同日。
PM7:00。
「お疲れ様でした。お先に失礼します。」
美咲は、店内にいるバイト仲間にあいさつをし、店を出る。
雪はいつの間にか小雨に変わっていた。
「さむ・・・・。」
温かな店内から急に冷え切った外に出てきたので、身震いしてしまう。
彼女は、真っ赤の中に一つ小さな白いチューリップがプリントされた傘を
ポンッと開き、駅へ向かう人波に乗る。
退社時間とずれているとはいえ、まだまだ、家路を急ぐ人は多い。
そんな中、滑りやすくなっている道に気を使いながら美咲も周りの人同様、
駅へ急ぐ。
バイト先から駅までは、徒歩で5分くらいだが、足元に気を使いながら
歩いてきたので、それ以上歩いてきたような感覚になる。
ホームで電車を待っていて、気疲れにため息が出る。その時、
「真山さん!」
と肩を叩かれる。振り返ると、同じバイト仲間の梶慎一(かじ しんいち)(25)が立っていた。
彼は、大学を出たが、自分に合う職業がないといってフリーターをしている。
そして、美咲に想い人がいる事を知らず、密かに想いを寄せている。
かすみが言うには、格好悪くもなければ、取り立てていいわけでもない、
普通の男だが、なんとなく腹黒そうに見えるらしい。
ついでに、彼女の趣味ではないそうだ。
「あれ?梶さんも今日は終わりですか?」
いつもは、自分より遅くまで働いているので驚く。
「うん。今日は、高校の時の友人と飲むんだ。」
「あっ、私もです。」
美咲がにっこりと笑う。その微笑は、慎一にとって天使の微笑みである。
(相変わらず、可愛いな・・・。)
思わず見とれてしまう。
慎一がちょっとした幸せを感じている時、電車がホームに滑り込んできた。
開いたドアから大勢の人が吐き出され、今度はそれとあまり変わらぬ人が
乗り込む。ラッシュ時に比べれば、自分の周りのスペースが確保されるので
まだマシなのであろうが、乗客が多い事は多い。
二人はその中、白い輪っかに?まり、並んだ状態で目的地まで話しながら向かう。
「いいな〜、女の子の集まり。俺らヤローばっかだから花がなくて寂しいよ。」
「いえ、集まりなんていえるもんじゃないですよ。親友2人と会うんです。」
「でも女の子の集まりには変わらないじゃない。」
「う〜〜〜んと・・・・一人は男性です・・・。」
これを言うと皆驚くので、なんとなく嫌だったが誤魔化す事ができない性格の
彼女は正直に答える。
「えっ?男が親友なの?」
美咲の想像通り驚かれた。
慎一は、目を見開いて美咲を見ている。
「変ですか?私は、気が合えば男女の区別なんてないと思うんですけど・・・。」
「変じゃないけど・・・、何か男女が恋仲以外になるなんて考えられなくって・・・・。」
「皆さん、そうおっしゃいます・・・。」
美咲はうな垂れる。
確かに、その男の親友ともほんの半年近く前まで恋人同士だった。
綾人が行方不明になり、かすみのマンションで気が済むまで泣き、
落ち着きを取り戻した彼女が一番にした事は、きちんと誠に別れを告げる事だった。
別れを告げられた誠は、
「美咲の心に如月が居ることは薄々感じてたんだ・・・。でも、はっきり言われると、やっぱツライな。」
と言って悲しげに笑った。
美咲が頭を下げようとした時、誠が彼女に自分の右手を差し出した。
「でも、友達でいよう。これだけ長く一緒にいたからお互いのいい部分も
悪い部分も知ってる。
異性から見た目で物を言ってくれる友人って、いいもんだと思うんだ。
ダメかな?」
「ううん。ありがとう。」
美咲は、笑顔で誠の手を取り、友人として握手をした。
誠も友人として笑顔を向けた。
美咲と慎一の間に重い雰囲気が漂い始めた。
(やばい!話題をかえよう・・・。)
折角、想い人と二人っきりで話せているのに、重苦しい雰囲気にしてしまった事に慌てて慎一は明るい話題を探す。
何か無いかと、車内をキョロキョロとしていた時、彼女の右耳のピアスに目が
止まる。
「あ・あのさ。そのピアス、前から気になってたんだけど、どうして片方だけなの?」
「ああ、これは・・・一点物なんです。」
まだ、ちょっと元気なく美咲が答える。
心が繋がった後に手の中に残された小さなラピスラズリのピアス。
愛しくも、切ない思い出の一品・・・。
「綺麗な石だよね。」
慎一のこの言葉に、暗く俯きかげんだった美咲が満面の笑みで彼のほうを向く。
「ありがとうございます!うれしいです!!」
「い・いやぁ・・・・・。」
彼女の圧倒的な笑顔に慎一は心臓が鷲づかみになる。
(ピアス褒めただけなのに、こんなに喜ばれるとは・・・。素直な子だなぁ。)
真相を知らない慎一は、美咲の微笑みを勘違いし、更に想いを募らせた。
美咲は、唯一残された綾人の物が褒められるのは、綾人を褒められている様な感覚になるのだ。
美咲は、そっとピアスに触れる。
(綾人君・・・。)
彼女は、隣の男性ではない男性に想いを募らせる。切ない程に・・・。
美咲は、乗り込んだ駅の4つ先の駅で降り、慎一と別れる。
美咲が向かったのは、いつものレストランバー。
間接照明を使った店内を目を凝らして友人を探す。
「美咲!こっち、こっち!!」
かすみの声がする。
その方向をむくと、かすみと誠が手を振っている。
「ごめん!遅れて!!」
謝りながら二人が座る4人掛けのテーブルへ向かう。
二人は、すでに飲み始めていた。かすみは、グラスビールを、
誠は中ジョッキを半分程飲み干していた。
美咲が荷物を置き、コートを脱ぎ、かすみの隣に座った頃、
ウェイターが注文を取りに来た。
「う〜〜〜んと・・・、カシスソーダを・・・。」
「はい。少々、お待ちください。」
ウェイターは軽く会釈するとテーブルを離れる。
それを見計らった様にかすみが誠に話しかける。
「で、如月君の行方は分かったの?」
「ぶっ!!」
いきなりの事に口に付けたビールを吹きそうになる。
「おいおい・・・。いきなりだな・・・。真山の飲み物も来てないって〜のに・・・。」
「こんな重い事はさっさと片付けたいのよ。そして、ゆっくり飲みたいの!」
相変わらずの押しの強さである。しかし、綾人の事は、美咲の問題であり、
かすみの問題ではない。
美咲に言われるなら分かるが、なんでかすみに言われるのか釈然としないまま、
誠はそれでもかすみに従う。彼女に勝てる男はそうそうに居ない様だ。
「結果からいうと、わからん!」
「ちっ、役立たずが・・・。」
「てめ、こら!!」
「あ〜〜、二人とも落ち着いてよ〜〜。」
話題の当事者がなぜか険悪なムードになりつつある二人の仲を取り持っている。
誠は、残りのビールを一気に飲み干し、空のジョッキをテーブルに少々荒く置く。
「いいか、良く聞けよ、桜井!特機っていうのは、警察の中でも特殊な機関なんだよ。警察内部でも奴らの情報っていうのは手に入りにくいんだ。
特に俺のようなシタッパに如月みたいな高官の情報なんて漏れ聞こえてくるわけないんだよ・・・。」
「でもさ〜、噂くらいあるんじゃない?あんだけの人物と事件だよ〜〜。」
かすみがふてくされている。
「そう思うだろ?特機に関しては噂さえ漏れ聞こえないんだよ。
あそこの職員の結束力は半端じゃないからな〜。口の堅さじゃ天下一品だな。
元職員っていうのも、特機の事は一切喋らないらしいしな〜・・。」
「すごいわね・・。一つの組織がそんなに結束が固いなんて、聞いた事がないわ。どんな所よ一体。」
心理学専攻のかすみが興味を抱く。ナチのように軽い洗脳状態でもなければ無理な話である。
しかし、警察機構がそんな事をするはずがないので、そうなると、信頼関係が強いことになる。
一番理想的で且つ一番難しい事である。
「悪いな、真山。役に立たなくて・・・。」
誠が軽く頭を下げる。
それに対して、美咲は両手を広げて左右に数度振る。
「やだ!気にしないで!・・でも、色々調べてくれたんでしょ?ありがとう。」
目の前のすまなそうな顔をしている誠に優しく微笑み掛ける。
その笑みに誠の心も少し救われる。
話題が一旦途切れた時、タイミングよく美咲の飲み物が運ばれてきた。
誠は、そのウェイターに中ジョッキのお替りを頼む。ついでにかすみも。
美咲は、前に置かれたグラスを両手に挟んだまま、その赤い色をじっと見詰めていた。
その姿にたまらず、誠がちょっとした真実を話し出す。
「あのさ。特機の隊長って替わってもいなし、代理も立てていないんだ。あれだけの特殊な機関で、
隊長不在ってのはあり得ないんだ。如月に関しての確かな情報があるから
交代もしないし、代理も置かないんだと思う。だから希望を捨てるな!」
誠の励ましに、美咲は微笑み頷く。
「ありがとう。」
「ちょっとは、役にたったわね。」
つまみの豆腐サラダを頬張りながら かすみ が一応褒める。
(なんで、こんなに偉そうなんだ?)
誠の右頬が引き攣る。そして、
(これくらい許されるだろう・・・。)
と自分の発言に言い訳をする。
誠は、つい数時間前まで綾人の指揮の元、11月中旬から広域に渡って
繰り返されてきた強盗事件の捜査をしていたのだ。犯人グループは、
保持者と非保持者の混合窃盗団であったため、特機と被害に遭っている
所轄警察署で合同捜査本部を設置していた。
人海戦術で進めた捜査の結果、新宿のアジトを突き止め、今日の昼、
一斉に取り押さえたのだ。
綾人達3人が追っていた男は、この時、大勢の警官の隙をついて逃亡を図った犯人の一人である。
その彼も今は仲間と一緒に冷たい留置場の中だ。
初日の顔合わせの時に指揮官として青い制服に身を包んだ綾人が
会議室に入ってきた時は、自分の席を立ち上がりそうになる程驚いた。
と共に安堵した。信じて待つ美咲の想いが報われると思われたので・・。
しかし、現実は厳しかった。
捜査方針の説明と班分けが終わり、この日は解散となった後、
綾人の方から誠に近づいてきた。
「元気そうだな。芝山。」
「はい、お陰さまで。」
「敬語はいいよ。」
この場に誰も居なくなったので、綾人が元同級生に立場無く話す事を薦める。
同い年の綾人に敬語を使うのが少々戸惑われる誠にとってはありがたかった。
「お前も生きてたんだな。良かったよ。」
「ああ。奇跡的にな・・・・。」
「なんだ?嬉しくないのか?」
人工浮島一つ跡形も無くなる様な爆発に巻き込まれ、無事に生きているはずなのに、全然うれしそうではない表情の綾人に誠は首を傾げる。
「あんまり・・・・。」
平然と答える綾人に誠は絶句する。
そういえば、前となんだか雰囲気が違う。落ち着いた雰囲気はそのままだが、
虚無感が漂っている気がする。
男の誠が見ても綺麗なアイスブルーとエメラルドグリーンのオッドアイも
今日はくすんで見える。
「真山は嬉しがるぞ。早く教えてやれよ。」
誠のこの言葉に、オッドアイの瞳に少し生気が戻る。
「お前に用があるのはそれだ。美咲に俺が生きてる事は絶対言うなよ!」
「おい!何言ってんだよ!!彼女は、お前の帰りを待ってるんだぞ?
お前だけを想って生きてるんだぞ?」
「おきらめるように忠告しろ。」
「本気かよ・・・・。」
自分の彼女を奪い去った男の言葉とは思えない。
製薬工場で抱きしめあう二人を見たとき、誰も割ってはいる事ができない絆を
感じ、身を引いた。
運命がきめた二人なのだと・・・・。
本当なら、怒りで目がくらみ殴りかかる所だろうが、目の前の男はそんな気にも
させないくらい静かにそこに居る。
「お前、何があったんだよ?何で、真山に逢いたがらないんだよ・・・。」
「美咲が待つ俺と今の俺は違うから・・・。」
「どこが違うんだよ・・・。如月綾人そのものじゃないか。」
なんとなく違いを感じながらも誠はそう言う。
なんとしても、美咲と綾人を逢わせたいので、彼の言葉を否定する。
「今の俺は、生かされてる只の人形だ。」
オッドアイから少しばかりあった生気が消えうせ、顔から表情が無くなる。
「なに・・・言ってるんだよ・・・・・。」
きつく否定したいのに、目の前には、確かに「如月綾人」という人形がいる。
一体、この4・5ヶ月の間に何があったというのだろう。
こんなに人は変われるのだろうか。
この場に、まだ、勉強中とはいえ、心理学者を目指しているかすみが居れば、
何かしら分かったかもしれないと思うと悔しい。
「とにかく、美咲に俺のことは一言も言うなよ。」
綾人は、冷たい視線で冷たく言い放つ。
「それは、上官命令か?それとも、頼みか?」
「どっちでも。お前のいいようにしろ。」
そう言い放つと、綾人は誠に踵を返し出口に向かい歩きだした。
「真山は!」
誠が綾人を引き止めるかのように大声を上げる。
それに対し綾人は、振り向かず立ち止まる。
「真山は、右耳にお前が残していったピアスをはめてる・・・。」
それを聞いた綾人の両手が強く握り締められる。
「芝山・・・・頼むよ・・・。これ以上、俺に美咲を想わせないでくれ・・・・。」
最後の方は泣いているのではないかと思われる程、弱々しかった。
綾人は、その言葉を残して誠の前から立ち去った。
残された誠は、つらかった。
泣きたくなるほど想っている女性に訳があるにしても、自らの意思で
逢わないなど。
しかも、あきらめろと言うなど、同じ男としてつらかった。
そして、今の綾人にこそ美咲が必要なのではないのかと思った。
今、目の前でかすみと楽しそうに話している美咲を見て、誠は心の中で大きな
ため息を付く。
(卑怯だよな・・。上官命令か頼みかって聞いたら、「お前のいいようにしろ」だもんな・・・。そいう風に言われたら、真実なんて告げられるか!!)
誠は、ビールを胃に勢いよく流し込んだ。
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