Way of difference partU Scene10
12月25日 PM6:00。

美咲は、驚きの連続だった。
運転手付きの高級車に乗せられた事も、自分より一回り以上年上であろう
その運転手から自分の恋人が「綾人様」と呼ばれた事も、そして自分まで
「美咲様」と呼ばれた事も・・・。
とどめは、綾人の祖母の家だと言う建物だった。
高級住宅街に現れた延々と続く漆喰の塀に、重々しい木製の門扉。
その門の先、広大な庭の中に重厚な純日本家屋が威風堂々と建っていた。
それは、家という可愛らしい表現が似合う建物ではなく、お屋敷だった。
綾人が裕福な家庭で育っている事は分かっていた。分かっていたが、
これ程までとは、想像にしていなかった。
センチュリーが玄関先に止まると、待ち構えていた初老の男性が、後部座席を
静かに開けた。
綾人が美咲に「如月の家の執事で、信裄の父親だ。」と教えてくれた。
執事に丁重に迎えられ、荘厳な玄関の中に入る。
年代物の調度品が飾られた玄関も、歴史のある屋敷が持つ独特な重い雰囲気を放っていた。
その家の威圧感に美咲は押しつぶされそうな感覚がする。
そして、その圧力に負けない清楚さと気品を身に纏った、着物姿の年配の女性が二人を出迎えた。
年老いたその顔から、若かりし頃は相当の美人だったことが伺われる。
美咲の両方の祖母とは全く違った種族の女性に、美咲の緊張が頂点に達した、その時だった・・・。
「まぁまぁ。この方が美咲さん?可愛らしいお嬢さんじゃないの、綾人!
貴方には、もったいないわね。こんな純真なお嬢さんを一体どこで毒牙に
かけてきたの?」
(はい!?)
綾人の祖母は、頬を上気させ、手を合わせ、若かったらピョンピョン飛び跳ねて
いるのではないかと思われる程興奮していた。
外見からは想像できない、はしゃぎように様に美咲が目を丸くする。
「人聞きの悪い・・・・。」
綾人は、はしゃぐ祖母に静かに反論する。
「今日は、泊まってくのでしょう?ねぇ、是非ともそうして頂戴!!」
「えっ!?はぁ・・・。」
初見の印象とは大分違う、童女のようにはしゃぐ綾人の祖母に、緊張感は
どこかに吹き飛び、美咲は、あっけに取られていた。
「良かったわ、美咲さんが来てくれて。この子と二人きりだと辛気臭くて・・・。」
祖母は、右頬に右手を当て、首を傾げて、ため息をつく。
「すみませんね・・。そんな事より、うちの中に上げてもらえませんか?」
玄関に立ちっぱなしの自分達を放って、言いたい放題の祖母を綾人が制する。
その言葉に現状を理解した祖母が頬を赤らめる。
「あら、やだわ・・・。ごめんなさいね。」
そう言うと、軽く膝を曲げ、着物の裾を軽くはたき、板間に背筋をピンッと伸ばし
正座をする。
「ようこそ、いらっしゃいました。わたくし、綾人の祖母の如月静子と申します。
以後、お見知りおきを。」
三つ指をつき、深々と頭を下げ、美咲に挨拶をする。
「い・いえ、・・こ・こちらこそ・・。」
突然の丁寧な挨拶に美咲はしどろもどろになりながら、頭を下げる。
頭を上げると、静子は綾人と同じ優しい微笑みを湛えて美咲を見つめていた。
その笑みに、美咲の中に安心感が芽生える。
「さぁ、こちらにどうぞ。」
立ち上がった静子に奥へと案内される。
「お邪魔します。」
美咲は、靴を脱ぎ揃えて、如月邸に上がる。これが、美咲の旧家の世界への
第一歩であった。


同日 PM9:00。
あの後、美咲は、静子の手作りの夕食を頂き、お茶の先生をしているという
彼女のお手前も頂戴した。
夕食は、一体どんな豪華絢爛な物が出てくるのかと思いきや、意外と普通に
煮物と煮魚、ささみの梅肉包み揚げにサラダといった美咲の家庭となんら
変わりはしなかった。が、それらを入れる器が普通ではなかった。
焼き物で有名な地方の、しかも有名な窯元の物であった。しかも、年代を感じた。
箸もきっと、有名な職人の物であろう。
夕飯はおいしかったが、茶碗や箸に気を使って少々肩が凝ってしまった。
しかし、これだけの屋敷に住んでいるので、お手伝いさんか、専任の料理士が
居るのかと思っていたのに、すべてが静子の手作りということで、親近感が
沸いた。

お茶のお手前も、正座をして待っていると、
「あら、正座は足に悪いのよ?崩して楽にしないさいな。」
と、とてもお茶の先生をしているとは思えないセリフを吐かれてしまった。
綾人の祖母は、雰囲気と立ち居振る舞いは良家の奥様なのだが、性格は、
人のいいおばあさんの様だった。

緊張しながらも楽しいひとときを過ごした美咲は、綾人に、庭の一角にある
ガラス張りの温室に連れて来られていた。
適温・適湿に保たれた温室には、赤や黄色や白やピンクの薔薇の花達が
一面に広がっていた。
「すごっ・・・・。」
豪華絢爛に咲く色とりどりの花と、むせかえる程の薔薇の香りに美咲は
圧倒され、言葉を失う。
「こっち。」
美咲は、剪定バサミを片手に持った綾人に手を引かれ、薔薇園を奥に進む。
「はい、到着。」
そう言って、綾人は、サーモンピンクの薔薇の花の前で止まる。この薔薇は、
温室の半分以上を占めていた。
「可愛い!!」
美咲の感嘆の声に
「だろ?」
と、綾人が自慢気に答える。
薔薇に見とれる美咲を置いて、綾人は、ピンクの薔薇の中に分け入って、
咲きかけの花達を切り取り出した。
美咲は、一輪・一輪丁寧に切り取る綾人の仕草に見とれてしまう。
(やっぱり、育ちがいいんだな・・・・・。)
目の前の流れるような仕草もだが、食事の仕方、正座が出来ないとは言え
お茶の作法は、自然に身に着いたものだった。
(本当にいいのかな・・私で・・・。)
広大な敷地に重厚な屋敷。そして、高価な調度品の数々。
どこからどう見ても、裕福な家庭の綾人の隣に居るのが一般家庭の自分で
いいのかと不安になる。しかし、それは、如月家を見ただけの感想で、
まだ、彼女は、如月の家と英の家の関係を知らない。そして、綾人の過去も・・・。
綾人は、今日は、退院した日なので、元々、祖母の家に行くことになっていた。
いい機会なので、祖母に美咲を紹介しただけで、すべてを話す気はなかった。
一気に話せば、この屋敷を見ただけで緊張してしまった彼女が混乱する事は
目に見えていた。
英の家の事は、追々話す気ではいたが、自分の過去については、
話す気になれなかった。
過去を話す事は、未だに直視できないあの二つの事件に触れる事になる。
まだ、それは無理だった。

(う〜〜ん。色々考えたって仕方がない!綾人君は綾人君なんだもん、
それだけでいいじゃない!!)
色々と考えていた美咲が、前向きな結論に達する。
父が言うように、恋愛は理屈ではない。
そして、気を取り直し、
「ねぇ、この薔薇ってなんて名前?」
と、すでに片腕一杯になった薔薇を抱えながら、剪定している綾人に聞く。
綾人が、薔薇を切るのをやめ、振り返り、
「アストレだよ。」
と簡単に答える。そして、そのまま薔薇の花束を抱えて美咲の方に戻ってくる。
またしても、美咲はその姿に見とれてしまう。
切りそろえられていない、ラッピングもされていない薔薇を抱えても綾人は絵に
なっていた。
彼の仕草で絵にならない事は無いのではないのかと、美咲は思った。
「どうした?ぼうっとして?」
美咲の元に戻ってきた綾人が、熱にうかされたような顔つきの彼女に
問いかける。
それに美咲は、ぼうっとしたまま
「格好いい・・・。」
と答えた。
それを聞いた綾人は、ニッと口の端を上げて笑うと、
「それはどうも。」
と、臆面も無くさらっと受け取った。
同じ事をその辺の男性がやれば、大概において嫌味っぽくなるかキザったらしくなるだろう。
しかし、綾人は自然だった。
『何をしても絵になる男。』
高校のとき、かすみが綾人を賞して言った言葉に、美咲は今まさに心の中で
賛同する。
そんな美咲に、
「はい。これは、マフラーのお礼。」
と言って、綾人が切り取ったばかりのアストレの花束を手渡す。
綾人では片腕で収まっていた花束も、美咲では、両手一杯になる。
咲きかけの、可愛らしいピンクの花達に顔の下半分を埋め、
「ありがとう」
と、ちょっと照れながら礼を言う。
一度でいいから、両手一杯の薔薇の花束を貰ってみたいとは思っていたので、
その願いが綾人によって叶えられるのは非常に嬉しかったが、
同時に照れくさかった。
頬をアストレの色と変わらないピンク色に染める美咲に、綾人が目を細め、
「やっぱり、美咲は、この花のイメージだな。」
と言う。この褒め言葉に、美咲は上目遣いで綾人に反論する。
「ええ〜〜。私こんなに綺麗でも、可愛くもないわよ・・・。それに、トゲなんて
ないわよ。」
「おやおや・・・。美咲は、この花に負けないくらい、綺麗だし、可愛いよ。
それに・・・ちゃんとトゲもある。」
「・・・失礼ね・・・。」
美咲の頬がフグのように膨らむ。
「昔、母が言ってた。女性には、薔薇と一緒でどんなに可愛くてもトゲが
あるってね。そして、そのトゲに刺されたら最後だって。・・・俺は、美咲のトゲに
刺されたんだよ。」
そう言いながら、綾人は、頬を膨らせたまま自分を上目遣いで見つめる美咲の
額に、自分の額を付ける。
美咲の、文字通り目の前に、アイスブルーとエメラルドグリーンのオッドアイが
現れる。
間近に迫ってきた自分の大好きな、美しいオッドアイに胸がときめきながらも、
「あら?それを言うんなら、私は、おばあ様がおっしゃったとおり、綾人君の
毒牙にかかったのよ?」
と、負けじと反論する。
しばらく、黙って見詰め合っていた二人だったが、どちらとも無く吹き出し、
大笑いし始めた。
3年前の美咲の「猫発言」の時のように。
温室に、二人の笑い声が木霊する。

笑いがおさまり、笑いすぎで出てきた涙を拭っている美咲の目に、温室の外で
ちらつく物がはいってくる。
「雪?」
その声に、綾人も温室の外に目をやる。
大きな白い塊が、ゆっくり、ゆっくり降り積もっている。
「ああ、雪だな。しかも、ぼた雪か・・・積もるな。」
「ねぇ、ねぇ。ホワイトクリスマスだよ!!」
美咲は、嬉しそうにそう言うと、両手一杯のアストレを持ったまま、薔薇の茂み
を掻き分け、ガラスの壁へと近づいて行く。
その様子を小さく微笑んで見ていた綾人は、美咲の方ではなく、
温室の扉近くに咲く、白い薔薇へと向かった。
「うわ〜〜〜〜、どんどん降ってくるよ〜〜。すごいよ!すごいよ!!
外が見る間に真っ白になってくよ!!・・・・・きれ〜〜〜〜〜〜。」
外を見ながら、美咲は、小さな子供が親に報告するかのように、興奮し綾人に
話しかける。
「やだな・・。明日、俺、出勤なんだよな・・・。」
少し遠くのほうから聞こえてくる現実的な言葉に、折角の雰囲気がだいなしに
なり、美咲がムッとした顔つきになる。
「ロマンチックじゃないな〜・・・・・。ホワイトクリスマスなんて、滅多に
味わえないのに・・・。」
外の雪景色を見ながら、ふてくされる。
「そうだな・・。東京じゃ、この時期に雪が降る事はあまりないからな・・・。」
そう言いつつ、綾人が美咲の所に近づいてくる。
「はい。これもあげる。」
美咲の背後から、手にしているサーモンピンクの薔薇の花束の中に、
一本の白い薔薇が差し込まれる。
「これは?」
「ホワイトクリスマスっていう薔薇だよ。」
「・・・ロマンチックなのか、そうじゃないのか分からない人ね。」
白い薔薇を見つめて美咲が笑う。
綾人は、苦笑いをしただけで、その事には何も答えない。
「・・・日本に来たばかりの頃は、雪の無いクリスマスが奇妙だったな・・・。
フランスに居た頃は12月になれば、雪が降ってたから・・・。」
「フランスって寒い?」
「俺が住んでたILEDE FRANCE(イルドフランス)地方は、北部だからね。6月でも
朝晩はtricot(トリコ)・・・セーターが必要な日もあるよ。」
「ふ〜〜〜ん。・・・ねぇ、フランスのクリスマスってどんな?日本とは
違うんでしょう?」
美咲は、自分の背後に立つ綾人に顔だけを向けて質問する。
綾人は、軽く握った右手を口元にあて、思い出す。もう10年以上前の
出来事を・・。
「う〜〜ん・・・。そんなに変わらないと思うんだけど・・・。パリの街なかは
12月になると街路樹にイルミネーションを飾って、至る所でchant de Noel
(シャン ドゥ ノエル:クリスマスキャロル)が流れる。La veille de Noel(ラ ヴェイユ ドゥ ノエル:クリスマスイブ)にsoiree(ソワレ:パーティー、夜会)を開いて、Noel(ノエル:クリスマス)の夜
には、eglise(エグリーズ:教会)のmesse(メッス:ミサ)に家族で出かけて静かに
過ごすんだ・・・。」
「そうなんだ・・・。」
と、答える美咲だが、時々綾人が口にするフランス語の単語の意味が分かっていなかった。ただ、話しの流れで(こういうことかな?)と推測はできた。
それよりも、自分の後ろで、両手をズボンのポケットに突っ込み、温室の外の
景色より更に遠くを、見つめているような綾人が気になる。

綾人の瞳には、幼い日のクリスマスの風景が映し出されていた。
市場で買ってきた「もみの木」に、妹と飾り付けをして、遠くに住む祖父母と
父のいとこになる伯父や伯母にクリスマスカードを書き、送る。
24日は、父か母の友人が主催するパーティに参加して、25日は家の近くの
教会へ家族で出かけてミサに参加する。
日本に来るまでの日常・・・。
それが、非日常になるとは思ってもみなかった。

「barbizonのmaison(メゾン:家)も今頃は真っ白なんだろうな・・・・。」
綾人が遠くをみたまま、ポツリと呟く。
その呟きに、美咲が驚く。
「バルビゾン!?ってバルビゾン派のバルビゾン!?」
「ああ、良く知ってるな。ミレーやルソーが好んで滞在した村だよ。」
「そこに住んでたの?」
「今でも、母が住んでるよ・・・。パリに近いとは思えないくらい綺麗な
田園風景が広がる村だ。少しいけば、フォンテーヌブローの森が広がっていて、その中にナポレオンが愛した宮殿がある。今時分の真っ白な風景も綺麗だけど、新緑が光る頃が俺は好きだな・・・。その頃は、実家の庭のアストレが綺麗に
咲いてるな・・・。見せてあげたいな、美咲にも・・・。」
懐かしそうに語る綾人の瞳が、より一層遠くなって行く。

映し出される風景は、遠い記憶。
庭の半分を埋め尽くす程茂ったアストレが沢山のピンクの花を咲かせ、
時折吹き抜ける風に揺れている。
近くの森で友人達と泥まみれになるほど遊び、お腹がすくと妹と一緒に家に
帰った。
家に帰ると、父と母があきれた顔をしながらも優しく出迎えてくれた。
そして、家中を覆い尽くすかのように香る、家政婦のフランが作るケーキの
甘い匂い。

何の憂いも感じなかった頃の幼い自分・・・・。

果てしなく遠くを見つめる瞳に、美咲は不安になる。
「・・・・・帰りたい?」
この一言で綾人は現実に戻ってくる。
自分の事を不安そうな顔で見上げる美咲に、綾人は優しく微笑みかけると、
アストレの花束ごと彼女を後ろから抱きしめた。
「俺が帰りたいのは、ここだけだよ。」
耳元で囁かれる愛の言葉に、美咲の頬が赤く染まり、胸の鼓動が高まる。
美咲を抱きしめる綾人の腕に少し力が入る。
「美咲・・・・、Je te veux・・・。」
「私も・・・・・。」


Noelの奇跡によって再会した二人は、真っ白な夜に、逢えなかった半年近くの
空白を埋めるかのように、お互いの肌の温もりを求め合った。


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