美咲が拓海に攫われて一ヶ月近く経っていた。
二課の内偵は小笠原製薬に気づかれることなく、順調に運び、長野工場の地下
で『ブラック・エンジェル』が量産されている事が確認された。二課は、その他に
工場の見取り図と美咲が工場内の研究施設の一室に軟禁されている事も
掴んできた。
ただし、工場の見取り図は地上部分の建物だけで、地下までは彼らでも
手の入れる事は出来なかった。
そして、今、特機本部の机と椅子が学校の教室の様に一つずつ並べられた
中会議室に美咲の家族(両親・姉)と恋人の誠が呼ばれていた。
彼らは前から二列目に並んで座っている。
その前には、彼らと対面するような格好で、長机に、統幕本部長、警察庁長官・
特機本部部長・特機隊隊長の錚々たるメンバーが各々の制服姿で並んでいる。
美咲の家族は、美咲の居所が分かりその救出作戦の説明を受ける為に特機に
来たが、まさかこの様な上層部が居並ぶとは思ってみなかった。
そして、このメンバーが説明をするという事は、尋常な状態では無いことが伺い
知れ、この一ヶ月の不安が更に増す。
本郷警察庁長官が席を立ち、話しを切り出す。
「ご家族の方には、結果的につらい一ヶ月を過ごしてもらう事になってしまい、
大変申し訳ありませんでした。」
本郷が頭を深深と下げる。
美咲の家族は何も答えない。
警官である誠は内心どうしたらいいのか困ってしまった。
「先日、ようやくお嬢さんの居場所が突き止められましたので、早速救出に
向かいたいところでしたが、この事件にもう一つ別の事件が絡みまして、
それなりの準備を強いられております。」
「別の事件?」
本郷の説明に、美咲の父一馬(カズマ)が身を乗り出す。フリーライターの血が
少し騒いだのだ。
「はい。今、世間を騒がしております『ブラック・エンジェル』の量産工場に
お嬢さんがいらっしゃるのが分かりました。それで、我々は、お嬢さんの救出と
同時に工場を壊滅させる作戦を立案いたしました。」
本郷の言葉に、美咲の母の薫(カオル)と姉の清香(キヨカ)は言葉を失くし、
顔色が青くなる。
一馬と誠は、完全に納得はできないが、仕事柄、状況的に両方を一気に
片付ける必要性はわかった。
「人命にも世界的犯罪にも関わる重要な事件ですので、今回は、警察だけでは
なく軍にも協力していただき、今回の作戦を遂行いたします。では、作戦の説明
は統幕本部長からしていただきます。」
本郷が座ると、替わって統幕本部長が立ち、後ろに張られた工場とその付近の
見取り図を差し棒で指し示しながら、家族に説明する。この説明が完全に
分かったのは、一馬と誠だけで、薫と清香は、「特機・機動隊・陸軍特殊部隊・
陸軍歩兵部隊の混成チームが制圧及び美咲の救出を行い、事態によっては
空軍が出動する」というくらいしか理解できなった。
「お嬢さんの命が優先されます。我々を信じて今しばらくお待ちください。」
統幕本部長は、軽く頭を下げる。
「作戦決行は、三日後の早朝4時です。」
「三日後ですって!!!」
統幕本部長の言葉に薫が席を立ち、机を叩く。
「それは・・」
説明しようとする本郷を遮り、一馬が話し出す。
一馬は妻の側に立ち、彼女の両肩を優しく抱く。
「薫。落ち着きなさい。これだけの大規模の混成チームだ。指令系統を一本化
するのにも時間が掛かる。これを怠ると指揮の統一感が損なわれ、美咲を無事
に助け出す事は不可能になる。そして、この作戦は命がけだ。彼らも死なない
ように万全の準備が必要だ。今日までは、いつ美咲が帰ってくるのか
分からなかったが、三日後には帰って来るんだ。三日、皆さんを信じてあの子の
帰りを待とう。」
「わかりました。・・・あの子の事をお願いします。」
薫は前の上層部に頭を下げる。
本郷は心の中で一馬に礼を述べる。
同じ事を警察や軍関係者が説明しても家族は感情的になっているので納得
してくれない。
内情を知る人間が身内に居て、それを説明してくれるのは非常にありがた
かった。
感情的な人間も身内の説明には一応納得する。
「申し遅れましたが、今回の作戦の現場指揮は、特機隊長の如月綾人君が
執ります。」
統幕本部長は席に座り、替わりに綾人が席を立ち、両手を横につけたまま軽く
頭を下げる。
「どうして!!どうして彼がこの作戦の指揮を執るのですか!!」
折角落ち着いた薫が再び激昂する。
「落ち着きなさい!!」
綾人の所へ行こうとする薫を一馬が後ろから抱きつき抑える。
「彼は、一度も私達に謝っていないのよ!!彼のせいで美咲は!美咲は!!」
感情が高ぶった薫は、一馬の手を離れ、その場に泣き崩れ、床にしゃがみ込む。
激しく泣く母親に清香が寄り添い肩を抱き、落ち着かせる。
それを見た渡辺が立ち上がる。
「彼は、優秀な指揮官です。今回の大規模な編成に彼以外の指揮官は
望めません。お嬢さんが無事救出されましたら、わたくし共々謝罪に参ります。
しかし、今回は彼に現場指揮に集中させてください。」
そう言って、渡辺は深深と頭を下げる。しかし、綾人は目を伏せるだけで、
弁明も謝罪もしない。
今回も彼は、発言と謝罪を禁止されていた。
それを見ていた一馬は
(事件の当事者は、黙っていろという方針なんだろうな・・・。かわいそうに・・・。)
と綾人に同情したが、
(しかし、あの冷静さはなんなんだろうか?冷静というより冷たく感じるな・・・。)
という疑問も浮かんだ。
作戦の説明が終わり、中会議室を後にした綾人は片手に作戦情報が
ぎっしり詰まったDVD−ROMが入ったプラスチックケースを持って自室に
向かっていた。
彼は、ガラス扉の前で立ち止まる。このガラス扉の先が一般職員立ち入り禁止
の捜査課のエリアであり、捜査課・二課・隊長執務室・本部長執務室・その他
付帯施設がある。
扉の横にあるセキュリティーボックスのスロットに自分のIDカードを差し込む。
IDカードはスロットに吸い込まれ、スロットの上部の液晶画面に「Password?」
と表示され、綾人がスロット下の英数字ボタンを押そうとした時、自分の後ろの
人の気配に気づく。
綾人は、「Clear」と書かれたボタンを押す。
先程飲み込まれたIDカードがスロットから戻ってくる。それを引き抜き、制服の
左の胸ポケットに仕舞うと、
「何の用だ、芝山。」
と静かに言いながら、体ごと振り返る。
誠が数歩離れた場所で体中に怒りを漲らせて立っていた。
「なんで、・・・・なんですぐ助けに行かないんだよ・・・。」
怒りを抑えた声で誠が尋ねる。
「さっきの説明聞いてただろう・・・。」
綾人は静かに答える。
「そうじゃない!美咲は、お前のせいで事件に巻き込まれたんだ!!
それだけの力を持っていて、美咲の居場所が分かった時に、何で、すぐに助け
に行かなかったんだよ!!」
綾人の冷静さに、誠が大声を張り上げる。
それに対しても綾人は動じず、無表情で誠を見つめる。
「俺は、お前と違って幾人もの人命を預かる指揮官だ。己の個人的感情に
流されて動くわけにはいかない。秩序が乱れる。」
綾人の至極最もな、しかし、人間味に欠ける言葉にとうとう誠の怒りが爆発した。
誠は、右手の拳を振り上げ、綾人との間合いを詰める。
綾人は、それを避けようともせず、ただ黙って立っている。
誠の拳が綾人に繰り出されようとした時、
「何やってんだよ!!」
京が誠の背後から右手首を掴み、左腕で体を捕獲していた。
それでも誠は綾人にむかって行こうとする。
「馬鹿野郎!貴様仮にも警官だろう!!綾人の階級を分かってやってん
だろうな!!一般クラスが高官クラスに殴りかかろうとしただけでも処罰もん
なのに、殴ってみろ!貴様、職失くすぞ!!!頭を冷やしやがれ!!!」
京の怒鳴り声がそこら中に響き渡る。
しばらく京と誠の力が拮抗していたが、ただ、無表情で二人の事を左右違う色の
瞳で見つめる綾人に毒気を抜かれたのか、それとも、京の言葉に落ち着きを
戻したのか、誠は拳を解き、力を抜く。
「もう、馬鹿な真似はすんなよ。」
そう言って、京は誠を解放する。解放された誠は、黙って一礼をしその場を
後にした。
京と綾人は、誠の姿が見えなくなるまで彼を見送った。
「・・・で。なんでお前も黙って殴られようとしてんだよ!あいつを辞めさせたい
のか!!」
京が誠の姿が見えなくなってすぐに、綾人を叱る。
兄が弟を叱る様に。
それに対して綾人は首を横に振る。
「楽になれるかと思ったんですよ。僕も彼も・・・。」
「おいおい・・・。」
京があきれる。
その京に綾人が手に持っているDVD−ROMを渡す。京は反射的に受け取る。
「それに、今回の作戦の詳細が入っています。捜査課で検討してください。」
綾人はそう言うと、捜査課のエリアとは反対方向に歩き出した。
「おい!どこ行くんだよ!!」
「僕も頭を冷やしてきます。」
京の問いかけに、綾人は振り向かず右手をあげ、軽く振って答えた。
京は、渡されたDVDのプラスチックケースの角で、こめかみを掻いた。
綾人は、奥まった所にあるので、あまり人が来ない一般職員の洗面室で顔を
洗っていた。
何度も何度も水を顔に浴びていたが、気が済んだのか、洗う事をやめ、
正面の鏡をみる。
そこには、前髪も顔も水浸しになった己の顔が写っていた。
ふっと誠の言葉が思いだされる。
『なんで、助けに行かないんだよ!!』
綾人の顔が歪む。
「俺だって、今すぐ助けに行きたいさ!!!!」
と叫ぶ。と同時に洗面室の鏡・照明が全て弾け割れた。
洗面室が暗闇に襲われる。
「俺だって・・・・・。」
洗面台に置かれた綾人の両手に力が入る。
その時、
「うわ!なんだ、これは!?」
という男性の声が出入り口からした。職員の声ではない声に、綾人が出入り口
の方を振り向くとそこには、廊下の明かりを背に、美咲の父の一馬が「やぁ」と
言って立っていた。
一馬は綾人の執務室に通された。
本来、綾人が美咲の家族・親族と接触する事は禁止されていたが、
「君と話がしたいんだけどいいかな?」と言って微笑んだ姿が美咲と重なり、
無下に断る事が出来なかった。
しかもここは、特機本部なので、皆は見て見ぬ振りをしてくれる。
綾人の命令違反は身内によって隠蔽される。
今二人は、応接セットのテーブルを挟んで向かい合って座っている。
「僕に話とはなんですか?」
綾人が話しを切り出す。
「うん。本当はね、芝山君と同じ様なことが聞きたかったんだけど・・。」
「見てらしたんですか・・・。」
綾人が苦笑いを浮かべる。
「悪いとは思ったんだけどね。君の冷静さが妙に気になって、後を追いかけて
行ったら芝山君に先を越されてね・・。でも、黙って殴られようとする君と、
洗面室での君を見たら気が変わった。」
「はあ・・・。」
「君は、その冷静さの下に一体どれだけの激情を隠しているんだい?」
一馬は膝で両の指を組み合わせ、少し身を前に乗り出し、真剣な眼差しで
綾人を見る。
今、彼は、美咲の父親としてではなく、フリーライターとして綾人と対面していた。
綾人は、苦笑いを浮かべるだけで答えない。
その笑みに彼が答える気がない事を悟った一馬は質問を変える。
「じゃあ、話題を変えるよ。本部長さんから君と美咲は、君が高校を中退してから
2回しか会っていないと聞いた。しかも偶然。それなのに、狙われるのは
おかしい。なんで、美咲が狙われたと思う?君は美咲の事をどう思っているの
かな?」
「愛していますよ。高2の時からずっと・・・、彼女だけを。・・・・・忘れようとしても、
忘れられなかった・・・。」
綾人は、相手の父親に対して臆面もなくはっきり自分の気持ちを話す。
一馬が父親ではなく、フリーライターの顔をしているからであろう。
綾人は、伸ばしていた背筋を緩め、ソファの背もたれにもたれ、身を沈める。
「そこを犯人は、たった二回の再会で目ざとく見つけたんでしょうね。」
一馬は黙って綾人の話を聞いている。
「彼女を巻き込みたくなくて高校も辞めて、距離を置いたのに・・・・。」
綾人は頭を仰け反らせる。背もたれの上に置くような形になる。
「結局は、巻き込んでしまった。今回は、自分の存在が嫌になりましたよ。」
静かに目を閉じる。
「君は、なんで人との関わりを自分から絶とうとするんだい?」
一馬は先程と変わらぬ姿勢のまま綾人に問う。
綾人は、目を開ける。
「僕が『如月綾人』である限り、他人とは関わりたくありません。」
と、頭を起こしながら答える。
オッドアイの瞳には、厳しい光りが灯っていた。
一馬は、一つため息をつき、
「君は、何か大きな傷を持っているようだね・・・。」
と呟く。そして、
「それが、個人データの非公開にも繋がるのかな?」
と別の質問を綾人にぶつけてきた。
それを聞いた綾人の右眉がピクッと跳ね上がる。
「あなたですね?最近、僕の個人データをハッキングしてたのは・・・。」
「まあね。美咲が攫われて、その原因の人間について知りたいのは親としては
当然だろう。けど、他の隊員もほんの触り程度しか公開されていないが、
君の個人データは完全非公開且つ、厳重なプロテクトが掛かっている。
この当たりから親としてではなく、ライターとして興味をそそられてね。
なんとかプロテクトを解除しようとしたんだけど、駄目だったな。」
一馬は、後頭部を掻きながら、自分の犯罪行為をそれを取り締まる側に、
悪びれる事なく話す。
「僕に興味を持つなんて、変わった人ですね。」
綾人は、犯罪行為を責めず、代わりに小さく微笑む。
「そうかな?ネームバリューの割には、バックグラウンドが全く分からない人間に
興味を持たないライターはいないと思うけどね。」
そう言って、一馬はウィンクをする。
綾人は、顎に手を置き少し考えた後、
「プロテクトを外す事は出来ませんが、ご迷惑をかけたお詫びに、仕事熱心な
ライターさんへお仕事の材料を差し上げますよ。」
と言った。
「ほ〜〜〜、なんだい?」
一馬が目を輝かせ、更に身を乗り出して聞く。
「僕の母親の名前は『アリエノール・メイフィールド・キサラギ』。」
「アリエノール・メイフィールドだって!?それは!!」
綾人の言葉に、一馬が目を見開いて驚く。
「そうですよ。クラシックを聴かない人でも知っている、フランス人オペラ歌手の
『アリエノール・メイフィールド』の本名です。あと、一つ。僕の本名は
『アヤト・クリード・メイフィールド・キサラギ』です。この二つのキーワードで
僕のバックグラウンドの一部くらいは覗けますよ。頑張ってください。」
そう言って、綾人はやんわりと微笑む。
一馬は、あまりの事に目と口が開いたままである。
この日の夜、芝山誠から三日後の作戦への参加願が、所属署長経由で
総指揮官の綾人に提出され、何が起こっても作戦本部は一切彼の責任は
負わない旨を付け、受理された。
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