寝室には、白いスクリーンカーテン越しに、夜明け前の淡い光が注ぎ込まれて
いた。
美咲は、綾人の白いシャツを身に纏い、気持ち良さそうに眠り続けている。
それを、綾人は、彼女の側に立ち、眺めていた。
それは、それは、愛しそうに・・・・。
彼は、左耳のラピスラズリの小さなピアスを外し、美咲の右の掌に軽く握らせる。
それ以上強く握らないように、目覚めたら一番にそれに気づくように、
接触テレパスで彼女に暗示をかけて・・・。
「行ってきます。」
綾人はそう言って、美咲の唇に口付けると、静かに寝室を後にした。
それから一時間後。美咲が目を覚ます
彼女は、自分の右手に何かを握っている感じがして、そっと開いてみる。
そこには、小さなラピスラズリのピアスが光っていた。
美咲は、ピアスを握りなおすと跳ね起きる。その時、下腹部に痛みを感じたが、
今は、それにかまっている余裕はなかった。
一緒に寝ているはずの綾人の姿が無い。
彼女はベットから飛び降り、下腹部の痛みに顔を歪ませながら綾人のシャツを
羽織っただけの格好で寝室を出る。
出た先は、中央に真っ黒なグランドピアノだけが置かれた30畳程のLDだった。
対面式カウンター形式のキッチンも見える。
ここにも人の気配は無い。
そばにある二階への階段を駆け登る。メゾネット部には3つの扉があった。
その一つ一つを開けて中を覗くが、誰も居ない。
1階に戻り、LDを駆け抜け、廊下へ続く扉を開け放ち、廊下に面して存在する
全ての扉を開け、中を覗くが綾人は居ない。
(何処にもいない・・・。どうして・・・・。)
最後に開けた和室の前で美咲は立ち尽くしていた。
しばらく誰も居ない和室の中を見ていた美咲は、自分の左手で左頬を叩く。
泣き出しそうな自分に気合を入れるために。
美咲は、寝室に戻り、外へ出るために服を着替える。
綾人のシャツを脱いだ時、体中に付いている彼の刻印が目に入り、
折角押さえ込んだ涙が出て来そうになったが、頭を大きく振り、何とかこらえ
素早く着替える。
外へ向かう前に今一度、彼のシャツを力一杯抱きしめ、彼の香りをかぐ。
「よし!行こう!!」
気合を入れると、早足で玄関に向かう。
靴を履き、勢いよく扉を外へ向けて開け放った時、
ゴ〜〜〜〜〜ンッ!!
という盛大な音共に
「いって〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
という聞き覚えのある声がした。
「ごめんなさい!!大丈夫ですか?」
扉を閉め、うずくまる男性に跪き謝る。
「あ〜〜〜〜、で〜じょうぶ。で〜じょうぶ・・・。」
ツンツンヘアの男性は、右手で額を押さえつつヨロヨロと立ち上がる。
少し涙目になっているが・・・。
美咲は、彼を心配そうに覗き込みながら立ち上がる。
「ごめんなさい。急いでたもので・・・え〜〜〜〜っと・・・・。」
知っている顔なのに、名前を知らない。
「京。牧瀬京だよ、お嬢さん。で、あんたが綾人のうちから、そんなに急いで
出かけると言う事は・・・、居ないんだな?綾人は?」
相変わらず、額を押さえたまま、真剣な顔つきで美咲に問う。
美咲は、頷き、
「これ・・・・」
と言って、右手に握っていたピアスを京に差し出す。
京の顔が強張る。
額から手をゆっくりと離す。
「・・リミッターじゃねぇか・・・・・。」
「はい。朝起きたら、私が握ってました。」
ピアスを再び握り締め、美咲は俯く。
なぐさめる様に京は、優しく美咲の肩に手を置く。
「なぁ、あいつ何か言ってなかったか?」
京の問いに美咲は首を横に振る。
「そっか・・・・。」
しばらく重い沈黙が続く。
「あっ!!」
突然、美咲が顔を上げる。
「どうした?」
「あの・・・。小笠原さんから綾人君に伝言があったんですけど、それが関係して
いるのでしょうか?」
「どんな伝言だった!?」
京がくいつく。
「えっと『暁に映し出されるヴィーナスはさぞや美しいのでしょうね。』でした。」
「綾人は何か言ってたか?」
「分かったとだけ・・・。」
京にはそれが何のことだかさっぱり分からなかった。でも、綾人が居なくなった
事に関係はありそうだ。
無い知恵を絞っていても仕方がないので、春麗に電話する。
「おう、姐さん?・・いま?綾人んちの前。いねぇよ・・・。でよ〜、今、美咲嬢から
聞いたんだけどよ、小笠原から伝言があったらしいんだわ。」
[どんな!!]
携帯から春麗の大声が聞こえてきた。思わず京は携帯を耳から離す。
「いいか?『暁に映し出されるヴィーナスはさぞや美しいのでしょうね。』だそうだ。
なんの事かわかるかぁ?」
携帯の向こうで「まってね」と言われ、大人しく待つ。
美咲は、不安な面持ちで京を見上げている。
中々、携帯の向こうから返事が来ない。イライラしてきた京が片足をタンタン
鳴らしている。
[わかったわ!!]
突然の大声に、またもや携帯を耳から離す。
「もう少し、小さな声でお願いできねぇかねぇ・・・。」
京がお願いする。が、無視される。
[暁は夜明け前で、ヴィーナスはヴィーナスプロジェクトよ!!小笠原製薬も
出資している、建設中の人工浮島の一大娯楽施設よ!!]
「東京湾のか!!」
[そうよ!]
「ありがとうよ、姐さん!!陽介を東京湾の警察専用ハーバーに至急飛ぶように
言ってくれ!朝早く出た船がないか調べろってな!!俺様も今すぐ向かう!!」
携帯の終了ボタンを押し、ジャケットのポケットに放り込む。
「嬢ちゃんも行くんだろ?」
そう言って、京は美咲に大きな手を差し出す。
「はい!」
美咲は京の手を取る。
綾人は、春麗の予測どおり、一つの街がすっぽり入るくらいの人工浮島に建設中
の娯楽施設の現場にいた。
巨大ショッピングセンターと遊園地が併設されるこの施設は、政府も予算をつぎ込む国家規模のプロジェクトだった。
通称、ヴィーナス・プロジェクト。
今まで試験段階であった人工浮島がやっと実用化にこぎつけたのだ。
まだまだ、建築中の為、数多の建築資材と建築機材がひしめく中を綾人は
ゆっくりと、彼を呼び出した人間の居る場所へと向かっていた。
リミッターを外した今の彼ならこの広大な場所でも、人一人見つける事は容易
だった。
彼を呼び出した小笠原拓海は、浮島のほぼ中央に髪を潮風になびかせて
立っていた。
「お待ちしておりました。」
拓海は英国紳士がするようなおじぎをする。
数メートル手前で立ち止まっている綾人は何も答えない。
「本当にあなたという人は、その容姿といい能力といい財産といい、全てが
揃っている完璧な人間ですね。神は完璧な人間はお作りにならないと伺って
おりましたがね・・・。よっぽど貴方は愛されているのですね、神に・・・・。」
二人の間を海風が駆け抜ける。
「・・・っさいな。そんな御託はいいから、さっさと始めよう・・・。」
冷たく言い放つ綾人の体が青白い光に包まれだしてきた。
それを見た拓海は、ニヤリと笑う。
「そうですね。さっさと決着を付けましょう。どちらの綾人が優れているのかを・・。」
拓海の身体が赤い光りに包まれだす。
二人を包む光は徐々に大きくなっていく。それに呼応するかのように、地面と
周りの鉄筋の建設資材に、細かなヒビが音を立てて入っていく。
『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』
二人は叫び声と共にお互いがお互いに向かって走り出す。
青い光と赤い光がぶつかり合い、交わる。
京は愛車のHONDA S2000(シルバーストーン・メタリック)のダッシュボード
の上に赤色灯を置き、猛スピードで都心を駆け抜けていた。
美咲は、シートベルトに捕まり、足を踏ん張っている。
恐怖心は無かった。それより、綾人の身が心配だった。
「おらおら、どけどけぇ〜〜〜!!!」
クラクションをバンバン鳴らしながら交差点を通過する。
綾人のマンションから警察専用のハーバーまで車だと50分から1時間掛かる
ところを京は職権を行使し、30分で着いた。
ハーバーに着くと、綾人の赤いドゥカティが止まっており、その側に陽介が
立っている。
京の車に気が付いた陽介が、二人に向かって早く来るように手招きしている。
京と美咲は、車から降りると陽介とバイクの方に走って向かった。
「船の方はどうだ!!」
「一隻、無くなってます。このバイクがここにあるんですから確実ですよ。」
「陽介!行くぞ!!」
「分かってます!!」
陽介が二人の手を取ろうとした時、
「ひっ!!」
と息を飲み、美咲が海の方を見たまま口に両手を押さえ固まる。
その只ならぬ様子に二人はゆっくりと海の方を向く。
「!!」
二人の顔が強張る。
三人が見ている海には、人工浮島がある方角に、空をも焦がそうかという勢いで
大きな火柱が立ち昇っていた。
浮島から距離があるこのハーバーで目視出来るほどの火柱だという事は、現場
は消滅している事を意味していた。
「あや・・と・・・くん・・・。」
美咲の体中の血の気が引き、目の前が真っ暗になる。
重い現実に美咲は意識を手放した・・・。
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