Way of Difference PartT Scene5
5月22日。
皐月日和のこの日は、若葉の香りを含んだ心地よい風が吹いていた。
その陽気の中、黒のチノパン・黒シャツ・黒ネクタイ姿の綾人は二つの花束を抱えて青山墓地の参道を歩いていた。
一つは「すずらん」で作った小さなブーケ。
一つは「トルコキキョウと白バラ」の花束。
 
(歌?)
奥へ進むと、女性の歌声が微かに聞こえてきた。
それは、道を進めば進む程よく聞こえてきた。
(アメージング・グレース・・・。来てたのか・・・。)
その歌声は、彼の良く知る女性の物の様だ。
綾人の目的地、白い大理石で作られた小さな二つの墓標の前に、黒いワンピースを着、黒のピンヒールを履いた、栗色のロングの巻き毛の外国人女性が、自分の胸に両手を軽く添え、墓石の二人に捧げる様に静かに歌っていた。綾人はそれを邪魔しないように、少し離れた所で歩みを止め、自分も聞き入った。
 
歌が止み、余韻が墓地中に広がる。
 
女性は、胸の両手を静かに下ろす。
『そんな所に居ないでこちらにいらっしゃいよ。』
女性は、フランス語で、離れた場所にいる綾人に青い瞳で微笑み掛ける。
それに答えるように綾人は、女性の前にある墓石へ歩み寄る。
女性には、何も言わず、彼の妹のフルネームと生まれた日付と亡くなった日付を刻んだ白い墓石の前に跪くと、
「誕生日おめでとう。樹里。」
と言って、妹が好きだった「すずらん」で作ったブーケを置く。そして、
「お久しぶりです。父さん。」
そう言ってもう一つの花束を隣の墓石の前に置く。
『母さん。いつ、日本に来たの?今は、ウィーンで公演中でしょう?』
綾人は立ち上がりながら、フランス語で母親に話しかける。
綾人の家族は、母親と話す時はフランス語で、父親と話す時は日本語で、家族で話をする時は英語でといった風であった。
彼の母親は、ピンヒールを履いている事もあって、立ち上がった綾人と変わらない背丈であった。
お互いがあまり変わらない目線になる。
『昨日の夜に着いて、今日は、代々木のうちから取るのも取らずに此処へ
 来たのよ。あさって、公演先へ戻るわ。』
『強行軍だね・・・。体を壊すよ。』
『大丈夫よ!体が資本の仕事だもの。あなたと変わらないくらい鍛えてる
 わよ!!』
母は、息子の肩をバンバンと勢いよく叩いた。
叩かれた肩が痛かったが、久しぶりに会う母親が元気そうなので、自然に綾人の顔がほころぶ。
『しっかし、しばらく会わない間に、又、男前になったわね〜。さっすが、私と
 ワカバの息子だわ!』
『それは、どっちを褒めてるの?』
『両方。』
母は、腰に手をあて胸を張る。
『相変わらずだね。』
そう言って、綾人は軽く笑う。
その笑顔に安心した様に母が呟く。
『良かったわ、元気そうで。おばあ様の手紙には、忙しくて代々木のおうちに顔を
 出さないと書いてあったから・・・。』
『・・・なんとか落ち着いてきたから、今度からはちゃんと顔を出すよ。』
『そうして頂戴。あなたは、私に手紙も電話もメールもくれないから、おばあ様が
 頼りなのよ。』
母は、そう言って、息子の左頬に自分の右手を添える。
『無理をしてはダメよ・・・。』
『母さんこそ・・・。』
母は息子の言葉に小さく首を横に振る。
『体のことだけじゃないのよ。貴方は、言いたい事を全部飲み込んでしまう
 から・・・。もう少し、我がままになりなさい。』
綾人は、肯定も否定もせず、母の視線から逃れるように目を伏せる。
二人を五月の春の香りを乗せた風が包む。
 
『あらやだ!私ったら大事な事を忘れてたわ!!』
突然の大声に綾人は驚いて、伏せていた目を上げる。
すると母は、残りの左手を綾人の右頬に添えて
『二十歳の誕生日おめでとう。クリード。』
とお祝いを述べて、息子の額にキスをした。
『ありがとう。』
息子は素直に礼を述べる。
母の優しい手が息子から離れる。
『じゃあ、僕はこの辺で帰るよ。』
『あら、まだいいじゃない。来たばっかりなのに。』
『久しぶりの夫婦の会話を邪魔したくありませんからね。』
綾人は右目でウィンクをし、悪戯っぽく笑う。
『子供がそんな変な気を使わなくてもいいのよ!!』
母が童女のように頬を赤らめる。
『まぁいいわ。折角の好意だから受け取るわ。だから、今夜貴方のマンションに
 行ってもいいかしら?』
『僕の?なんでまた?』
『久しぶりに貴方のピアノが聞きたいのよ。もしかして、ステディな彼女が
 待ってるのかしら?それなら遠慮するけど。』
『そんなもの居ませんよ。でも、ピアノだったら代々木のうちでもいいでしょう?
 どうせ、そこに泊まってるんだから。』
『う〜〜ん。代々木の御家のYAMAHAもいいんだけれど、やっぱりベーゼン
 ドルファーで聞きたいわ。』
母は満面の笑みで息子にお願いする。
綾人は、軽くため息をつく。
『分かりました。夜にでも、金谷(代々木の家の執事)におばあ様と一緒に
 連れて来てもらってください。いつもの事だけど、僕の所に食べ物は無い
 からね・・・。』
『大丈夫!おばあ様が朝から何か作ってたわ。』
『準備のよろしいことで・・。じゃあ、待ってますよ。』
綾人は、軽く母親に手を振り墓地を後にする。
母は、息子を見送った後、夫の墓石に向かって
『あなた。あの子はいつになったら、背中に背負った荷物を降ろすのかしら・・・。』
と悲しげな表情で囁いた。
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