12月25日 PM3:30。
美咲は、久しぶりの研究棟を慎一と廻っていた。
「これ、変わった葉っぱだな。」
日本では見られない形をした葉の形をした木の前で慎一が足を止め、
見上げる。
「ああ。これはですね・・・。」
美咲が、ここに初めて来た時に彼から説明された通りに慎一に説明する。
「へぇ。さすがにガーデニングする程、草花が好きってだけはあるね。
良く知ってる・・。」
慎一は、先ほどから自分の疑問に答える美咲に感心する。その賞賛に美咲は
小さく首を振る。
「私も受け売りですよ。」
ここには、あの夏の思い出たちが今だに鮮明に息づいていた。
慎一に教える美咲の横には、17歳の綾人が居て彼が美咲に教えている。
思い出によって、3年程前に一度だけ教えてもらった、半分は忘れかけている
知識が蘇ってくる。
美咲は、視線を慎一を追い越し、その先の方へ移す。
そこには、17歳の綾人の大きな手が16歳の自分の手を取り歩いている姿が
見えた。
二人の思い出の中でも最も甘く切ない思い出たち。
それらに出会う度に、美咲は綾人への想いが募り、胸が締め付けられる。
恋しくて、恋しくて、逢いたくてたまらなくなる。
(彼も、こんな気持ちで居てくれてるのかな・・・。)
慎一の隣で植物達を見ながら、美咲はそんな事を考えていた。
様々な環境に設定された研究棟の様々な植物達をみた二人は、最後に、
あの全面ガラス張りの亜熱帯地帯に設定されている研究棟にやって来た。
慎一が、プラスチック製のパスカードを扉の横のセキュリティーボックスに
差し込む。鍵が開き、パスカードが戻ってくる。
それを引き抜くと、慎一が、
「どうぞ。」
と言って、扉を開け広げて美咲を迎え入れる。
ここもあのときと同じ様に亜熱帯の暖かな湿った空気が出迎えた。
二人はコートを脱ぎ、腕にかけて奥へ進む。
(確か、この辺に来た時よね・・・。)
美咲が、あのときに話し声が聞こえてきた地点でそう思い返したとき、男性の歌声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声質に、美咲に軽い緊張が走る。
「へぇ〜。アヴェ・アリアかぁ。研究所の人かな?うまいよね?」
「そう・・ですね・・・。」
慎一の問いかけに上の空で答えた美咲は、何かに突き飛ばされたかのように、突然走り出す。
「えっ!?真山さん!?」
何の前触れも無い彼女の行動に驚きつつ、慎一はすぐさま追いかける。
(まさか・・・まさか・・・・。)
美咲は、走りながら、甘い期待に胸が高鳴る。
段々と歌声が近づいてくる。
(ここを曲がったら・・・。)
ちょっとしたカーブを抜けて美咲が足を止める。
「どうしたの、真山さん・・・。」
追いついた慎一が、美咲の肩を軽く叩くが反応がない。彼女は、正面を向いた
まま固まっていた。
慎一が目の前の美咲から正面に視線を向けると、そこには、この熱い中、
首にブリリアントグリーンを基調にしたタータンチェックのマフラーをし、
黒いコートを左腕にかけて、誰かに捧げるように「アヴェ・マリア」を静かに
歌っている長身の男性の後姿があった。彼の足元、周りの木々には
カラフルな大小様々な鳥達が、まるで、その歌声に聞き入っているかのように
集まっていた。
この幻想的な光景に、慎一も息を飲み、見入ってしまう。
二人は、黙ってその歌声に聞き入る。
「アヴェ・マリア」が終わり、ちょっとした余韻の後、今度は「アメージング・
グレース」が流れ始めた。この曲も静かに研究棟内を響き渡る。
本格的なレッスンを受けたかのような音質と声質、静かな、しかし、空気を
響かせて伝わってくる声に美咲と慎一は、身動きがとれない。
そんな観客がいるのも知らず、彼は歌い続ける。
悲しみを帯びた静かな声で・・・。
「アメージング・グレース」が終わり、余韻が室内を覆い尽くす。
歌い手の男性が、一度、大きく深呼吸した後に、
「さぁ、お帰り。」
と、自分の周りの鳥達に優しく話しかける。
それが、理解できたかのように、彼の周りにいた鳥達が一斉に飛び立ち、
思い思いの場所へ去っていく。
その鳥達の軌跡を慎一は、目で追ったが、美咲はほんの少しの距離しか
離れていない人物を見つめていた。
そして、
「あやと・・・・くん?」
と、小さな声で呼びかける。
その場を立ち去ろうとしていた彼の足が止まり、ゆっくりと声がした後ろを
振り返る。
美咲の前に、思い出ではない、アイスブルーとエメラルドグリーンの瞳が現れる。
「みさ・・き・・・?」
綾人の瞳がこれ以上ないといったくらい見開かれる。
〜 必要な時に、必要な形で出会うわよ 〜
かすみの予言が当たる。
綾人と美咲は、自分達の恋物語が始まったその場所で、まるで何かに
導かれたかのように再会を果たす。
その二人は、想像にもしていなかった出来事に、見つめ合ったまま動けずに
いた。
(こいつが・・・・・。)
慎一が、前に美咲に聞いた特徴を持つ目の前の男性に、彼が美咲の
待ち焦がれる恋人だと確信する。
しかし、美咲とかすみが言うとおり、男性にしておくのがもったいない程の
容姿と、静かに醸し出されるなんとも言えない迫力に、さすがの慎一も
押されていた。
彼が他人に圧倒されるのは初めてだった。
その時、我に返った美咲が
「綾人君!!」
と叫び、走り出した。が、何かに引っ張られる感じがして立ち止まる。
自分の体に付いてこなかった左腕を辿ると、左手首を慎一がしっかりと
掴んでいた。
「離して・・。」
美咲が慎一の手から自分の左手を引き抜こうとするが、余計に強く握られ、
引き抜く事が出来ない。
美咲は、焦る。
早く、この戒めを解いて、彼の側へ行かないと、又、置いていかれる。
そんな感情に支配されている美咲が声を荒げる。
「離してってば!!!」
その大声に、近くの木々で羽根を休めていた鳥達が一斉に羽ばたきだす。
木々が大きく揺れ、ざわめきだす。
そのざわめきが収まりだした頃、
「行かせない・・。」
と、慎一が自分を睨みつける美咲に告げる。美咲は、何も答えず睨み返す。
「行かせないよ。ひたすら信じて待つ真山さんに何の連絡も寄こさないような、
そんな薄情な男の所なんて行かせない。」
慎一は、美咲の睨みを跳ね返すかのような真摯な眼差しで美咲を見つめる。
「綾人君は、薄情なんかじゃないわ!ただ、彼の立場が特殊だから、
そんな自分と関わる事によって私に迷惑が掛かる事を嫌って連絡しなかった
だけよ!!」
「どうしてそんなに」
「どうして、そんなに信じられるんだ?」
美咲の揺るがない自信が発する言葉に対して慎一が投げかけ様とした言葉を
遮って、静かな声が、慎一がしようとしていた疑問をなげかけてきた。
(えっ!?)
美咲が初めて聞く、綾人の冷たい声に、手を握られたままの状態で振り返る。
彼女の目に映ったのは、これも初めて見る彼の冷めた表情だった。
「その男が言うように、こんな薄情な男の事なんて忘れてしまえよ・・。」
慎一でさえ怯んでしまう冷たい視線に、美咲は怯むどころか、逆に満面の笑み
を湛えて
「私、綾人君の事が大好きよ。家族より大切。そんな人の事を信じないなんて
出来ないし、まして、忘れる事なんて無理よ。」
と告げる。
その温かな笑みと言葉に、必死で押さえつけている美咲への想いが、徐々に
綾人の胸に溢れ出して来る。
冷たく固まってしまっている彼の心が、癒され解け始めてくる。
温かな太陽の下に出された氷の塊のように少しずつ・・・。
「お願い。この手を離して・・・。彼の元に行かせて・・・。」
いつもとは違う綾人の雰囲気に、更に彼の側へと行きたい気持ちが加速する。
彼に何かあったのなら、助けたい・・・。
美咲が眉を顰めて、慎一に懇願する。しかし慎一は、
「ダメだ!!」
と言い放ち、更に力を込めて美咲の手首を握り締める。
「いたっ!!」
その力に美咲の顔が苦痛に歪む。
そして、その痛々しい声が、綾人の理性を飛ばし、感情を解き放つ。
「その手、離せよ!!」
綾人が、広大な室内に響き渡りそうな大声を出す。それと同時に、
綾人の首筋に激痛が走る。
「つぅ・・・・。」と小さな呻き声を出して、マフラーの下に左手を滑り込ませ、
自分が付けた傷跡にあてがい、痛みを堪える。
綾人は、傷の治りが早い保持者であるので、傷口は塞がっている。
しかし、完治しているわけではないので、何かのはずみで痛みが走る。
静かだった彼の突然の大声に驚いた慎一の手が緩み、それを見て取った
美咲は、すぐに自分の左手を彼の手から引き抜くと、苦痛に顔を歪ませ痛みに
耐えている綾人に走り寄る。
「どうしたの!!」
美咲が傷口を押さえている綾人の左手に自分の左手を重ね、顔を覗き込む。
痛みが引いてきたのか、綾人の顔の歪みが徐々に緩んでくる。その様子に
一安心した美咲が、彼の緩んだマフラーの下の首に白い物を見つける。
右手でマフラーを掴み、静かに緩め、ほどく。
そこに現れたのは白い包帯だった。
「怪我したの?大丈夫?」
美咲は、職務中に負った傷だと思った。心配そうな顔で、綾人の顔を覗き込む。
「・・・これは、自分で付けたんだ・・・。」
「えっ!?」
綾人の静かな告白に、美咲の表情が心配顔から驚きに変わる。
離れた場所でそれを聞いた慎一の顔も歪む。
「自分の存在が許せなかったんだ。大切な人まで危険な目に合わせてしまう
自分を消したかったんだ・・・。」
「綾人君・・・・。」
「美咲・・。俺の側に居ると又、この前のような怖い目に合うかもしれない。
俺は、君に幸せより、つらい思いをさせてしまう・・・。」
深い悲しみを帯びたオッドアイが美咲の瞳を見つめる。美咲は、その瞳に
ニッコリと微笑み返すと、綾人の左手に添えたままの自分の左手を離す。
そして、今度は、両腕を彼の背に廻し、意外と逞しい彼を優しく抱きしめ、
顔を胸に埋める。
「馬鹿ね・・・・。間違えないで、綾人君。私は、貴方に幸せにしてもらいたいわけ
じゃないのよ。私が、貴方を幸せにしてあげたいの。」
自分の胸の中で紡ぎだされる深い愛情に、綾人の胸が熱くなる。
自分が彼女の優しさに包まれていくのが感じられる。
もう、愛おしさは止まらない。止める気も無い。
綾人は、自分の中にいる宝物を壊さないように優しく抱きしめる。
「まったく、お前は・・・。」
そう言う綾人の口元が緩んでいた。
美咲は、嬉しそうな顔で綾人の胸に猫のように頬ずりをする。
「お帰り、綾人君。」
「ただいま。」
お互いが、恋しくて、逢いたくて、待ちわびて、帰りたかった場所に帰ってきた。
これ以上ないといった幸せを二人は噛み締めていた。
いつもの慎一ならば、目の前で繰り広げられる光景に割って入っている
だろうが、あの二人が醸し出す
雰囲気は、他者を寄せ付けなかった。
それだけで、絆の深さが伺われる。
だからと言って、このまま引き下がる気は彼にはさらさら無かった。
「俺は、あきらめないからな!!」
今まで黙って二人の行為を見続けていた慎一が険しい顔つきで、
綾人に挑戦状を叩きつける。
この言葉に、美咲が綾人の胸から顔を上げ、振り返ろうとした時、
綾人の右手が美咲の後頭部に触れた。
そして、そのまま自分の胸に彼女の頭を戻すと、綾人は、
「どうぞ、ご自由に。」
と言い放ち、慎一に不適な笑みを送り、挑戦状を受け取った。
慎一は、今まで会った事の無いタイプの目の前の男に、今まで以上の
ライバル心を燃やし、このやりとりを綾人の胸の中で聞いていた美咲は、
複雑な心境になった。
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