Way of difference partU Scene11
翌朝。
街は、薄っすらと雪化粧をしていた。夜中に降った雪は、綾人が懸念するほど
降り積もらず、昼過ぎには全てが消えてなくなりそうだった。
その雪景色の中、美咲は、綺麗に切りそろえられ透明のフィルムに包まれ
リボンも施されたサーモンピンクと一輪の真っ白な薔薇の花束を抱えて、
自宅玄関前に佇んでいた。

綾人の祖母の屋敷に行く前に、母には帰らないとは電話を入れていた。
しかし、何処にいるとは告げていない。しかも、その後、携帯の電源を
切っていた。
父は兎も角、母は絶対心配していたはずだ。
絶対、怒られる。
そして、勘のいい母なら、昨夜の自分の行動で綾人と一緒だったことは
察しているだろう。父が帰国した日の話し合い以来、何も言わない母だが、
未だに綾人の事を良く思っていない事は確かだった。
更に怒りが倍増していると思われる。
「は〜〜〜〜〜〜・・・・。」
美咲が吐き出した溜息が、冷えた外気に触れ、白くなる。
自宅に入るのにこんなに勇気が必要なのは、初めてだった。
しかし、いつまでもこうしていても始まらない。
(何も悪い事はしてない!!)
と自分に言い聞かせ、意を決して、右手に持っている鍵を鍵穴に差込み廻す。
カチッという開錠音がした。
鍵を引き抜き、コートのポケットに投げ入れ、扉を開け、
「ただいま・・・。」
と言いながら家の中へと入る。
キッチンの方から人が移動してくる音がする。玄関の音と自分の声に
気が付いた母がこちらに向かってきているのが分かる。
美咲は、靴を脱ぎ、家にあがる。
その時、リビングの扉が開き、怒り顔の母・薫が出てきた。美咲に向かって
何か言おうとした瞬間、美咲が頭を下げ、
「心配かけてごめんなさい。」
と、謝った。先に謝られては、薫も何も言えなくなる。顔から怒りが消え、
「まぁいいわ。話しをゆっくりと聞くことにしましょう。いらっしゃい。」
と、言ってリビングへ戻っていく。
頭を上げた美咲が
(第一関門突破・・・・。)
と、心の中で胸をなでおろしていた。

リビングの応接セットには、テーブルを挟んだ対面に母・薫と叩き起こされた
パジャマ姿の父・一馬が座り、美咲の隣に出勤用のスーツに身を固めた
姉・清香が座っていた。
テーブルの上には、綾人からの花束が置かれ、清楚な香りを放っていた。
「行き先を告げずに外泊した事は謝ります。ごめんなさい。」
美咲が軽く頭を下げる。
「美咲も思慮分別ある大人だし、自分の責任に於いてとった行動だろうから、
お父さんは別に気にしてないぞ〜。」
寝ぼけ眼の一馬が、目覚めの一服を天井に向かって吐く。
「あなた!!」
薫が隣の呑気な夫を睨みつけ、一喝する。そんな睨みも怒りも何処吹く風
といった感じで、一馬は、
ソファに深く腰掛けなおし、背もたれに自分の背中を預ける。
「綾人君と一緒だったんだろう?それなら何も心配する事無いだろう?
彼は、世界一のボーディーガードだ。」
「その彼が問題なんでしょう・・・・・。」
緊迫感のカケラもない夫の発言に、薫は軽く溜息をつく。
この夫婦は、全くの正反対の性格をしているので、意見が合うときは見事な
ほどまで合うが、食い違うと徹底的に食い違う。よくこんな二人が長い間夫婦
として持っているもんだと、周りの人間より本人達がそう思い感心していた。
今回は、夫婦の意見は徹底的に食い違っていた。
「ねぇ。本当に綾人君と一緒だったの?」
薫が推測で物事を進めたくないので、美咲に確認をする。
「うん。一緒に過ごした。」
美咲は、臆する事無くはっきりと告げる。
薫は「そう・・・」と言ったきり押し黙ってしまう。
「今、彼は連絡がつきにくいんでしょう?どうやって連絡取れたの?」
隣の清香が不思議そうに訊ねてくる。一馬も、タバコを吸いながら
(そういえば、そうだな・・・・。)
と、一番肝心な疑問を思い出した。寝起きなので、いつもの頭の働きが無い。
此処は、長女に任せることにした。
「連絡なんて取ってないよ。偶然に出会ったの。」
「偶然!?」
「うん。前にお姉ちゃんに連れて行ってもらった植物研究所にね、バイト先の
人のお友達がいるらしくて又、連れて行ってもらったの。」
「まさか、そこで逢ったとか言うの?」
「うん、そう。」
美咲は、あっけらかんとした顔で答えるが、他の三人はあっけにとられていた。
人出の多い街中で知り合いに逢う偶然の確率もかなり低い。それなのに、
許可の無い人間は入ることが出来ない特殊な場所で出会う確率は、
更に低いだろう。ゼロに近いかもしれない。
関係者の綾人があの研究所にいる確率は高いが、何の関係もない美咲が
居る事は本来ならありえない。
そんな中、出会ったと言う二人に驚き、その絆の強さを痛感する。
一馬が左手に持っている灰皿にタバコを押し付け、火を消す。
ゆっくりと体を起こしながら、
「美咲は、春先と初夏の頃にも偶然、綾人君に会ってるんだったね・・・。
そして、今度もそうだとすると、これは、偶然なんかじゃなくて、必然ってことに
なるな・・・。」
と言い、テーブルの上に灰皿を置く。そして、横目でチラッと妻の様子を伺う。
薫は、冷静な顔つきで黙ってテーブルの上の薔薇の花束を見つめていた。
自分が何か言うと大概に於いて反論してくる彼女が何も言わないのは、
それなりに考えている証拠だった。
視線を妻から次女に移す。
母親を見つめるその顔は、昨日の朝に会った時の可憐な『娘』ではなく、
誰かを支えるしっかりした『女性』の顔だった。
それが、一馬にとって、頼もしくもあり、寂しくもあった。
その次女が母親に対して、意外な宣言をする。
「あのね、お母さん。お母さんが許してくれるまで、私達、逢わないことにした。」
この発言に真山家の時が止まる。
一馬は、新たに火をつけようと取り出したタバコを床に落とし、清香は目と口を
ぱっくりと開け、薫もこれ以上ないくらい目が開いている。
やっとこのことで出会っておきながら、そんな行動に出るとはこの場に居る者は、誰一人思わなかった。
そんな家族を無視するかのように、美咲は話を続ける。
「これは、私が言い出したことなの。・・・家族に一人でも反対する人が居る限り、綾人君と逢っててもなんだか、後ろめたいし・・・。でも、その代わりと言っては
なんだけど、私達の事を前向きに考えて欲しいの。綾人君の事を好きになって
くれとは言わない。でも、理解して欲しい。」
美咲の今までに見た事の無い真剣な眼差しに、薫は決心の固さが伺われた。
「分かったわ。貴方達の決死の覚悟の行為を無駄にするほど、私も鬼じゃない
から、じっくり考える事にするわ。ただ、直ぐに結論を出せるような事じゃないから、しばらく時間を頂戴だい。」
そう言って、薫は小さく微笑んだ。この手の話題の時には、始めてみる表情
だった。
少し前進したようだ。
「うん。ありがとう。・・・あっでね、電話とメールをするくらいは許して欲しいん
だけど・・・・。」
今度は、子供がおねだりをする時の様に、上目遣いで美咲が母親にお願いする。
ちょっと、娘に嵌められた気がしながらも、薫は、
「いいわよ。それくらい。」
と快諾して、席を立ち、夫の朝食の支度をするためにキッチンへと向かった。
キッチンへ向かう母を見送った後、清香がテーブルの上の花束を手に取る。
「これ、綾人君に貰ったの?」
「うん。彼のおばあ様のお屋敷の温室のね、薔薇を切り分けてくれたの。この
ピンクの薔薇は、彼がフランスの実家から株を持ってきて増やしたんだって。」
「アストレとホワイトクリスマスね・・・。」
「さすが、薔薇好き。良く知ってる・・・。」
美咲が薔薇好きの姉を賞賛する。
清香は、美咲が言うとおり、薔薇がこの上なく好きで、薔薇の季節になると
あちらこちらのバラ園に出かけ、カメラマンである彼氏に写真を取らせていた。
将来は、広い庭の戸建に住み、庭中を薔薇で覆いつくす事だった。
「ほんと、アストレって美咲のイメージよね。」
清香は、薔薇の香りを堪能しながら、うっとりした顔でそう呟く。
「あれ?私って、やっぱりそうなの?」
「やっぱりって言う事は、綾人君にそう言われたのね〜〜〜〜。」
「え〜〜っと・・・、あははははは・・・。」
美咲は、乾いた笑いをしながら、隣から送られるじと〜〜〜〜っとした視線から
逃れる。
「おやおや、お熱いことで・・。で、この白い薔薇は、昨日、雪が降って
ホワイトクリスマスになったからでしょう?さすが、外国籍の男性のする事は
卒が無くていいね。ねぇ、お父さん・・・。」
「ははははは・・・・。」
今度は、プレゼントべたな日本男子代表の一馬が、批判的な長女の視線から、
タバコを咥えたままそっぽを向き、逃れる。
一馬は、薫に誕生日以外のプレゼントをした事が無い。故に、何かに
なぞらえてプレゼントするなど考えられなかった。若い頃は、良くその事で
薫から愚痴られていた。
清香が薔薇の花束を本来の持ち主の膝の上にそっと置く。
「美咲。アストレって『最も美しいフランスの薔薇』って言われてるのよ。」
「へ〜〜〜〜。」
姉にそう言われて、美咲は、膝の上のアストレを改めて見てみる。
確かに色といい花の形といい綺麗だ。
そんな大層な冠を戴く薔薇と自分が一緒と言われると、たいへんおこがましい。
「そんな花に貴方をなぞらえて贈るって事は、綾人君にとって、美咲は、
この世で一番美しい花なんでしょうね。」
この姉の言葉に、美咲は全身の熱が一気に高まった。きっと、顔だけではなく、
全身が真っ赤になっている事が自分にも分かる。
そのうち、湯気が出てくるのではないかと思われる程赤くなった妹の頭を軽く
叩きながら
「あ〜あ。朝から甘いもの食べさせられて、胸いっぱいだわ。胸焼けする前に
会社へ行きましょう。」
と言って、席を立ち、リビングを後にした。
(お姉ちゃんってば〜・・・・・。)
真っ赤になった顔を隠すように、薔薇の花束に顔を埋める。
本当は、この場からすぐにでも立ち去りたかったが、あまりの恥ずかしさに、
体の力が入らなかった。
そんな美咲に、対面に座る一馬が
「昨夜は、有意義な一晩だったようだね〜〜〜〜。」
と、何の脈絡もなく聞いてきた。
「何よ、突然・・・・。」
花束から真っ赤な顔のまま、顔をしかめて上げると、タバコを口に咥えた
一馬が左の人さし指で自分の首筋をちょんちょんと指し示していた。
それを見た美咲は、更に赤くなり、右手で自分の右の首筋を抑える。その時、
掌に毛糸の肌触りがした。
「そういえば・・・・・。」
美咲は、ハイネックのセーターを着ている。故に、首筋など見える訳が無かった。
父親に引っ掛けられたのだ。
「お父さん!!!」
美咲は赤い顔で、あまり迫力の無い睨みを、ゲラゲラと大笑いしている父親に
向けた。


<<backnext >>