Final Distance Scene4
『』=英語「」=フランス語

アリエノールの懐妊が分かってすぐに若葉は彼女を伴って、フランスへ戻りパリ郊外のバルビゾン村に居を構えた。慣れない日本で産み育てるより慣れた土地の方が、母体の精神衛生上いいだろうという若葉の配慮だった。
本来なら、モンターニュ卿より英(はなぶさ)の権力(ちから)が弱いフランスに戻るのは無理な話しであったが、二人を助けてくれる人物が現れた。
音楽に造詣が深く、若いが財力も権力もモンターニュ卿に引けをとらない、エドアール・ジョスマール伯爵がアリエノールのパトロン(注1)となった事で、モンターニュ卿の二人への妨害工作はなくなったのだ。
アリエノールと若葉のファンであったジョスマール卿は、二人の苦境を知り
「醜い自尊心のために、二人の輝かしい未来を閉じさせるのは間違っている」
と、手を貸したのだ。彼は、その後、二人の子供たちのパトロンにもなる。

そして、アリエノールのお腹が目立ち始めた冬。
若葉は、彼女から子供が出来た事を告げられた時と同じ位の衝撃を与えられていた。
『双子!?』
ソファに腰掛けているアリエノールの傍らで、若葉の切れ長の目が眼鏡がズレ落ちそうなくらい大きく見開かれている。
ちょっとやそっとの事では動じない夫の動揺しているその表情を楽しそうに彼女は見つめている。
お腹を優しく撫でながら・・・。
『今日の検診で分かったんだけど、心音が二つあるんですって。』
『はぁ・・・。これはまた・・・・。』
若葉は、座る妻の前に動揺した顔のまま跪くと、横に向けた顔を彼女の腹部に
そっと寄せる。
それは、まるで自分の耳で二つの心音を確かめているように見える。
『僕たちは贅沢だね。一度に二人の子供に恵まれるなんて・・・。』
『その分、大変さも2倍よ?』
『それは、この子達のほうでしょう・・。僕の子供として産まれてくるという事は、
 それなりに注目も期待もされる。何といっても英の血だ・・。外戚とはいえ、
 あの一族の一員である事には変わらない。格式高く、権力のあるあの古い
 家柄にこの子達が翻弄されるのではないかと思うと・・・。』
若葉はそのまま静かに目をとじる。
『英の家が嫌いなわけじゃないよ。僕にとっては大好きな家族だ。・・・でも、
 この子達にとってはそうではないかもしれない・・・。』
軽くため息を付いた後、彼は、アイエノールの腹部から聞こえてくる音に耳を傾ける。そこから聞こえてくるのは小さな心音ではなく、海の中に潜った時に聞こえるくぐもった細波の音。遥か昔、自分も聞いていた様な気がする音に彼は身を
預ける。
この時、アリエノールは、いつも優しい雰囲気の中に確固たる自信を漂わせている夫が、道に迷い不安を抱え、怯える子供の様に見えた。
彼女は、彼の髪を優しく撫でる。
『大丈夫よ。私と貴方の子供よ?そんな事、笑い飛ばして生きていくわよ。
 もしかしたら、それを利用して器用に生きていくかもよ?』
アリエノールの優しい言葉に、若葉が顔を上げる。その彼の両頬に彼女はそっと自分の両手を添える。
『パパがそんな弱気だと、これからこの世界に出てこようとしてるこの子達が
 不安がって出てこなくなるわよ?貴方は、この子達が一人前になるまでの
 道標なんだから、しっかり立っててもらわないと困るわよ。』
若葉を優しく包み込みそうなアリエノールの笑顔は、もうすでに母親の微笑み
だった。
その微笑を若葉も小さく微笑んで受け取る。そこに、不安も怯えもなかった。
『そうだね。・・・ありがとう、アリエノール。君は、まるで女神様のようだね。』
『あら?今頃、気が付いたの?私は、今までも、これからも貴方の女神よ。』
『ふふ・・、それは心強いな・・・。』
若葉は妻の激励の言葉に微笑みながら、また、彼女の腹部に耳を添える。先ほどの懐かしい音の中に違う音が聞こえてくる。それは、じゃれ合い、笑い合う幼子達の声だった。
若葉の頬が自然にほころぶ。
『あと、数ヶ月したら会おうね。パパが待ってるよ・・・。』
若葉は、まだ見ぬ我が子達に小さく語りかけた。


それから数ヵ月後の5月。
如月若葉の名前の由来となった新緑たちが光り輝く中、日本から駆けつけた若葉の母・静子といとこの瑤子が見守る中、二つの小さな命が産声をあげた。
男の子と女の子の二卵性の双子であるにも関わらず、この双子は一卵性のようにそっくりだった。
強いて言えば、男の子の方が父親似で、女の子の方が母親似のようだ。しかし、それはよくよく見ての話しである。
『ほ〜〜。材料がいいと出来上がるものも違うのね〜〜。格好いいね〜〜
 きみ〜〜。』
処置が済み、産着に包まれた男の子を抱いた瑤子が目を細め、嬉しそうに語りかけている。
産まれたばかりの皺だらけの赤ん坊も、親戚の彼女が見ると格好よく見えるらしい。伯母馬鹿が発揮されているかもしれない。
彼女と夫の間には子供がいないので、ことさら可愛いのかもしれない。
『ほんと、綺麗な子だね。』
静子も初孫を抱いて嬉しげにあやしている。こちらは、ババ馬鹿が発揮されて
いる。
そんな二人をベットの上で横たわったままアリエノールは幸せそうに微笑んでいた。愛する人の子供の誕生。それを無条件に喜んでくれる大好きな人達。そんな情景の中に身を置いている今がとても幸せに感じた。若葉との恋をあきらめないで本当に良かったと思った。
ただ、ここに自分の母親が居ないことが残念だった。彼女が生きていれば、それはそれは喜んでくれたと思うので・・・。
『あら、やだ、私ったら・・・。』
アリエノールが少ししんみりとなった時、瑤子が何かを思い出した。
『この子達の父親に連絡するのを忘れてたわ・・・。今頃、ホテルの部屋でウロ
 ウロしてるわね。それはそれで見ものだけど。あっ、あと日本の男共にもね。』
そう言いながら、彼女はクスクス笑うと手の中の赤ん坊を母親の腕の中に静かに返し、病室を出て公衆電話へと向かった。子供の父親の若葉と、日本で待つ祖父になる如月隼人、瑤子の兄で次期英当主の龍哉、そして瑤子の夫に連絡をいれる為に。
母親の腕に帰ってきた男の子は、一度「う〜〜〜〜」と言って伸びをしたあと、
スヤスヤと眠りだした。
自分の腕の中で無防備に眠る姿に、アリエノールは、愛しさが膨れ上がる。イギリスで公演中の若葉に早く見せてあげたかった。
『パパはお仕事で忙しいから、貴方達に会えるのは来週ね。それまで、
 我慢してね。』
アリエノールが眠る男の子の頬を指で軽く突付いたとき、
「うっ・・・。」
と、双子が同時に言葉にならない言葉を発した。
それを聞いたアリエノールと静子は、目を丸くしたままお互いの顔を見つめあう。
『ねぇ、アリエ・・・。この子達、今、返事をしたのかしら?』
『・・・・・たぶん・・・・。』
二人は互いの腕に抱く赤ん坊を覗き込む。
大人を驚かせた張本人たちは、何事もなかったかのように気持ち良さそうに
スヤスヤと眠っている。

そして、翌週。
若葉が、イギリス公演を終えて帰国するという日に、アリエノールの表情は暗かった。時々、ため息もついている。
「は〜〜〜・・・。」
今も、自分達のキングサイズのベットに腰掛け、隣に並ぶ二つのベビーベットを見つめ、ため息を付いている。今日はこれで何度目だろうか・・・。数え切れない。
そんな母親の様子など何処吹く風と言わんばかりに、双子は気持ち良さそうに
眠りこけている。
(どうしよう・・・・・・。)
アリエノールの視線がベビーベットから足元に移った時、寝室の扉が数度軽く
ノックされた。
『僕だけど、入ってもいいかな?』
若葉がイギリスから帰ってきたのだ。
『えっ・・・ちょ・ちょっと待って!』
アリエノールは傍らにあるガウンを手に取り、素早く寝巻きの上に羽織ると、ベットから降り、扉へと歩いていく。いささかな不安を抱えながら・・・。
アリエノールが扉を開けると、そこには、興奮し高揚しきった若葉が満面の笑みで立っていた。
『ただいま!アリエノール!!』
『お・・お帰りなさい・・・。』
なんとかいつもの様に笑おうとしたが、不安からくる緊張で引き攣った笑顔に
なってしまった。
妻のいつもと違う雰囲気に若葉は抱きしめようとしていた腕を途中で止めて
しまう。
『どうした?具合でも悪いのかい?』
『う・・うん・・・。ちょっと寝不足で・・・。ふ・二人、面倒見るのって、やっぱり、
 大変で・・・。』
『もっと母に頼ればいい。しばらく此処に居てくれるんだから。』
『そ・・・・そうね・・・。で・でも、何か悪くて・・・・。』
そう言うアリエノールの笑顔がまた、引き攣っている。何だか自分と視線を合わそうとせず、話し方もいつもの彼女と違う事に、何か隠していると感づいた若葉が何かを言おうとして口を開いた時、寝室の奥で何かモゾモゾと動く物が目に入ってきた。
それが、自分の子供たちだと若葉が認識するのに1秒もいらなかった。
『起きたのか!?』
若葉は、妻の隠し事のことなど一気に忘れ去り、愛しい我が子との初対面に逸る気持ちを抑え、子供達の機嫌を損ねないようにゆっくりと近づいていく。
そんな夫の後ろ姿を見送りながら、アリエノールは奥歯に力を入れ、口を真一文字に結ぶ。
若葉が、子供たちのベビーベットの側に立ち、柵に手を掛け二人を覗き込む。
『こんにちは。僕が君たちのパパだよ。』
中の子供たちは父親が分かるのか、しきりに両手を伸ばし、触ろうとしている。
『ほう・・・これは・・・・・。』
そう言いながら、若葉は、我が子の顔に自分の顔を近づけていく。
それを見ていたアリエノールはガウンの端を両手で力強く握りしめ、何かに耐えようとしていた。
『・・・うちの王子様とお姫様は贅沢だね〜。瞳が二色だよ。パパもママも
 一色なのに。羨ましいな〜。』
若葉のこの発言に、アリエノールの緊張の糸が切れ、その場に座り込んで
しまった。
自分の後ろで何かが落ちるような音に振り向いた若葉が見たのは、呆然として座り込んでいる妻だった。
『アリエノール!!』
彼はすぐにアリエノールに駆け寄るとしゃがみこみ、彼女の額と首筋を触り、熱がないか調べる。
熱はなさそうだ。
次に彼女の手首を取り、脈を計るが正常のようだ。
顔色も悪くないので貧血ではなさそうだ。
しかし、依然、呆然とし瞬き一つしない妻の様子に、とにかく階下のリビングにいる母を呼びに行こうと立ち上がろうとした時、彼女の両目からボロボロと涙が溢れてきた。
『アリエノール?』
『良かった・・・・。』
安心したようにそう呟くと、彼女は両手で顔を覆い、更に泣き出してしまった。
何が良かったのか、何で泣いているのかしばらく分からずにいた若葉だったが、すぐにある事に気が付いた。
『まったく・・・。』
あきれた様にそう呟くと、若葉は泣きじゃくるアリエノールをそっと包み込んだ。
『僕が、子供の目の色の事で怒るとか、ショックをうけるとか思ったんだね・・。』
優しい問いかけに、アリエノールはコクンっと頷く。
『それを「取り越し苦労」と言うんだよ。あんな綺麗な瞳なのに、怒ったり、
 ショック受けたりなんて彼らに失礼だよ。』
『ご・・・ごめん・・なさい・・。』
アリエノールは、しゃくりあげながら謝る。
彼女を落ち着かせるかのように若葉の腕に少し力が入る。
『いけない、いけない。大事な事を忘れていたよ・・・。』
その言葉に、アリエノールが顔をあげ、若葉の顔を覗きこむ。若葉は、外の陽気にも負けないくらいの温かな笑みを浮べ、
『ご苦労様。そして、素敵な誕生日プレゼントをありがとう。』
と、労いと感謝の言葉を妻に贈った。
この日、5月30日は若葉の誕生日だった。
アリエノールの瞳からは、先ほどまでとは意味の違う涙が零れ落ち始める。
『どういたしまして・・・。誕生日おめでとう、若葉・・・。』
涙を流しながら微笑むアリエノールの唇に、若葉が優しく自分の唇を重ね
合わせた。
室内に、幸せの空気が充満しはじめる。

この日、父親によって子供にやっと名前がつけられる。
男の子は「アヤト・クリード・メイフィールド・キサラギ」と、女の子は「ジュリ・ブランシュ・メイフィールド・キサラギ」と名付けられた。




(注1) 日本では、特定の女性に経済的援助をする男性の事をそう呼ぶ事が多いのですが、ここでは、本来の意味、特定の芸術家や芸術活動に経済的・精神的な保護を与えたり作品を買い上げたりする人の事です。
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