■ その5.乱世の世の理(ことわり) の事 ■
しばらく睨みあったままの均衡状態の中、伽耶が柄(つか)を握り、刀を鞘から引き抜こうとしたが、
「やめておけ。お前の腕前で俺が切れるわけがないだろう。それに、俺は姫さんをどうこうするつもりはない。」
と、コウに冷たく言い放たれ、彼が言うとおり自分に人を切れる程の腕前が無い事を再確認させられ、彼女は静かに刀から手を離す。
「なぜ、英の若殿の命を狙う?彼は、鷲尾に仇なす事はしていないはずだが?」
コウに静かに問われた伽耶は一度目を閉じ、軽く深呼吸をした後、再び目を開けた。その表情は、一国の姫君であった。
「はい。英様には何の恨みもありません。」
「では、なぜ?」
「・・・・それが、国と弟を取り戻す条件だからです。」
「なんだそれは?」
コウの片眉がピクッと一度跳ね上がる。
「半年前に、安達様が同盟関係にあった鷲尾の金鉱欲しさに攻め入った事はご存知ですよね?」
「ああ。でも、金鉱の技術者は鷲尾様以外に付く気は無いと自害を始めた。鷲尾の金山は彼らでないと掘り進む事ができない秘術が必要だ。彼らが死んでしまっては元も子もなくなるから、安達様は一応、鷲尾の国は属国として残し、幼い犬千代様の後見になった。」
「そうです。犬千代は、安達様自らが次代の当主としてりっぱに育てるとおっしゃって安達の国へ連れて行かれてしまいました。事実上、人質です。」
「あのクソジジィの考えそうな事だ。」
そう言いながら、コウは横に寝転がってしまった。忌々しそうな顔つきで・・・。
「・・・そして、ひとつき前に安達の殿より私に側室になれと言われました・・・。そうすれば、犬千代も国も返してやると・・・。」
伽耶は俯くと、袴を両手で力強く握りしめ、唇を強く噛んだ。
「で、それが嫌なら、安達の目の上のコブである『英 高彬』を殺してこいと言われたのか?」
寝っ転がったまま問いかけるコウに、伽耶は一度小さく頷き答える。
それを見たコウは軽くため息をつき、後頭部を何度か掻いて
「じゃあ、側室になってれば良かったじゃないか。」
と言ってきた。
予期せぬ言葉に伽耶が驚いて顔を上げる。
「・・・なにを・・・・。」
「だって、そうだろ?女のお前が「鬼神」と恐れられる英の若殿様の命なんて取れるわけがないだろう?取る前に殺されてる。命が大事なら、側室になってろ。」
コウの突きつける現実に伽耶はまた、俯いてしまう。
泣きそうになる自分をなんとか保とうと、袴を握る手に更に力が入る。
「・・・嫌です・・・。裏切り、父上と母上を惨たらしく殺した男の元へなど行きたくありません・・・。」
「それはそうだろうが・・・・。まぁ、側室に入っても国も弟も戻っては来ないだろうがな。それは、万が一、英の若殿様を殺(や)れても同じことだろう・・・。」
「わかってます・・・。ですから・・・。」
「まさかとは思うが、お前、殺されに行くのか?」
伽耶の真意が何となく分かってきたコウは事の重大さに驚きつつ、横たえていた体を起こし伽耶にキツイ視線を投げつける。
伽耶は、コウの質問に答えず黙って下を向いている。
「殺されれば、お前の素性がわかり安達に英暗殺の嫌疑がかけられ、戦になる。戦術に長けた英相手では安達が勝てる見込みは少ない。・・・・お前、この大国の殿様動かして、親の仇を討つつもりなのか・・・。」
「・・・安達様は、私が途中であきらめて帰ってくると高を括っておいででした。油断している今がかっこうの機会なのです・・・。」
「そうかもしれないが・・。伽耶、冷静になれ。戦になれば、鷲尾の民がまた巻き込まれ、罪なき人々の命が失われる。そして、戦に絶対はあり得ない。万が一、英様が討ち取られでもしたら、この国の人々はどうなる?お前に、彼らの幸せを踏みにじる権利はないだろう?」
「・・・・・・。」
「お前が側室に入る事で表面的にでも平和が保たれるなら、無駄な血を流さずに済むのなら、その道を選ぶのが、一国の姫としての役目だろう・・・。」
「わかっております・・・。しかし・・・・。」
そう、伽耶も自分が側室に入る事が、現状では一番良い事だとは分かっている。しかし、感情が理性に付いていかない。
父に忠誠を誓い自害していった技術者達の死体が、父と母の首が無残にも晒された光景が、彼女の安達に対する憎しみを増大させる。
「一週間だ。ここに、一週間だけ留まってやる。その間、冷静になって考えな。」
「はい・・・・。」
「それと、ただ黙って考えるのもなんだから、教えてやるよ。護身術程度で良かったらな。」
その言葉に、伽耶がゆっくりと顔を上げる。
伽耶と目が合ったコウがニッと笑う。
「ただし、女だからって容赦はしないぞ。」
「はい、はい。ありがとうございます。」
暗かった顔に少し明るさが戻った伽耶は、コウに深々と頭をさげた。
「よせよ・・・。そんな大げさな事じゃないんだからさ・・・。」
コウは気恥ずかしさから顔が赤くなり、口をへの字口に曲げ、頬をポリポリと掻いている。顔をあげ、コウのその子供っぽい仕草をみた伽耶が小さく微笑む。
「そういえば・・・。どうして、私の事がわかったのですか?」
「あ〜〜。実は、山賊から助けた時、その刀を見て分かった。」
「これ・・・・ですか?」
伽耶がびっくりまなこで脇に置いてあった刀を指差す。なんで、これだけで分かってしまったのか伽耶には想像できなかった。
「鞘も柄も鍔も簡素な物に変えられてるが、刀身を見れば分かる。それは、討ち取られた鷲尾の殿様の愛刀『布椎』(ふづち)。英の若殿の愛刀『不知火』(しらぬい)と並び名刀と称されるものだ。それに、お前が最初に名乗った名は、伽耶、お前の父の名前じゃないか。」
「それだけですか?」
「それだけで充分だろ?」
コウの不敵な笑みに、伽耶の脳裏に山賊の頭が放った言葉が蘇った。
「コウ・・・・。あなた、何者?」
「ただの放蕩息子さっ。」
この時、伽耶は、いつもの様にあっけらかんと答え、口の端を挙げて不敵に微笑むコウの奥底に、只ならぬ物を感じ取った。ただ、それが何であるかは彼女自身、よくは分からなかったが・・・。
次の日から早速、伽耶に護身術が叩き込まれ始めた。
前日の発言通り、コウは情け容赦なかった。
コウはその辺の棒きれで、伽耶は父の形見の刀であったが、あっさりと交された伽耶は、体のあちこちを「何度、死ねば気がすむんだ?」と言われながら棒を叩き込まれていた。
日にちが経つにつれて、伽耶の体は青あざだらけになっている。
はっきりいって、乙女の体ではなかった。しかし、そのお陰か彼女の刀さばきは、それなりの形にはなりつつあった。
約束の一週間が経った。
この日も、伽耶は朝から昼過ぎまでほとんど休みなしでコウに鍛えられていた。
その様子を近くの木の枝から、疾風がじっと見詰めていた。伽耶は、顔も体も汗だくで、結い上げた髪もボサボサ、着物も泥まみれで、花も恥らう乙女から更にかけ離れている。
本人は全く気にしていなかったが・・・・。
「さて、今日は、これで終わろう。」
「は・・・い・・・・・・。」
伽耶は、刀を手にしたままヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
満身創痍・・・。そんな感じである。そんな彼女の元に、汗もうっすらとしかかかず、息も全然あがっていないコウが歩み寄り、どっかりと座り込んだ。
「で。決心は変わらないのか?」
コウの真摯な目が、疲れきった伽耶の体を突き刺す。
一瞬、その視線に決意が揺らぎそうになるが、なんとか持ちこたえて、伽耶は小さく頷いた。
「そっか・・・・。」
そう呟いたコウの目が、一瞬にして淋しそうになる。
その瞳に何故か伽耶は罪悪感を覚え、胸の奥がズキズキと痛み出す。
「なぜ、コウはそんなに心配してくれるのですか?」
「そんなん、決まってるだろう・・・。伽耶を死なせたくないからだ・・・・。」
コウのこの言葉に、伽耶は先ほどとは違い、胸が軽く締め付けられ、鼓動が早くなる。稽古で火照っていた体が、違う熱で火照り始める。
「し・・・しかし・・・・。」
「今は、つらくても、生きていれば道を切り開く事ができるじゃないか・・・。」
「そうかもしれません・・・。でも、あの年老いた男の慰み者になり、あの男の子供をこの身に宿す事は出来ません・・・。そんな事になるくらいなら、死んだ方がましです。そして、これによって父と母の無念が晴らせれば、本望です。」
自分の本来の目的を話しているうちに、伽耶の鼓動は収まっていった。
しかし、伽耶のこの決意はコウの怒りに触れた。
淋しげだった彼の目が、冷たく鋭い物になり、伽耶は思わず息を飲んでしまう。
「・・・・確かに安達様の行為は褒められた事じゃない。しかし、今は乱世の世だ。そんな事は日常茶飯事じゃないか。裏切られ、攻めいれられた鷲尾様にも非があるんじゃないのか?」
今度は、コウのこの言葉に伽耶が怒りを覚える。
目の前のコウを激しく睨みつける。
「父に非があると!?」
「ああ。金鉱なんて、誰もが欲する物を持ちながら、同盟なんて不確かな物を信じ込んであの狡猾な安達様を信じきったのは何処の誰だよ!鷲尾様は、警戒しなさずぎだったんだ!そこを突かれたんだろ!!」
「うっ・・・・。」
確かにコウの言う通りだった。何も言えない。
しかし、伽耶は釈然としないものがある。
「でも!一度交わした事を・・・・。」
「伽耶。国主の義務ってなんだ?」
冷静なコウの言葉が伽耶の言葉を遮る。
(え?・・・・国主の義務?)
伽耶は押し黙り考える。
ちょっとした沈黙の後、コウが静かに話しだす。
「それは、領民を守る事だ。例え、両手を血に染め上げようと、他国の民から恨みを買おうと、自分の領民の生活を脅かす者がいれば切って捨てる。攻め滅ぼす。非情と罵られ様が、死した後地獄の業火に焼かれる事になろうとも、その身が鬼と化しても領民を守り、戦うのが国主だ。」
「・・・・・・。」
「自らの甘さから領民を戦火に巻き込み、挙句に討ち取られ、国主としての義務を果たせなかった鷲尾様は国主失格だ。」
「父を愚弄する気ですか!!」
怒りで勢いよく立ち上がった伽耶は、手にしている刀をコウに突きつける。
鼻先に刀の切っ先が来ているというのにも関わらず、コウは冷静な目つきで伽耶を見上げる。
「愚弄などしていない。それが真実で現実だ。・・・強い者が弱い者を攻め滅ぼし、隙を見せればそこを突かれる。それがこの乱世の世の理だ。伽耶、現実に目を向けて、理を受け入れろ。」
「できません!!」
「・・・では、犬千代はどうなる?お前が死んだ後、一人生き残った犬千代は誰を頼ればいい?」
「あっ・・・・・。」
「恨みを抱く男に身を任せるのはツライだろうが、逆をいえば、お前は安達の血を引いた犬千代の味方を作る事が出来るんだぞ?安達を中から崩す事も可能になる。・・・長い目で己の人生を考えてみろ。」
「・・・・・・・・・。」
コウの鼻先から刀が消える。
伽耶は、力なくうな垂れて立ち尽くしている。父と母の仇を討つ事だけを考えて、犬千代の将来を考えていなかった自分を恥じていた。
「ここまで来たんだ。明日は、予定通り鎌倉に入ろう。また、そこでゆっくり考えるといい。・・・ほら、林の中の小川で汗を流してこい。」
伽耶はコクンと一度頷くと、刀を鞘に収め、トボトボと小川に向かって歩き出した。
元気の無い後ろ姿はとても弱々しく、見ていてコウは胸が痛んだ。
「疾風!伽耶に付いて行け!」
その号令で、それまで大人しく木の上に居た疾風が勢いよく飛び立ち、伽耶の後を追った。それを見送りコウが立ち上がったとき、
「相変わらず、自分にも他人にも厳しい方ですね。」
と、後ろから女性の声が聞こえてきた。
「楓か・・・。」
そう呟き、コウは袴の埃を払いながら後ろを振り返る。そこには、黒装束に身を包み、刀を背負い、長髪を後頭部で一本に束ねた女性が立っていた。
「お若い姫君には酷な現実ではありませんか?」
「だからといって、避けていても何の解決にもならん。」
「そうですが、みなが貴方様のように強いわけではありませんよ?」
「・・・・私だってそんなに強くはない。ただ、みなの為に強くあろうとしているだけだ。」
そう言って、コウは空を見上げた。
青い空の中に点在している白い雲がゆっくりと流れている。
「あの雲の様に、人生もゆっくりと流れてくれれば良いものを・・・。」
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