・。」
――そんな事?
不思議そうに彼が聞いてきた。
何が不思議なんだか・・・。
「そうよ、そんな事よ。私は貴方と話をする時にいつも聞いてるわよ?貴方の手を
通して貴方の心の声を。」
私の話を聞いた彼の目が真ん丸くなったかと思ったら、直ぐに安心した様な
嬉しそうな顔になった。
例えるなら、大切にしていた物がなくなって、必死になって探して見つかった。
そんな感じ。
――君を好きになって良かった。
彼のこの言葉に折角落ち着いた私の体温がまた急上昇する。
どうして、貴方は臆面もなくそういう事を言えるかな・・・。
う・・・嬉しいけどさ・・・・。
「ね・・ねぇ。今年のバレンタインは何がいい?チョコレートケーキ?
パウンドケーキ?それとも、どこか美味しいお菓子屋さんのチョコにする?」
私は、恥ずかしさと彼の優しい眼差しから逃げたくて間近のバレンタインの
話しを切り出した。
彼の微笑みが更に増す。
・・・・話題、失敗したかな・・・・。
――何もいらないよ。君が側に居てくれるだけで僕は幸せ。
どうしても何かをくれると言うなら、君にリボンを巻いてきて。
彼は事のほか嬉しそうに微笑み、私はその笑みと言葉に更に体温が上がり、
目の前のテーブルに倒れこんだ・・・・。
私は、彼の手によって彼と言う名の深みにはまっていく・・・・。
|
|
『彼の手』 END
Copyright 2003-2004 rikka. All rights reserved. |
|