瑠璃子は、特機の建物の外を中庭に向かって歩いていた。
小春日和の温かな日差しとはいえ、12月である。北風はちゃんと冷たい。
一陣の風が彼女を追い越す。
「さむ〜〜い・・・。」
無意識に両手を肩に持っていき、思わず縮こまってしまう。
瑠璃子は、昨晩の事を考え込んでいる間に仇の行方を見失っていた。
建物中を探して居なかったので、外へ探しに出てきたのだ。
「暖かいんだか、寒いんだか、はっきりして欲しいわね。」
中々見つからない綾人にイライラしている瑠璃子は、気候に思わず
八つ当たりしてしまう。
建物の角を曲がり、中庭へ差し掛かったとき、誰かが何かの曲の
メロディーラインを口ずさんでいるのが聞こえてきた。
「あれ?この曲・・。」
瑠璃子は曲が聞こえるほうに視線を移す。
そこには、木々の間に設置されたベンチの一つに、右足を上げ、
それを抱え込むようにして座っている
綾人がいた。口ずさんでいるのは彼だった。
「こんなに暗い曲だっけ?」
小首を傾げ、一人語つ。
「いいえ。もっと、明るく情熱的な曲よ。」
「ひゃ!!」
ふいに後ろから肩を叩かれ瑠璃子は驚き、小さな悲鳴を上げる。
ゆっくりと振り返ると、春麗が暗い表情で少し遠くの綾人を見つめていた。
「綾人の優先権頂けるかしら?」
春麗は、瑠璃子の方は見ずに尋ねる。
その只ならぬ雰囲気に瑠璃子は、
「どうぞ。」
と答えてしまう。
「ありがとう。」
春麗は礼を述べると綾人へ近づいていく。
瑠璃子は、なんだか、昨日から美人の迫力に負けっぱなしの自分が悲しくなり、落ち込んでしまうが、
それも一瞬の事で、二人の話しが気になるので、なんとか声が聞こえる
であろう巨木までそっと歩み寄り、影に隠れて盗み聞きする。
歌い終えた綾人が軽くため息をついて、少し前かがみになり自分の額と膝を
合わせ、目を閉じる。そこへ春麗がやって来た。
「・・・サティを歌う程想っているなら逢いに行けばいいじゃない・・・。」
「・・・・・。」
綾人は何も答えない。
春麗は、やれやれといった感じで首を軽く左右に振ると、綾人の横に座る。
「なんの用ですか?」
綾人が自分の膝に頭を預けたまま春麗の方を向く。
春麗の表情が厳しさを増す。
春麗は、正面をむいたまま
「昨日、フランス大使館に行ったわね。」
と、静かに問う。
「ええ。それで?」
「それでって・・・。あなた自分がどういう立場か分かってるの?
人工浮島の事件で具現化されたあなたの力を欲する国は、前以上に
増えたのよ!?渡辺本部長なんて、上層部から電話で吊るし上げに
あってるわよ!!『フランスとの取引に応じたのか!?』ってね!!」
春麗が隣の綾人をきつく睨む。
その眼差しに、クスッと微笑むと綾人は膝から頭を離し、片足上げた状態は
そのままに背筋を伸ばす。
「何も恐れる事はないでしょうに・・。僕は、日本と司法取引したんですよ。
罪と家族を盾に取られて。」
「でも、フランス政府は、『13年たてば罪は消える。そもそもあなた一人の
罪ではない。出生地に戻るように。』と言ってきてるでしょう?」
「ええ。・・・しかも、メイフィールドの家も出てきた・・・。」
「なんですって!?」
春麗の方眉が上がる。
綾人の母、アリエノールの実家であるメイフィールド家は、貿易会社を
営んでいる。
数十年前、あまり大きくはない会社の地位を確固たるものにしようとしていた
アリエノールの父は、彼女を大物政治家の息子と政略結婚させようとしていた
が、彼女は、日本人バイオリニストと駆け落ちをしてしまった。
家名に泥を塗ったとして、アリエノールは家族の縁を切られている。
もちろん、彼女が産んだ双子も血縁ではないと公言していた。それは、
彼女達が有名になっても変わらなかった。アリエノールが素直に父の言う事を
聞いていれば会社が傾く事は無かったと思っているメイフィールド家は、
自分達の経営手腕の無さを棚に上げ、彼女達を逆恨みさえしていた。
「今まで僕達親子に無関心だったあの家から『お前は、うちの大事な跡取り
息子だ』なんて言われたら怒りで目の前がくらみますよ。大方、フランス政府
から僕をフランスに呼び戻せば、倒産しかかっている会社を立て直してやる
とでも言われたんでしょう。それに、僕が祖父から相続した財産と
将来祖母から受け継ぐ財産も彼らには魅力的でしょうからね。」
「・・・・それで、大使館に行ったの?」
「ええ。フランスに戻る気は無い事。メイフィールドの家とは関係ないことを
はっきりさせておこうと思いましてね・・・。」
そう言いながら、綾人は上げていた右足を地面に下ろす。
「納得したのかしら?」
「してないでしょうね。・・でも、当分は何も言ってこないでしょう。それなりに
脅してきましたから。」
綾人は、意地悪そうな笑みを春麗にむけておくる。
それを受け取った春麗は、「まったく・・・」と小さく呟き、右手で頭を抱え込んで
しまった。
その様子を微笑んで見ていた綾人の頭に、急にエアメールの文章が
思い浮かんできた。
表面的にしか彼の心配をしていない文章。
丁寧な言葉でありながら、自分達の欲求のみを吐き続ける文章達。
そして、自分を物のような目つきで見る在日フランス大使の瞳。
綾人の心が急速に暗闇に覆われる。
突然、綾人がベンチから立ち上がった。
「ねぇ。春麗は俺が助かった時、うれしかった?」
そう言いながら2・3歩前へ進む。
「当たり前じゃない。私だけじゃないわ。特機(ここ)の職員全員が喜んだわよ。」
春麗は、頭をあげて綾人の背に微笑みかける。
「うん、そうだね。みんな喜んでくれた・・・。本郷長官も、渡辺部長も、
英の家も、如月の家も・・・。」
綾人は春麗に背を向けたまま、黒の革のロングコートを脱ぎ、そのまま地面に
落とす。
小春日和とはいえ、コートを脱ぎ捨てる程暑くは無い。
最近の綾人の不安定さと、目の前の行動のおかしさに春麗から笑みが消え、
体が強張る。
「なにをしてるの・・?綾人?」
そっと、ベンチから立ち上がり、なるべく冷静にやさしく声を掛ける。
その問いに綾人は、答える事も、春麗の方を振り向く事さえしない。
「・・・他の人達も喜んでた・・。でも、それは、僕が助かったからじゃなくて、
この強大な力が無くならなかった事を喜んだんだ・・。戦闘マシーンの
如月綾人が無くならなかった事を喜んだんだ。」
綾人の頭の中に、入院中に見舞いに訪れた人々が発していった、黒い人間の
本性が響き渡る。
にこやかな笑顔の裏の黒い本音。
―― いや〜、君が助かってよかったよ。(今、死なれては、日本は
赤子同然だからな。)
―― ほんと、心配したんだよ。(又、犯罪後進国に逆戻りするところだった・・・。)
―― 早く、元気になって現場に復帰してくれよ。(困るんだよ。検挙率が
下がってきて、マスコミが騒ぎ出したからな・・・。今度の選挙にも差し障る・・・。)
―― 首謀者が死んだのは、これからの捜査に響くが・・ま〜君が助かった
だけで十分だ。(そう。君が・・・君の力があれば十分なんだよ・・・。)
リミッターが外れた状態の綾人に彼らは励ますつもりで肩を叩いたり、
握手をしていった。
いつもの綾人ならリミッターが外れていても、自分で制御できるが、
普通の状態ではなかった彼は、接触テレパスを制御できず、他人の想いを
すべて受けとっていた。
綾人の中に黒い思いが流れ込んでいく。
8年まえのあの時の様に・・・。
綾人は、左手首のシャツのボタンを外し、肘までめくり上げながら話しを続ける。
「・・・巨大な能力、高い戦闘能力、高い知能、高い地位、古い血筋、
莫大な財産・・・。こんな物、俺が望んだ物じゃない・・・。俺が望んだのは・・・。」
綾人がズボンの右ポケットから何かを取り出した。春麗からは、それが何なのかはっきりとは分からなかった。
ポケットから取り出した物を両手でいじった後、綾人が左腕を上げる。
そして、手首と肘の中間部分に鋭利な金属があてられる。
それは、携帯ナイフの一種であるスイス・アーミー・ナイフであった。
遠くで見ている瑠璃子と近くで見ている春麗の全身が凍る。
「やめて・・綾人・・・。」
春麗が首を横に振る。
綾人に近づきたくても、恐怖で体が固まり、足が前に出ない。
腕にナイフをあてたまま、綾人が体をずらし、春麗の方を向く。瞳が尋常では
なかった。
「俺が望んだのは・・・・・樹里の幸せだ・・・。」
無表情に、ナイフを持っている右腕が力強く下に引かれ、彼の腕から鮮血が
あふれ出す。
緑の芝生に赤い血の雨が降り出す。
「きゃあああああああああああああああ!!」
「綾人!!」
瑠璃子の絶叫と、春麗の叫び声が中庭に響き渡る。
それを無視するかのように、彼は更に、血に染まったナイフを左の手首に
あてがう。
綾人の頭に8年前の言葉がフラッシュバックする。
――― 良かったよ。死んだのが、妹の方で・・。
綾人の右手に力が篭る。
「樹里を踏みにじってまで、俺は生きながられたくなんかない!!」
「やめてぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
春麗があらん限りの声を張り上げた。
今、綾人は、数ある処置室のうちの一室に手当てが終わり、寝かされていた。
左腕に白い包帯が巻かれているが、手首は無傷だった。
綾人が左手首を切ろうとした瞬間、陽介が懐に現れ、綾人の鳩尾に一撃を
加え気絶させ、医療部へ運び込んだ。
綾人は、また、死を免れた。
鎮静剤によって眠っている彼の傍らには、春麗と瑠璃子が椅子に座り彼を
見守っていた。
瑠璃子が、綾人の左腕に巻かれている包帯にそっと手を添える。
「やっぱり、この人、精神(こころ)がバランスを失ってるのね・・・。」
「気付いたのね・・・。」
春麗の問いに、瑠璃子は一度コクンと頷く。
「そうよね・・。あなたのお義兄(にい)さんの事件以降、この子の狂気は表面に
表れだしているから、10日も一緒にいれば、気付くわよね・・。」
「この人、いつから、こんな風なんですか?」
「・・・8年前から・・・。」
「えっ!?」
瑠璃子は、綾人の腕に添えた手はそのままに隣に座る春麗を見る。
彼女はゆっくりと目を閉じた。気持ちを落ち着けるために・・・。
その目に綾人と良く似た愛らしい少女の笑顔が浮かぶ。
(樹里・・・。)
春麗が目を開け、話しを続ける。
「8年前に、とても大事な物を失くしてから、この子は、『自分』というものを
暗闇に封印してしまったの・・・。」
「大事な物って、彼が叫んでいた『樹里』って人?」
「そうよ。この子の魂の半分・・・・。双子の妹・・・。殺されたのよ、綾人と
間違われて・・・。」
「!!」
瑠璃子は目を見開き、春麗を見つめる。
春麗は、悲しげな表情で瑠璃子を見つめ返す。
「魂の半分を失ったこの子は、暗闇に身を沈め、死を願いながらも妹の
犠牲でなりたっている命を自分から絶つこともできずに生きてきたのよ。
大小様々な心の傷を負いながら・・・。」
「・・・・・・。」
「そして、愛した女性まで命の危険に晒してしまったこの子は、自分の存在を
完全に否定して、あなたのお義兄さんの誘いに乗って、死のうとした・・。
でも・・・。」
「でも、生き残ってしまった・・・。」
春麗が途中で止めた言葉を瑠璃子が冷静に続けた。
春麗はその言葉に頷くと、視線を目の前で眠る綾人に移す。
「・・・。あなたには悪いけど、私達は本当に嬉しかったのよ。この子だけでも
助かって。でも、それが、こんなにもこの子を苦しめる事になるとは
思わなかった・・・・。」
春麗は、右手の指の背で綾人の頬を優しく撫でる。
「この子が失ったのは、妹だけじゃないのよ。・・・7歳の時、自分の目の前で
父親を殺されているの。・・・お願い。この子が、順風満帆に、のうのうと
生きているとは思わないで・・・。」
春麗の悲しく、つらそうな表情と、綾人への愛情の篭った言葉に、瑠璃子は、
自分の感情だけで動いてきた今までの行動を、一気に後悔しはじめた。
拓海が犯した罪の重さは分かっている。しかし、愛しい人を永久に奪われた
自分は、失った悲しみに一方的に綾人を憎んでしまった。彼に、悲しみを
ぶつけてしまった。
きっとこの事も彼の心に傷をつけたであろう・・・。
急速に、瑠璃子から綾人への殺意が消えていく。そればかりか、
浅はかな行動で彼を傷つけた事を後悔していた。表面だけで、人を判断した
自分を恥じた。
未だ眠る綾人の腕の傷口にふれたままの手を、彼の左手に移し、
指先を軽く握る。
それが、合図のように綾人の目がゆっくりと開きだした。
狂気の消えたアイスブルーとエメラルドグリーンの瞳が現れる。
「気が付いたわね。」
春麗がほっとした表情で綾人に話しかける。
綾人は、ぼうっとした表情で自分の左側に居る人達に顔を向ける。そして、
自分の手を握る瑠璃子を瞬き一つせず、見続けている。
「えっ!?・・あっ・・・ごめん!!」
そう言って、瑠璃子が手を離そうとした時、それを拒否するように綾人が強く
握り締めてきた。
これには、瑠璃子も、側に居た春麗も驚いた。
しかし、その驚きも納得に変わる。
「・・・・美咲・・・。」
綾人は、愛しい女性(ひと)の名を呼ぶ。
彼は、瑠璃子を見ていたわけではなかった。綾人にとって、今、彼の手を取り、
側にいるのは美咲だった。
綾人は、美咲だと思っている瑠璃子を愛しそうに目を細めて見つめる。
それは、長年一緒にいる春麗でさえ見た事の無い表情だった。
「・・・・ごめん・・・。」
そう呟いた綾人の左のアイスブルーの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「ごめん・・・・。」
瑠璃子の手を握る力が弱まり、綾人の瞳が閉じられる。
綾人は、気が付いたのではなく、夢を見ていたのだ。しかし、それは、
彼の隠されたもう一つの心が表面に表れたことでもあった。
「まったく、この子は・・・・。どうして・・・。どうして幸せから背を背けるの・・・。」
春麗が俯き、両手で顔を覆い、声を殺し泣き出す。
春麗は、綾人には、誰よりも幸せになって欲しかった。でも、自分は苦しむ
綾人に何もしてあげられない。その事が、とても悔しかった。
自分の無力さに腹がたつ。
それは、綾人を春麗同様、弟のように可愛がっている京も同じであった。
綾人が自身を傷つけた事を知った彼は、屋上で悔しさと腹立たしさを紛らわす
かのように次々とタバコを吸っていた。味などしない。
「ちくしょう・・・・。」
京は、空になったタバコの紙箱を力いっぱい握り締め、溢れそうになる涙を
堪える。
瑠璃子は、綾人の手を離し、処置室を静かに後にした。
姉と弟の二人っきりにする為に・・・。
処置室を出た途端、瑠璃子の両目からボロボロと涙が溢れ出てきた。
室内に充満する優しさと悲しさが、彼女の胸を締め付ける。
自分一人が不幸だと思っていたことを恥じ入る・・・。
誰にでも、優しく見守ってくれる人が居る事を思い出した。自分が嬉しい時は、
一緒に喜び、悲しいときは、一緒に泣いてくれる人がいる事を・・・。
春麗と綾人は思い出させてくれた。
血のつながりの無い自分を慈しんで育ててくれた養父母の笑顔が思い出
される。
瑠璃子は、泣きながらその場に座り込む。
「・・・ごめんなさい・・・・お父さん・・お母さん・・・・。」
周りを省みる事無く、自身を汚し、戻れぬ道へ踏み込んでしまった事を、
優しい養父母に心から詫びながら、彼女は泣き続けた。
その日、綾人は代々木の祖母の家へ、瑠璃子は春麗のマンションへ泊まった。
翌日。
綾人は、何事もなかったかのように出勤し、淡々と仕事をこなして行く。
その姿を観察していた瑠璃子は、火山の噴火を思い出した。マグマを溜めに
溜めて爆発するタイプの火山を。
爆発した後は不気味なほどの静けさに戻る様子と、綾人の今の姿が重なる。
しかし、昨日の爆発は小規模で、いつ又爆発するか分からない危うさが
感じられた。
でも、綾人は火山ではないので、大元を解決すればその危険性は無くなる
はずである。
(解決法ねぇ・・・。)
そのような物があれば、長年一緒にいる京と春麗が実行しているはずである。
無いから彼は未だにあの状態なのだ。
そんな事を、屋上から昨日の中庭を見下ろしながら瑠璃子は考えていた。
そして、昨日の現場を見ながら、
「私も、ゲンキンなものね・・・。」
と、瑠璃子は苦笑いをしながら呟いた。
ほんの数日前まで自分は仇として綾人の命を狙っていた。それなのに、
今日はその彼を心配している。
いくら彼の心の傷に触れたからといって、この変わり身は自分自身も少々嫌に
なる。
そんな自己嫌悪に陥っている時、
「風邪ひくぞ。」
という声と共に、首元にカシミアのマフラーが巻かれた。
首に柔らかい温かさが広がる。
振り返ると、口にタバコを咥えた綾人が立っていた。
「ありがとう・・・。でも、あなたが巻いていた方がいいんじゃない?」
瑠璃子は、コートを羽織っている自分とは違い、セーターの上には何も着て
いない綾人に指摘する。
「いい。暖房でぼうっとした頭を冷やしたいからな。それに、女性は体を
冷やさないほうがいいだろう?」
そういいながら、綾人はタバコの煙を瑠璃子の方に行かないように横に吐く。
瑠璃子は、命を狙う自分に気遣う綾人が急に可笑しくなって笑い出してしまった。
「なにがそんなに可笑しいんだ?」
綾人は、人差し指と中指で挟んだタバコを親指でピンッと弾きながら、訝しげに
聞く。
「だって・・。あなたも人の事言えないわよ。自分の命狙ってる奴の体調なんて
気にする事ないでしょうに。変な人。」
そう言って、瑠璃子はまた、笑い出した。
それを見て綾人の顔もほころぶ。
「やっと、笑ったな・・・。」
「えっ?」
綾人の言葉に瑠璃子の笑いが止まり、きょとんとした顔つきで綾人を見る。
「女性は笑っていた方がいい。なるべく笑ってろ・・・。」
綾人は、タバコを地面に落とし、靴底で踏み潰し火を消す。
その脳裏には、美咲の草原の花達のような可愛らしい温かな笑顔が浮かんで
いた。
綾人の殺伐とした気配が和らいでいく。
その変化に瑠璃子も、綾人が昨日、自分に重ね合わせた女性の事を
思い出している事が伺われた。
そして、その女性こそが『解決法』なのだと確信する。
「ねぇ、美咲さんって人は笑顔が可愛い?」
この言葉に、和らいだ綾人の気がピンッと張り詰める。
「なんで・・・お前が・・・・。」
「うん・・・。あなた、昨日、私の事を『美咲』って呼んだのよ・・・。」
綾人は軽く舌打ちをして、真摯に自分を見つめる瑠璃子の視線から逃れる
ように、顔を横に向ける。
「夢に見るほど大切な人なんでしょう?否定してもダメよ。あなたが美咲さんに
送る優しい瞳を私は昨日見たんだから・・・。」
瑠璃子は、綾人から視線を逸らさず、まっすぐに見つめる。
その態度に観念したかのように、綾人は深いため息をついた後、
前髪を掻き揚げながら、瑠璃子に向き直る。
「そうだよ。自分の命より大事な女性だ。」
「世界中の誰よりも?」
「ああ。あんなに激しく愛した女性はいない。」
綾人の痛いくらいの真剣な眼差しに、瑠璃子は、彼の美咲への想いの深さを
痛感する。
「そんなに想っている女性が、なぜ側に居ないの?」
「俺の側に居ると危険だからだよ。自分のせいで彼女が又傷つくのは
ごめんだ!」
「それは、あなたのエゴだわ!彼女の気持ちはどうなるの?どんな危険でも
あなたの側に居たいはずだわ!!」
「その彼女の気持ちなんだけどね〜。」
声を張り上げて言い合う二人以外の声・・・、のんびりとした声がした方を
二人が同時に振り向く。
そこには、いつものにこやかな笑みを湛えた陽介が、小脇に綺麗に包装された
小さな包みを持って立っていた。そして、
「美咲さんから伝言を預かってきたんだ。」
と言いながら綾人に近づく。
「陽介!!」
「あ〜〜、そんな怖い顔しない、しない。お昼に偶然会ったんだから。」
綾人の怒気をものともせずに、陽介は微笑み、右手の人差し指を左右に振る。
(すごい・・・。ツワモノだわ・・・・。)
綾人の怒気に思わず一歩後ろに下がってしまった瑠璃子が飄々としている
陽介に心から賛辞を送る。
「彼女は、君が生きてる事を知ってたよ。元気かどうか心配してた・・・。
で、彼女からの伝言は・・・。自分の気持ちは、サティの女性版なんだって。
あと『いつまでも綾人君を待ってます。』だって。それと、これは、彼女からの
一足早いクリスマスプレゼント。」
陽介が満面の笑みを湛え、小さな包みを綾人に差し出す。
この笑みには、さすがの綾人も毒気を抜かれ、
「ありがとう・・・。」
と素直に礼を述べ、プレゼントを受け取る。
「あたしは少しも悔やまない。願いはたった一つだけ。
あなたのそばで、すぐそばのここにいて、生涯を送ること。」
瑠璃子が美咲の気持ちであるサティの一部を口ずさむ。
綾人は、黙ったまま俯き、目を閉じる。
「Je te veux(ジュ・トゥ・ヴー)か・・・・。」
そう言った顔が歪む。何かを必死で堪えているかのように・・・。
美咲の純粋な想いが綾人の心に広がり、胸を締め付ける。
押さえつけていた美咲への想いが溢れ出し、更に募りだす。
今すぐにでも彼女の元に行きたい。
声が聞きたい。
抱きしめたい。
あの柔らかな肌に触れたい。
「でも・・・俺は・・・・・・・。」
綾人は、右手でセーターの胸の辺りを強く握り締める。
彼は、今回も春麗が言うように幸せから背を向ける。
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