綾人が精神のバランスを失い、自身を傷つけた日の翌日。
綾人と瑠璃子が屋上で話しをする数時間前。
美咲は、かすみと一緒に家族と友人達へ贈るためのクリスマスプレゼントを
買いに新宿に来ていた。
クリスマス商戦、年末商戦、お歳暮の三つが重なり、デパートの中は人で
ごった返しており、プレゼントを選んでいて疲れるというより、人ごみに
疲れてしまう。
「だ〜〜〜〜!!参るわね、この人ごみには・・・。」
かすみが辟易した顔で美咲に訴える。
美咲もほんの一・二時間ほどの買い物にいつもの倍以上の疲れを感じ、
いつもの穏やかさがない。
「ほんとよね・・・・。私、あと、お父さんのが残ってる・・・。」
「私もよ・・・・。」
『は〜〜〜〜。』
疲れきった顔で二人同時にため息をつく。
「とりあえず、紳士服売り場に行きましょう。」
「そうね・・・・。」
美咲の提案に、かすみが賛同し、これまた人・人・人のエスカレーターに何とか
乗り込んで紳士服売り場へとむかった。
「ここは、なんとか空間がありそうね。」
いつも以上には人が居るとは言え、他の売り場に比べれば随分空間に余裕が
ある売り場に来てのかすみの第一声である。
二人は、ブラブラと歩き出す。
ネクタイ・ハンカチ・ワイシャツ・財布・パスケース・・・・小物系を隈なく
見てみるが、どれもピンと来ない。どうかすると、以前なにかの折に贈っている
事もあった。
「父親へのプレゼントって毎度のことながら困るわよね〜〜〜。」
かすみは、人ごみに疲れた事と、プレゼントに悩みすぎて頭が飽和状態で
足取りがふらついている。
「ほんと・・・。毎回、似たりよったりで・・・・。」
かすみの問いかけに答えていた美咲の目に、ブリリアントグリーンを基調にした
タータンチェックのカシミアのマフラーが飛び込んできた。
なんとなく、それを手に取る。
(喉・・・痛めてないかな・・・・。)
乾燥するとすぐに喉をやられると言っていた綾人が気に掛かる。
その時、
「綾人君へのプレゼント?」
と後ろから聞き覚えのある声が問いかけてきた。振り向くと温和な笑みを
湛えた陽介が立っていた。
美咲の顔から疲れの色が払拭され、一瞬にして明るくなる。
「高尾さん!」
「お久しぶり。元気だった?美咲さん?」
かすみは初めて会う人物に小首をかしげる。
「どちら様?」
美咲とかすみは、陽介のお勧めの喫茶店に来ていた。
ここは、通りから入った路地にあり、知る人ぞ知るといった感じの店だった。
店内も、表通りの人出の割には客はまばらで落ち着けた。
静かにピアノ曲のCDが流れている。
「かすみ、この人、特機の高尾陽介さん。この前の事件の時にお世話に
なったの。」
美咲が目の前の陽介を友人のかすみに紹介する。
陽介は、微笑んだまま軽く会釈する。
「はじめまして。美咲の友達の桜井かすみです。」
かすみも軽く会釈する。
「桜井?・・・・・・あ〜〜〜〜!綾人君が言ってたのって君か〜〜〜。」
「何言ってたんですか、あの男!!」
「うん?・・・え〜〜とね・・・。秘密〜。」
もったいぶっておきながら、陽介は口元に人差し指を置き、ニッコリ笑う。
美咲とかすみの体から一気に気力が抜けていく。普通なら食い下がる
かすみだが、目の前の男にはそんな気にならなかった。
(珍しい・・・。かすみが食い下がらない・・。)
美咲も親友の始めての姿に驚く。
そんな二人の状況をわかっているのかいないのか、陽介は自分のペースで
話しを進める。
「で、美咲さんが僕にすぐに綾人君の安否を尋ねないという事は、彼が生きて
復職してる事は知ってるんだね。」
「はい。父から聞きました。」
「ああ。お父さん、フリーライターだったね・・・。その手の情報は入り易いか・・・。」
「ええ。・・・あの、綾人君、元気ですか?怪我の具合とかは・・・。」
「う〜〜ん・・。元気・・・・。元気ねぇ・・・・・。」
いつもの陽介なら柔和な微笑みで「元気だよ」と嘘ぶる所であるが、昨日の
今日である。とても、そんな気にはなれなかった。
笑みが消え、考え込んでしまっている陽介に美咲は不安を覚える。
「何かあったんですか?」
「・・・・。あの事件の時の怪我はすっかり良くなってるけど、精神的にね・・・。」
「大丈夫なんですか?」
美咲は、不安気な顔つきで陽介を見る。
「本当はね、君に綾人君に会ってもらって支えてあげて欲しいんだけど、今、
僕等は、『ブラック・エンジェル』の日本での総元締めのシンジケート
壊滅作戦中で、綾人君と部外者の接触は難しいんだ・・。」
「はい。父も言ってました・・・。」
「それに、綾人君自身が君に会う事を頑なに拒んでるんだ。」
陽介のこの言葉に美咲がショックを受ける。
「どうして・・・。」
「ああ・・そんなに悲しい顔しないで・・。彼はね、君をあの時以上の危険に
晒したくないんだよ。」
陽介は、美咲を安心させるかのように優しく微笑みかける。
その笑みに沈んだ美咲の心が救われる。
「そんな気遣い使って欲しくないな・・・。」
「美咲・・・。」
少し悲しげな友人の手に、かすみが励ますように手を添える。
しばらく、三人の間にピアノの調べが流れていた。
曲が変わる。
「あれ?この曲ってこんなに明るいの?」
沈黙を破り、陽介が曲に反応する。
「ええ。元々、シャンソンで情熱的な歌ですけど?どうしてですか?」
きょとんとした顔で美咲が陽介に尋ねる。
「うん。昨日、綾人君が口ずさんでた時は、えらく暗かったから・・。」
「綾人君が、この曲を!?」
美咲が驚き、身を乗り出す。
その行動に驚いた陽介は逆に身を引いてしまう。
「う・うん・・・。」
いつもの笑顔が引き攣る。
「美咲、この曲知ってるの?良くCMとかドラマで流れてるけど、私、
曲名知らないんだよね〜。」
「うん・・。この曲はね、フランスの作曲家エリック・サティがアンリ・パコーリの詩
に曲を付けたシャンソンなんだけど、男性版と女性版があるの。
相手を激しく想う情熱的な歌なのよ。原曲名は『Je te veux』・・・日本名は・・・
『あなたが欲しい』・・・。」
三人共に押し黙ってしまう。
かすみと陽介は、
(そんなに想ってるなら、なんだかんだ言わずにさっさと逢いにくれば
いいのに・・・。)
と、綾人の行動にじれったさを感じ、美咲は、静かな雰囲気の彼からの激しい
想いと自分への気遣いに胸が苦しくなる。
今度は、美咲が沈黙を破る。
「あの・・。彼に伝言を頼んでもいいですか?」
「いいよ。なに?」
陽介がいつもの笑みで快諾する。
「はい。・・私の気持ちは『Je te veux』の女性版だということと、私は、
いつまでも綾人君を待っています・・・と・・。」
「確かに預かりました。これと一緒にちゃんと届けるよ。」
陽介は、デパートで預かった紙袋を指差し微笑む。
それにつられるかのように美咲も微笑む。
陽介と別れた二人は、スパゲッティ専門店でランチを食していた。
お昼の時間帯を外してもかなりの客の入りであった。
注文した料理がでてくるのに、いつも以上の時間が掛かった。
疲れている二人は、珍しく何も話さず、黙々とスパゲッティを食べている。
その時、ふと、かすみがある疑問を美咲に問う。
「ねぇ・・・。さっきの高尾さんっていくつ?」
「え!?・・・・・・さぁ・・・。見た目は私達と変わらなそうだけど・・。どうして?」
「う〜〜ん。なんとも正体不明な人だったから・・・。」
「え!?かすみが性格を見破れない人っていたの!?」
かすみは、初対面で人の性格がほとんど分かる。美咲が知る範囲では、
外した事もなければ、分からないなんて事は一度もなかった。
そんな彼女に見破れない人がいるというのは、天地がひっくり返りそうな
ほどの驚きだった。
「居たみたいね・・・。一体どんな人なんだろう・・。また、会ってみたいな・・・。」
かすみの口ぶりは、興味を持った人物に会いたいというより、好きな人に
会いたいといった感じだった。
それに気付いた美咲は何も言わず、どこかあらぬ方向をみている友人を
温かな眼差しで見守った。
その日の夜。
美咲は、自室のベットの上で一日の疲れを癒していた。あの人ごみに
心身ともにボロボロであった。
(は〜〜〜。バイトより疲れたわ・・・・。)
バイト以上に疲れている両足を丁寧にマッサージしている時、部屋のドアが
軽くノックされる。
「ど〜ぞ〜。」
部屋の主の了承を得て入ってきたのは、トレイにティーポットとティーカップ二つ、レアチーズケーキ二つを乗せて運んできた、姉の清香だった。
「あれ?今日は早かったの?」
「うん。実は、もっと早く帰ってきてたんだけど、お父さんと話しこんじゃってね。」
「ふ〜〜〜ん。」
元新聞記者の父と現役の新聞記者である姉が話しこむのは珍しくないので、
別段気にも留めなかった。それより、トレイのケーキが気になる。さっき、
夕食を食べたばかりだが・・・。
清香が小さな丸いガラステーブルにお茶の用意をしていく。
「どこのケーキ?」
姉にケーキの店を訪ねながら美咲がベットから降り、テーブルにつく。
「お店のじゃないのよ。同僚のお母さんの差し入れでね、手作りなのよ。」
「へ〜〜〜。見た目、どっかのお店のケーキだよ。・・・食べてもいい?」
「どうぞ。」
姉の了承を得た美咲は、フォークでチーズケーキを切り、口に運ぶ。
レアの部分が口にいれた途端、ゆっくりと溶けていく。
「すっごい!口の中で溶けちゃったよ〜〜。おいしい!!」
「でしょう?このお母さん、よく差し入れしてくれるんだけど、その手作りの
お菓子達が絶品!!お店出せちゃうよって評判なのよ。」
「だと思う。ねぇ、今度、このチーズケーキのレシピ教えてもらってきてよ。」
「わかった。」
清香は、チーズケーキを顔中ほころばせて頬張る年の離れた妹を、
紅茶を飲みながら見つめていた。
そして、何気ない話題のように
「そういえば、綾人君、生きてたんだって?良かったね。」
と、この部屋を訪れた本来の目的を切り出してきた。
母同様、綾人の事を猛烈に反対していた姉のこの優しい言葉に美咲は
手にしているフォークを落としそうになる。
「さっき、お父さんに聞いたのよ。・・・なにその驚いた顔は・・・。」
美咲の表情に姉がちょっと不機嫌になる。
「だって・・お姉ちゃん・・・。」
「まぁね・・。激烈に反対してたわよ。でもね、昨日、彼氏にその事で
怒られちゃって、考え直したのよ。」
「怒られた?」
「うん。『君は、僕がその彼と同じような境遇にあったら、あきらめるのか』ってね。それを言われてハッとしたわよ。真剣に恋してるのに、そんな事ぐらいで
あきらめられるわけないわよね・・・。」
清香は、右手で持っていたカップを支えるかのように左手を添え、
はにかんだ様に笑う。
美咲は、黙って姉の話しに耳を傾ける。
「私ってば多方面から物事を見極めなくてはならない職業についているくせに、
美咲と彼の事は、一方方向からしか見てなかったのよね・・・。姉としてしか
見てなかったの。同じ女性として見ればあなたの気持ちが痛いくらい
分かるはずなのにね。ごめんね。」
「ううん。私も、お母さんやお姉ちゃんが心配する気持ちが分かったから。
いいよ、別に。」
美咲は、何事もなかったかのようにケーキの残りを頬張りだした。その様子を
見ていた清香は、先ほど父親から聞いた綾人の環境に妹が潰されるのでは
ないかという、新たな心配を抱いていたが、見かけの柔らかさからは想像
できない芯の強さと、羨ましいくらいの包容力をもっている事を思い出し、
美咲なら綾人の全てを包み込んでしまうかもしれないと思った。
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