御伽噺になろう
■ その6.終わり良ければ、全て良し! の事 ■      

「コウの嘘つき〜〜〜!!何が、何も無い所よ!!すっごい賑やかな町じゃない!!!」

これが、鎌倉に入った伽耶の第一声だった。
彼女は、コウに「鎌倉は別にこれといった物は無いぞ。な〜〜んにも。」と聞かされていたので、整然と整備された道沿いに、これまた整然と立ち並ぶ店や宿屋、そして、行き交う沢山の人々を見て、面食らっていた。

「大阪の将軍様の城下町や京の都や境の港町に比べたら、ここなんてまだまだ・・・。」
「どこと比べてるんですか!!!」
「華やかな都。」
「比べる基準・・・間違ってる・・・・。」

悪びれず答えるコウに伽耶は全身の力と怒りが抜けていき、がっくりと肩を落としている。

(もうやだ・・・。この人・・・・。)

小さくため息をついた伽耶は、もう一度良く町を見てみる。
山に囲まれた小さな国から来た伽耶にとっては、ここでも充分「華やかな都」だった。それこそ、鷲尾の国は金鉱以外なにもない国だった。特産と呼べる農作物があるわけでもなく、城下にも小さな宿屋と数件の小さな店があるだけだった。
必然的に往来も少ない。

「英の国」に来てから、彼女は驚きの連続だった。
緑豊かな農村地帯、賑やかな城下町。なにより、彼女を一番驚かせた物は「海」だった。白い砂浜に打ち寄せる白い波。そして、自分の視界を越えて広がる雄大な海原。本で読み、「海」の存在は知っていたが、見たことが無いので想像できなかった。それが自分の目の前に広がっているという感動は言葉にする事は難しかった。
伽耶は、目と口をポカンと開けて、広がる海を眺めていた。
彼女は、「そろそろ、行こうか。すぐそこが城下町だ。」とコウが言わなければ、日が暮れるまで飽きもせず、そのまま海を眺め続けていたに違いなかった。

「伽耶、あの山の中腹にある白い建物分かるか?」

コウが指差す方を見てみると、城下町に近い小高い山の中腹に白く高い天守閣が確認できた。大分離れている二人の場所からも確認できるのだから、相当な高さであろう。横に長く白い塀が延々と伸びている所をみると、広さも相当な物の様に思える。
遠めで見ただけでも、鷲尾の城の2・3倍はある事が分かる。

「あれが、英様のお城?」
「そうだ。」

伽耶は、城の大きさだけでも鷲尾と英の権力の違いを見せ付けられている気がする。

「随分、大きいのね。」
「そうか?まだまだ、小さいだろう?」
「・・・・・また、どこと比べてるの?」
「大阪と江戸。」
「何度、言えば分かるの!!比べる基準が違います!!」
「そうか?」
「そうです・・・・・。」

真剣に不思議そうに聞いてくるコウに、伽耶は脱力してしまう。
どうもコウの基準と伽耶の基準はかけ離れているようだ。でも、どちらが普通とは決められなかった。
コウは基準が高く、伽耶は自分の小さな国が基準なので低い。
この件に関しては、二人は相容れそうに無かった。

「まぁ、どうでもいいけどね。」
「また、それなの・・・。」

伽耶が更に脱力感に襲われる。
切り替えが早く、ひとつの事をいつまでもグダグダと考えないのはいい事かもしれないが、コウの場合は、もう少し考えた方がいい様に彼女は思われた。
それから伽耶はコウの案内で城下町を散策したが、見るもの・聞くもの全てが彼女にとって初めての事で、新鮮でもあり、驚きでもあった。
そして、この国が自分の国とは違い「豊かで幸せな国」である事を痛感した。と同時にこれだけの国造りをやり遂げ、維持している「英の殿様」に興味が沸いてきた。

(どんな人なんだろう?英様って・・・・。)

伽耶は、遠くの英の城をじっと見詰める。


翌日からは、伽耶一人で町へ出かけていた。別にコウとケンカをしてわけでも、別れた訳でもない。

「俺は、昔世話になった道場に又しばらく通うから、お前一人で散策してろ。で、見たもの、聞いたものを元に、もう一度ゆっくり考えてみろ。」

と言って、伽耶の返事も聞かずにさっさと出かけてしまったからだ。

伽耶は、町を散策した後は鶴岡八幡の境内で考え事をするというパターンをこの三日間繰り返していた。境内にある石段に座り、彼女はお参りに行く人、ここを遊び場として所狭しと駈け回る子供たち、茶屋で働く人達を眺めている。
城下町に住む人達も、道中出会った農民達同様、穏やかな顔で笑っている。
こんな穏やかな風景に身を置いていると、戦や荒廃した村や自分の置かれている状況が実は夢なのでは無いのかとさえ思えてくる。
それだけ、この国は時間が穏やかに過ぎている。

(・・・にしても、昔のこととは言え、自分達が滅ぼした幕府を開いた人達を祭るこの神社を代々の英の殿様は平気で祭り続けてるわよね・・・。懐が大きいんだか、神経が図太いんだかわかんないわね・・・。)

社を見つつそう思ったとき、コウの顔が浮んできた。

(そういえば、彼もそんな感じね。底知れない人だわ・・・。)

伽耶がそう思って、あきれた様な楽しそうな笑みを浮かべたとき、

「おう。やっぱ、ここに居たのか。」

と、当の本人が現れた。
ちょうど彼の事を考えていた時だったので、伽耶は内心、あたふたしてしまう。

「あ・・あの、道場は?」

そんな伽耶にはお構いなしにコウは彼女の横に腰掛ける。そして、彼女を真摯な目で見つめる。

「ああ。今日は早めに切り上げてきた。そろそろ、結論が出てそうな気がしてな。で、どうする?」
「はい。明日、鷲尾に戻り、安達様の側室になります。」
「そっか。よく決心した。」

コウは伽耶の頭に自分の大きな手を乗せ

「これからツライ事ばかりかもしれない。でも、生きて、自分が出来る事を精一杯やれば人生、自ずと開いてくる。・・・頑張れよ。伽耶。」

と言って穏やかに微笑んだ。
それにつられるかのように伽耶も可愛らしい笑みを浮かべる。彼女はこの時、両親をなくして以来初めて笑った。

自分の過酷とも言える運命を受け入れた彼女であるが、気持ちは不思議と落ち着いていた。憎しみも悲しみも一切なく、先日見たあの凪の海の様に穏やかだった。
伽耶はこの数日に悟ったのだ。憎しみからは何も産まないと。
幸せは、穏やかな心と笑顔から来るのだという事を。

「今まで、ありがとう。コウ。」
「どういたしまして。」

微笑み合う二人を疾風が木の上からじっと見詰めていた。



次の日。伽耶とコウは浜辺に居た。
伽耶は最後にもう一度、海が見たかったのだ。二度と見れないこの景色をしっかりと胸に焼き付けて何か苦しい事があった時、この景色を思い出せるように。
この日の海も大変穏やかであった。

「・・・そろそろ、行くね。」
「ああ。道中、気をつけろよ。・・・本当は国まで送っていってやりたかったんだが・・・。」
「大丈夫。コウに護身術教わったし、疾風が付いてきてくれるし。それより、体調を崩された恩師の分も頑張って道場を切り盛りしてくださいね。」
「ああ・・・・。」

それから二人は見詰め合ったまま、微動だにしなかった。

―――離れがたかった。

―――離したくなかった。

―――でも、一緒にはいられなかった。

二人を絶え間なく打ち寄せる波の音が包み込む。
このままこうしていると本当に離れられなくなると感じた伽耶は意を決する。

「どうか、お元気で・・・・。」

そう言って伽耶が頭を下げ、コウに背を向けたときだった。彼女の左手をコウが強く握り締め、旅立とうとする彼女を引き止めた。驚いた伽耶が後ろを振り向くと、つらそうな顔をしたコウがいた。そんな表情の彼は、はじめてだった。

「コウ?」
「・・・・伽耶。・・・・すぐには側室に入るな・・・・。」
「え?」
「ひとつき・・・・。国に戻ってから、安達様に側室になると手紙を書いたあと、病に伏せろ。お付の侍女以外とは会うな。部屋からも出るんじゃない。いいな!」
「は・・・はい。」

コウの迫力に訳が分からないまま伽耶は承諾の返事をする。しかし、それを聞いたコウは安堵の表情を浮かべる。

「伽耶。自分の運の良さを誇っていいぞ。」

コウはそう言いながら、そっと伽耶の手を離した。
手を離した時、離された時、お互いの胸の奥が締め上げられるように痛んだ。
伽耶はその痛みを我慢しながら、小さく微笑んで頭を下げた後、再びコウに背をむけ一路鷲尾の国を目指し歩き始めた。
その後ろ姿をコウはずっと見送っている。
伽耶の後姿が小さな点になった頃、コウの後ろに黒装束を身に纏った虎若と楓が何処からともなく、且つ音もなく現れ、片膝をつき側に控える。
コウの表情が淋しげな物から一転して厳しいものに変わる。

「虎若。安達の動向は?」
「はっ。鷲尾の金山から増産させた金を元に、境の港など複数の港町の商人から大量の武器を調達しております。多くの浪人たちも召抱え始めた様子でございます。」
「ふん・・・。今更・・・。楓、国境(くにざかい)で待機している兄上・・・・いや・・
利勝(としかつ)殿に『機は熟した。己(おの)が使命を果たされよ。』と伝えてこい。」
「はっ!」
「さぁ。安達様に、この私に喧嘩を売ったことをあの世で後悔していただくとしよう。そして、鷲尾様ご夫妻に土下座して頂こう。・・・それにしても、なんともワクワクするなぁ。なぁ二人とも。」

側に控える二人を返り見たコウの瞳は、獲物を狙う野生の獣のように鋭くギラついていた。従者の二人は、主君に対してただ静かに頭を下げるのみであった。



国に戻り、安達の殿に手紙を出した伽耶は芝居ではなく、本当に病の床についた。旅の疲れが出た事もあったが、一番の原因は、初めての恋を失った事であった。城に無事にたどり着いた事を見届けた疾風が飛び去っていくのを見送った伽耶は、そのまま、その場で倒れてしまった。
コウと自分を結ぶ疾風が居なくなった事で、伽耶は二度と彼とは会えないことを実感したのだ。
病の床の中、伽耶は天井をじっと見つめながらコウの事を考えていた。

(こんなになる程、いつの間に私は彼の事が好きになったのだろうか・・・・。私が鷲尾の姫でなければ、あの時、コウに付いていけたのに・・・。ううん。鷲尾の姫で、英様を討ちに旅立たなければ彼に逢う事はなかったのよ。皮肉な事ね・・・。彼は、私の運の良さを誇っていいと言ったけど、全然、運なんて良くないわ・・・・。)

伽耶の両目から涙が溢れてきた。これで何度目であろうか。伽耶は毎日を泣き暮らしていた。彼女の心の内を知らない家臣たちはそれを安達の殿の元へ行くのが嫌で泣いているのだと思い、自分達の力の無さを嘆いていた。

それからしばらくして、伽耶は起き上がり軽い食事を食べられるくらいになっていた。いつまでもクヨクヨしていてもはじまらないと、泣くだけ泣いた彼女は後ろを向いていた目を前に向け始めた。それが、体調を良くしはじめたのだ。

とある日の昼過ぎ。伽耶が食事を終え、自室に面した庭に降り、花の世話をしている時、庭に面している廊下を慌しく家臣の一人が走ってきた。

「か・・・伽耶様!!大変でございます!!!」
「佳昭(よしあき)殿、騒々しい!姫の体に障ります!!」

興奮しきっている若い家臣を、伽耶と一緒に庭の手入れをしていた彼女付きの侍女・はなが諌める。

「そう、怒らなくても・・・。で、如何したのです?」
「はっ!ただ今、安達におられます加納様より早馬で知らせがはいりまして・・・。」
「じいから?」
「はい。・・・昨夜、安達の殿様が英様により討ち取られたとの事!!」
「なに!?それは誠か?」
「はい。詳しくは、この手紙に・・・。」

佳昭は懐から少々厚めの手紙を取り出すと、伽耶に向けて差し出した。
伽耶は急いで家臣に近づくとそれを受け取り、はやる気持ちをなんとか抑えて手紙を広げる。

そこに書かれている事は驚愕する事ばかりであった。
昨夜、英が安達に夜襲を掛けたのだ。月明かり以外明かりがないこの時代で夜襲は稀である。それを可能にしたのは、城下町を焼き払った炎の光であった。一斉に上がった火の手は瞬く間に安達の城下町を飲み込み、昼間のように城を浮かび上がらせた。

(町を一つ焼いてしまったの!?町の人達はどうなったの?)

伽耶は急いで続きを読む。

町の至る所で上がった火の手は、いつの間にか町人と摩り替わっていた英の家来達の仕業であった。
安達は、知らず知らずの間、我が身に敵兵を囲っていたのだ。
湧き上がる火の手と共に攻め込む、無数の兵士達。そして、城の裏山から英高彬の陣営が松明をかざして突進してき、予想にもしなかった突然の敵襲と瞬く間に城を取り囲まれた安達の城内は混乱しきった。
更に、安達の殿が無数に張り巡らしていた抜け道はいつの間にか埋め戻されており、充分に戦う事も、逃げる事も出来なかった安達の殿は、高彬の手によってあっさりと討ち取られたのだ。
城を燃やす炎を背に、返り血を浴びながら切り進む高彬の姿は、まさしく「鬼神」であったという噂がたっていると加納は書いていた。

その姿を想像した伽耶は背筋に寒気が走り、鳥肌がたった。

(でも、鬼と化して彼は自分の国を守ったのだ。・・・でも、なんで安達様は討ち取られてのでしょう?)

この伽耶の疑問も先に読み進んだときに書かれていた。

安達の罪状は、「将軍様への謀反の疑い」であった。短期間の間に揃えられた武器と浪人達が証拠だと英は言っているらしい。しかし、安達の城に犬千代といた加納は「将軍様への謀反」は英の謀り事だと言う。
確かに安達様は高彬が出世の邪魔になっており、近いうちに難癖をつけて攻め入るつもりではあった。しかし、将軍様への忠誠心は感服するほどのものがあったので、謀反は絶対にないと。どこかで英への出兵を聞きつけた高彬が、安達を徹底的に叩きのめすための口実に使われただけに違いないと。

この戦は、代替わりしたばかりの英が衰えていない事を他国に見せ付ける結果となる事は間違いない。
高彬はこの戦で他国の武将達にこう言っているのだ。
「このようになりたくなければ、我に手を出すな!」と・・・・。

伽耶は手紙を読み進むうちにこの戦乱の世の恐ろしさに身が震える思いがした。しかし、そんな彼女を喜ばせる事も書いてあった。それは、英に保護された犬千代が一両日中には鷲尾に戻るという知らせだった。

「犬千代が・・・帰ってくる・・・・。」

安堵の表情でそう呟いた伽耶に はな が

「おめでとうございます。伽耶さま。」

と、うれしそうに頭を下げた。
ちょっとした安堵感に包まれ始めたとき、佳昭が

「しかし、これから鷲尾はどうなるのでしょうか・・・。」

と暗い顔で呟いた。
その一言で女性二人は現実に引き戻された。
確かに、不本意な事とはいえ、鷲尾は安達の属国である。一体、将軍様は、英様はどのような裁決をくだされるのか不安を覚えない者はいないであろう。

「英様は、領民にも慕われた大変りっぱな方だと、聞き及んでおりますが、それは自国での事。他国に対して寛大な処置をしていただけるのか・・。」
「そうですね・・・・。」
「特に、この話しを聞いた後では・・・・・。」

佳昭の顔が更に暗く落胆していく。
その様子に伽耶の心が不安になる。

「どうしたのです?」
「はぁ・・・。早馬の男が言っておったのですが、高彬様は生き残った僅かな安達様の幼いお子様達にススと血にまみれたお姿で、血を滴らせたままの刀を突きつけて、『英に楯突くとどうなるか分かったか!この有様をとくと覚えておくがいい!それでも、ぬしらが成長した後に私に向かってくるならば向かってくるがよい。父と同じ・・・いやそれ以上の地獄を味合わせてやる!!』とおっしゃられたそうで、お子様達は声も涙も出せず、ただ震えておいでだったそうです・・・。」
「本当に、鬼ですわね・・・。」

佳昭の話しに はな が顔を歪める。胃の辺りもムカムカしていた。
しかし、伽耶は顔色一つ変えず、淡々と手紙を折りたたんでいた。
それが、はな には奇妙に写った。彼女は、伽耶と年が近く、お互いが幼い頃から一緒に過ごしてきた。はな が知っている伽耶は、こういう事には真っ先に怒り狂っていた。その姫が今はただ静かに佇んでいる。

「姫?」
「・・・・はな。高彬様は自身を鬼と化して、領民の将来を守られたのですよ。幼い子供には罪がないので咎めはありません。でも、将来大きくなったその子達が英様に恨みを抱き、戦をしかけるかもしれません。それは、自国を危機に晒す事になります。」
「はい。」
「鬼を見たその子達は恨みより、恐怖に包み込まれた事でしょう。生き残ったお子達が英様を襲う事はありません。それは、自国の民を守った事になるのです。」
「姫様・・・・。」

静かに淡々と話す伽耶に、はなと佳昭はそれ以上何も言えなくなった。

しかし、伽耶のこの予想は当たる。後に三分の一にまで領土を削られた安達は、なんとか残った領土と家名を守る事だけに徹し、他国に戦をしかける事はなかった。



数日後。
伽耶の元に犬千代が戻ってきた事が知らされた。彼女は、自分の立場を忘れ、色内掛けを両手でたくし上げ、廊下を犬千代が居る広間に向かって小走りに走っていた。
広間に着いた伽耶は、両手で襖を勢い良く開ける。
その時、

スターーーーーンッ!!

と、気持ちよい音が襖から発せられた。

「犬千代!」
「姉上!!」

小さな犬千代は伽耶の姿を見ると、走り出し、彼女にしがみ付いた。

「よう、帰って来た・・・。」
「姉上〜〜〜〜。」

無理矢理、肉親と離され、半年以上を見知らぬ国で過ごした犬千代は嬉しさで泣き出してしまった。

「これ・・・。男の子が、みっともない・・・。」
そういう伽耶の目にもうっすらと涙が溢れていた。

その感動の場面を一つの咳払いが無理矢理終わらせる。
その音に伽耶が顔を上げると、困ったような顔の佳昭と見知らぬ男性が座っていた。伽耶が目で佳昭に

(誰?)

と訊ねると、彼は小さくため息を付いた後、

「英家副将の金谷 信春様です。此度は、高彬様の名代として、犬千代様を安達から鷲尾まで護衛してきてくださったのです。」

と説明した。
その瞬間、伽耶は犬千代の体を離し、三つ指をつき頭を下げた。
突然、姉に突き放された犬千代はどうしてよいのか分からずに居たが、とりあえず姉のマネをする事にした。彼も正座をし、頭を下げる。

「まことに失礼いたしました。犬千代をお連れ下さいました事、厚く感謝いたします。」
「面(おもて)をあげてください、伽耶姫様。わたくしは我が殿の名代とはいえ、姫様に頭(こうべ)を垂れて頂けるほどの者ではありません。」
「いえ、そうは参りません。」
「困りましたね・・・。それでは、殿からお預かりしたお話が出来ないのですが・・・。」
「話し?」

伽耶が強張った顔でゆっくりと顔をあげた。

「はい。この国の大事なお話です。」

やんわりと微笑む信春の笑みに、伽耶と佳昭に緊張がはしる。
とうとう、裁決が降りたのだ・・・・。



「姫!それは、誠なのですか!!」

重臣の一人が声を高らかに伽耶に問いただす。

「はい。誠です。」

短い答えに、伽耶の前に座り並ぶ、先代からの重臣達が落胆していく。
高彬の名代である信春との会談の後、直ぐに広間に集められた重臣たちに彼が慕う姫の口からとんでもない採決を聞かされた。

ほとんど無理矢理に属国となった鷲尾には特に責めはなかった。
安達に取られた領土が元に戻る上に、安達領の三分の二が新たに鷲尾の領となった。そして、次期当主犬千代が元服するまでの後見に英高彬がおさまる事になった。しかし、それは、伽耶姫が高彬に嫁いだ時に成立するものだった。

「これでは、鷲尾を影で支配する人物が安達から英に変わっただけではないか・・・。」

どこからともなく聞こえてきたこの言葉に、その場にいる全員が頷く。
しかし、不服だからといって拒否する事はできなかった。安達が攻め入ってきた時とは違い、これは、天下を治める将軍様の意向である。拒否する事は将軍様に反旗を翻す事になる。そんな事になれば、今度は家名自体がなくなってしまう。
はっきり言って、鷲尾には選択の余地はない。

「じい。」

伽耶は、側に居る年老いた重臣を呼ぶ。

「はい、姫様。」
「別室でお休みになっておられる金谷殿に『体調が戻り次第、伽耶は高彬様の元に行きます。』と伝えてきてはくれまいか?」

広間に動揺が走る。
加納は、他の重臣たちとは違い冷静に

「よろしいのですか?」

と確かめるように聞いてきた。それに対して、伽耶は小さく微笑み頷いた。

「かしこまりました。では、早速お伝えしてまいりましょう。」

そう言うと、加納は年に似合わずスッと立ち上がると、颯爽とその場を後にし、別室で返事を待つ信春の下へと急いだ。

「姫様!!!」

猛者たちが、伽耶の前に群がる。その顔はなんともやりきれない顔つきであった。守るはずであった姫に守ってもらわなければならない自分達の力の無さに彼らは心底嘆いていた。
そんな彼らに伽耶は優しく微笑む。

「安達様と違って英様は良き人と伺っておりますし、先の旅で私自身がみた英の国はその人柄を現わすかのように穏やかでしたよ?それに正室ですし、そのように悲観する事もないでしょう。」
「しかし、相手は『鬼神』ですぞ!」
「それは、戦場での事。私は、戦をしにいくわけではわりません。」
「姫・・・・。」
「皆のもの。犬千代を頼みましたよ。」
「はっ。命に代えましても!」

重臣たちは、座りなおし伽耶に深々と頭を下げた。
そして、みなが誓う。姫の最後の頼みを命を掛けても守ろうと。
それが、自分達に出来る精一杯だった。


その後、伽耶の輿入れの仕度と、新たな領土の制定に鷲尾の城内は慌しかった。そんな中、伽耶は体力を戻そうと、城内だけではなく城下にでて、侍女のはなと共にあちらこちらを散策してまわった。それにより、弱っていた足腰も強くなり、容易に戻れなくなる故郷の景色を目に焼き付けていた。

そして、いよいよあと数日で英へ出立するという日。
伽耶は雨の振る庭を眺めながら、高彬からの手紙を読んでいた。

「いよいよですわね・・・。」

はながお盆にお茶とお茶菓子をもって現れた。

「そうね。あっという間でしたね。」

伽耶は、視線を目の前に座るはなに移す。
その はな は何だか複雑そうな顔をしていた。

「どうしたの?はな?」
「・・・こんな事を言うとお手打ちにあうかもしれませんけど・・・。わたし、英様を見損ないました。」
「はな?」
「戦場での事は致し方ないとして・・・。英は代々政略結婚をしていない一族だと聞き及んでおりました。一国の殿様が好いた女子と一緒になるなど、今の世では中々できることではありませんから、尊敬しておりましたのに・・・。代が変わると考え方も変わってしまうのですね・・・。」

はな は口を尖らせ怒りを露にする。
その仕草に、伽耶はちいさく微笑む。

「高彬様もこの世の理を受け入れなされたのでしょう。この乱世の世を円滑に生き残っていくには政略結婚による同盟は不可欠ですから・・・。」
「そうですけど・・・。」
「それにね、はな。みなが言うように高彬様は怖い方でも卑怯な方ではないように私は思いますけど。」

伽耶は手にしている手紙に視線を移す。
手紙の最後に

『貴方がこの国にいらした時には、貴方の国にない海を二人で見に行きましょう。
貴方がおいでになる日を指折り数えて待っております。』

と書かれていた。
伽耶は高彬の自分に対する気遣いがとても嬉しく、彼があの国の雰囲気同様穏やかな人物だと確信する。
伽耶がそう確信するのは、この文章だけではない。
彼はよく手紙をくれる。そして、必ず、彼が領内を見回った際に伽耶の為に摘んだと言う小さな花達の押し花が同封されてくる。今回も入っており、それは、伽耶の膝の上に大事に置かれている。

ほんの数ヶ月前、伽耶はこの殿様の命を狙って、旅をした。自分の命を捨てる覚悟で。それが、今は、その人に嫁ごうとしている。
自分があの穏やかで豊かな国の住人になるのだ。
とても不思議な気分になっていく。

   『生きていれば、道を切り開ける。』

伽耶は、コウが言った言葉を実感していた。
生きて戻ってきた事でも、父と母の無念は見知らぬ大国の殿様が晴らしてくれた。そして、領土は広がり、これ以上ない後ろ盾を得た。もう、二度と金鉱欲しさに攻められる事はない。英は、この国の金を欲さなくても自国の富が豊富なので、金の要求はしては来ない。
自分も含め、誰もが穏やかに・・・それが数年だとしても、幸せに暮らせる。
このように良い事はない。

あの時、伽耶が命を捨てて高彬を襲っていても、安達は滅ぼされていてたあろうが、伽耶が動いた事により鷲尾も討ち取られていたかもしれない。伽耶は危うく家名を断絶させる所だった。その事に気が付いたときは、冷や汗が止まらなかった。

(ありがとう、コウ。本当に貴方のお陰です。)

心の中でコウに礼を言った伽耶は顔を上げ、降りしきる雨を眺める。
それは、心の隅にあるコウへの気持ちを見る雨によって流しているようだった。



暦的にも天候的にも良く恵まれた日。伽耶は、英に嫁ぐ為に鷲尾の国を後にした。数ヶ月前、高彬の命を狙って歩いた同じ道を、今回は、沢山の従者に守られて籠に乗り、花嫁行列として進んでいる。
コウと出会った山道を進むときは、伽耶の胸が少し痛んだ・・・。
そして、久しぶりに来た英の国は、黄金色一色の風景に変わっていた。たわわに実る稲穂の景色に鷲尾の従者達は息を飲む。
彼らも、あの時の伽耶同様、大国の豊かさをまざまざと見せ付けられていた。

「ほら、いつまで見とれているのですか。遅くなっては、今晩お世話になる地主の方が心配されます。急ぎましょう。」

伽耶のこの一言で、全員が我に返り、花嫁行列は先を進みだした。
伽耶の花嫁行列は、この日だけではなく、この先も地主の家に世話になりながら鎌倉を目指した。
地主の家では、どこでも、それは大層なもてなしと歓迎を受けた。
数ヶ月前のコウとの旅との違いに、少々の戸惑いも感じながらも伽耶は素直に彼らの歓迎を受け入れた。

鎌倉の城下町に入ってからもすごかった。沿道には人々が集まり、口々に歓迎の言葉を花嫁に投げかける。小さな子供たちが、自分で摘んできた花を侍女に「あとで姫様に渡してね。」と言って渡していく。
伽耶は、自分が期待されている事、そして、高彬が領民に慕われている事を改めて実感した。

やっと英の城に着いた伽耶は、休息もそこそこに奥にある高彬の部屋へと通された。そこで、彼女一人で夫となる高彬を待つのだ。
伽耶の目の前にある、膝置きと座布団。
ここに座る人が彼女の夫になる人である。

城に着くなり侍女の はな達と離され、格式高い城の中に連れてこられ、更に、一人であの「英 高彬」に会わねばならない事に、伽耶は大層心細くしていた。
不安と期待が入れ混じる中、誰かが来た気配を感じた。
廊下に面した障子がすっと開けられ、

「高彬様のおいででございます。」

と、英家の侍女に告げられた伽耶は、三つ指をつき、軽く頭を下げる。
その直ぐ後に、重い足音が部屋の中に入ってき、伽耶の前で止まる。その人物が座ったのを見計らって障子が閉められ、侍女が立ち去っていった。

伽耶の鼓動が緊張で早まっていき、掌にうっすらと汗をかきはじめた。

「鷲尾の伽耶でございます。」

伽耶は更に頭を下げる。
緊張で心臓が飛び出てきそうだ。

「よう、遠路はるばるおいでくだされた。伽耶姫。」

高彬の発する労いの言葉に・・・いや、彼自身の声に伽耶は眉を顰める。

(あれ?この声・・・・・。)

「体の具合はどうだ?・・・伽耶。」

先ほどとは違う言い方に伽耶は勢い良く、顔を上げる。それは、彼女の良く知った人物の口調であった。自分の目の前に座る人物を見定めた伽耶は目と口がこれでもかというくらい開いていく。
髪を綺麗に結い上げ、綺麗な色の直垂(ひたたれ)を着た、どこをどうみても一国の殿の顔が、コウ、その人であった。

「大分、髪も伸びて益々可愛らしくなったな。」

悪びれぬ口調と不敵な笑み。とても見知ったこれらを見聞きした伽耶の中で何かが「ぶちっ」という凄まじい音を立てて切れた。
次のことが予測出来たコウ・・・もとい、高彬は、両手で両耳を塞いだ。

「騙したわねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!」

城中に響くのではないかと思われるような大声を伽耶は上げる。
頃合を見謀り、高彬は両手を外す。

「相変わらず失礼な小娘だな。ただ、本当の事を話さなかっただけじゃないか。」
「・・・・どっちが、相変わらずよ・・・・。」

極度の緊張感から変な意味で解き放たれた伽耶は脱力しきり、がっくり肩を落とす。そんな彼女に高彬は歩み寄り、座り込むと、彼女の右手を取りそっと自分の方に引き寄せると優しく抱きしめた。

「良かった・・・。あの変態親父のものにならなくて・・・。」
「側室になれって言ったのは、あなたじゃない・・・。」
「それはそれ。これはこれ。」

相変わらずの彼の論法に思わず伽耶は笑い出してしまう。

「ほんと、相変わらずね。」
「そういう伽耶こそ変わってないじゃないか・・・。でも、元気になって良かった。信春に痩せて、青白い顔をしていたと聞かされた時には、自分のした事が間違っていたのかと後悔した・・・。」

伽耶を抱く両腕に力が入る。

「でも、高彬様。私が元気になったのは、貴方の手紙と押し花ですよ?」
「・・・・そうか・・・。それは良かった。」

高彬が腕の力を緩め、伽耶から少しだけ体を離す。
二人の間に少し隙間が生まれる。
伽耶が顔を上げ高彬を見上げると、真剣な目で自分の事を見つめる彼が居た。
その視線に伽耶の心臓は打ち抜かれそうになる。

「伽耶。」
「はい。」
「私は、そなたを心から愛している。どうか、私の妻になってはくれないか。」

この言葉に伽耶の目から次々と涙が零れてきた。でも笑顔である。

「はい。不束者ですが末永くよろしくお願いします。」

今度は、伽耶のこの言葉に高彬が安堵の顔を浮べ、また、抱きしめる。

「伽耶。お前が今まで味わったツライ過去を忘れるくらい、私が幸せにしてやる。」
「いいえ、高彬様。二人一緒に幸せになるのですよ。」
「そうだな。二人で幸せになろう。」
「はい。」

高彬の腕に力が入り、その腕の中で伽耶は顔を赤らめながら幸せそうに微笑んでいた。この時、伽耶は、自分の運の良さを心底誇りに思った。
そして、この豊かな国を愛する夫と共に身を鬼と化しても守っていくと、天国の父と母に誓った。



英の古文書は、高彬と伽耶夫婦は誰もが羨むほどのオシドリ夫婦だったと伝えている。



昔、昔。
誰もが天下人を夢見て戦いに明け暮れる戦乱の世。
とある国のとある山の中で出会ったお殿様とお姫様は、艱難辛苦を乗り越えて結ばれ、末永く幸せにくらしたとさ。

めでたし、めでたし。

『御伽噺になろう』END
Copyright 2004-2006 rikka. All rights reserved.
<<back



感想用フォーム作ってみました!よろしければ、答えていってくださいませ☆
私は  の  です。
作品を読んでのご感想
他に感想があればドゾ!