Final Distance Scene9
『』=英語 「」=日本語


山間部だけではなく、街の木々も色づき始めた秋。
祝日のその日、樹里は昼前に祖母と一緒に焼いたクッキーとパウンドケーキを持
って特機に来ていた。
祝日といえども訓練をしている綾人の陣中見舞いを兼ねて、綾人の次に好きな
兄と姉に会いに来たのだ。

「おう!樹里じゃねぇか!」
捜査課のエリアへと向かう樹里を呼び止める声がする。
後ろを振り返ると、京が片手を上げながらにこやかに自分に向かって歩いてきて
いた。
「きょ〜ちゃ〜〜ん!!」
樹里は手に持っていた紙袋をボトっとその場に落とすと、勢いよく走り出し、京に
飛びつく。
京は子犬のような樹里をしっかりと抱きとめ、軽々と抱えあげた。
「綾人に差し入れかぁ?」
「それもあるけど、京ちゃんと春麗ちゃんに会いに来たのよ!」
「か〜〜〜〜。嬉しい事言ってくれるね〜。」
京は、グリグリと自分の頬を樹里の頬に擦り付ける。
「痛いよ〜、京ちゃ〜〜ん。」
そう言いながらも顔は嬉しそうである。
充分、樹里とのスキンシップを満喫した京は頬を離す。
「綾人に聞いてはいたんだが・・・。本当にばっさり切っちまったんだな〜。
髪の毛。」
京はしげしげと樹里の頭を眺める。
つい最近、樹里は脇の辺りまであった髪を惜しげもなく切り、ショートカットにした
のだ。ジーンズ姿はまるで綾人のようであった。
「いくら、うざったかったからって、こんなに短くしなくても良かったんじゃねぇかぁ?
まるっきし綾人じゃねぇか。益々区別がつかねぇ・・・。」
「あれ?でも、さっきはちゃんと「樹里」って呼んだじゃない?」
「そりゃ、さっきまで綾人と一緒に訓練してたもんよぉ。」
「な〜〜んだ。・・・京ちゃん、愛が足りないんじゃない?」
「うお!そいつはいけねぇな!精進すっから、今日の所は勘弁してくれや!」
「いいよ〜〜〜。」
今度は樹里が京の頬に自分の頬を擦り付ける。
もう、京の顔は嬉しすぎてデレデレであった。この場に春麗が居たら「この変態!
」と言って蹴りが入っていたであろう。
京から頬を離した樹里が、右の人差し指を口に当て、にっこり笑う。
「京ちゃんにだけ本当の事を教えてあげるね。」
「なんだぁ?」
「髪を切ったのは、長い髪が面倒だったんじゃ無くて、こうすると、鏡の中で毎日
綾人に会えるからよ。」
軽くウィンクをする樹里に京は小さく微笑む。
「・・・本当に、綾人が好きなんだなぁ・・・。」
「当たり前じゃない!綾人は大事なもう一人の私だもの。綾人が頑張ってるから
私も頑張れるんだもん!!」
樹里のこの言葉に京は、先日、同じ様な事を綾人も言っていた事を思い出す。
そして、初めて樹里に会った時の春麗の言葉も・・・。

---お互いがお互いの鏡である二人。
  綾人にとって樹里はもう一人の自分。樹里にとっても綾人はもう一人の自分。
  樹里が夢を叶えることは綾人にとっても自分の夢を叶えた事になり、
  樹里が笑って暮らしていれば、綾人も笑っていられる。

今よりも幼いときに遭遇した悲惨な事件を二人で励ましあって乗り越え、生きてき
た二人。そして、京はこの健気な兄妹に何の見返りもなく人を思いやる素晴らしさ
を教えてもらった。
「・・・偉いな。お前達は・・・。」
「そう?」
樹里は小首を傾げる。
「ああ。偉い!」
力強く断言した京は樹里を抱いたまま捜査課へと歩き出し、途中、彼女が放り出
した紙袋を拾い上げる。
「なぁ、樹里。これの中身、なんだぁ?」
「クッキーとパウンドケーキ。」
「・・・・・・。」
京の歩みと思考が止まる。
硬い表情で立ち止まってしまった京を樹里が不思議そうに覗き込む。
「どうしたの?京ちゃん?」
「・・・樹里。クッキーはあの衝撃に耐えられるくらい固いのか?」
樹里の顔が引き攣る。
「・・・・・・ねぇ・・・。」
二人は顔を見合わせると「ははっ・・・」と乾いた笑いを発し、恐る恐る京が手にし
ている紙袋に視線を落とす。
二人は嫌な予感がした・・・。
しかし、今は敢えてその予感を無視して先へ進んだ。どことなくギクシャクしなが
ら・・・。

でも、いくら無視しても現実がその場から立ち去ってくれるわけではない。
訓練が終わった綾人と、捜査から帰ってきた春麗が捜査課に戻ってきたのを見
計らって樹里が恐る恐るクッキーの入った白い箱を開けると、半数のクッキーは
見事に割れていた。
「ああ・・・。やっぱり割れてる・・・・。」
樹里ががっくりと肩を落とし、うな垂れる。
「ははははは。樹里ちゃんらしいなぁ。」
いきさつを聞いた渡辺が、割れたクッキーを口に運びなら笑い、
「まったく・・・・。」
あきれながら綾人が全員分の紅茶を淹れる。
「うりゅ〜〜〜・・・・・。」
樹里がバックに黒いオーラを発しながら、更に落ち込んでいく。
それを見かねた春麗と京がフォローを入れる。
「見た目で食べるわけじゃないんだもの!おしいわよ、このクッキー!」
「そうそう!姐さんの言う通り!!腹ん中に入ればどんな形してても一緒じゃねぇ
か!!」
春麗が落ち込む樹里の頭を撫で、京がポンポンと肩を叩く。
「・・・そう・・・そうよね・・・・。」
ボソッと呟いた後、樹里は、ガバッと音がする様な勢いで姿勢をただし、両手を腰
に当てる。
「美味しければ、いいのよ!!!」
「その通り!!!」
京も両手を腰に当てる。そして、二人同時に「か〜〜〜〜はっはっはっはっは!
!!」と高笑いを始めた。
それを見た春麗は右手で自分の頭を押さえる。
「樹里ちゃん・・・。貴方、女の子なんだからその笑い方は止めなさい・・・。
本当に、京の変な所だけ似るんだから・・・・。」
「まぁまぁ、春麗。固いこと言わないで。樹里が元気ならそれでいいじゃない。」
綾人が天使の微笑みと共に淹れたての紅茶の入ったティーカップを春麗に差し
出す。
自分をニコニコと笑って見ている綾人を見て、ひとつため息をついた春麗は
「・・・あんた達、性格逆だと良かったのにね・・・。」
と、しみじみと言いながらカップを受け取り、すぐに一口啜る。口の中に紅茶葉の
香りが広がる。
(相変わらず、淹れるの上手ね・・・。)
その年にして上手くお茶を淹れる綾人の技術に感心してしまう。
「でも、今の性格だから個性があって楽しいと俺は思うがなぁ・・・。」
今度はパウンドケーキを頬張りながら呑気に告げる渡辺に、折角落ち着いてきた
気持ちをかき回されて春麗は、カップに口を付けたまま上司を睨みつける。
しかし、それは気づかれる事なく渡辺は
「今度、お前の所の宇治茶(綾人の祖母所有の茶畑がある)淹れてくれよ。あれ
は絶品だな。」
と、綾人にリクエストしていた。
「いいよ。」
綾人が満面の笑みを湛えて快諾していた。
渡辺もつられて微笑む。
(・・・やれやれ・・。部長も親馬鹿かしらぁ・・・。)
春麗は紅茶を啜りながら、もう一人の親馬鹿に視線を移す。
視線の先には、向かい合って座り、樹里にパウンドケーキを食べさてもらっている
京が居た。
「はい、京ちゃん、あ〜〜ん。」
「おう。」
差し出されたケーキを嬉しそうに口に頬張る京。
「美味しい?」
「もちろん!!」
「良かった〜〜。今度は何が良い?」
「樹里が作ってくれるもんだったら俺様は何でも食うぞ〜〜。」
「ミモザサラダも?」
「・・・・・・。」
京の笑顔が張り付く。
樹里の笑顔が更に輝きを増す。
「カリカリベーコンとほうれん草のサラダも食べてくれるのよね〜。」
「・・・・・え〜っと・・・・なぁ・・・・。」
張り付いた笑顔のまま京の頬がピクピクひく付いている。彼は、野菜全般が苦手
であった。
特に生野菜が・・・。
それを知っていて樹里は言っているのだ。
(あ〜〜〜。困ってる。困ってる。もっとやっちゃえ!樹里ちゃん!!)
愛あるいじめを受けて困っている京を春麗はクッキーを頬張りながら楽しそうに
見ている。
デスクワークを何かとさぼりたがる京に手を焼いている春麗は仕返しが出来たよ
うな気分になっていた。
「樹里ちゃんの手作りなら、何でも食べるんだろう?牧瀬〜?」
渡辺が意地悪そうな笑顔を浮かべる。
「そうそう。いっつも、京は「男に二言は無い!」って言ってるじゃないか。」
綾人が樹里に劣らない笑顔を贈る。
「み・皆して、いじめんなよ〜〜〜〜〜!!!!!」
情けない顔をして、情けない声を京が出した瞬間、他の四人が一斉に笑い出し
た。

いつもは殺伐とした職場が、紅茶の香りと、お菓子のほのかに甘い香りに包まれ
、笑顔溢れる穏やかな空間になっていく。
同じメンバーで今までも味わえていたこの心温まる時間を、これからも変わる事
無く味わえると誰もが思っていた・・・・。

「じゃあ、私、そろそろ帰るね。」
樹里が帰り仕度を始める。
「じゃあ、私がお家に電話してあげるわ。」
春麗が近くの電話の受話器を取る。
「いいよ、春麗ちゃん。今日は電車だから。」
「あら、珍しい・・・。」
少し驚いた顔で春麗が受話器を置き、振り返る。樹里と綾人が外出する際は祖
母の秘書を勤める信裄か、如月家の執事である博光が車で送迎をする。この二
人が公共の乗り物を使う事は滅多になかった。
「うん。信裄は午後から本社で会議があるおばあ様と一緒に出かけて、博光は夕
べぎっくり腰になっちゃって、寝込んでるの。」
「あらあら・・。じゃあ、気をつけて帰るのよ?最近、とみに物騒になってきてるから
・・。」
「うん、ありがとう!じゃあ、皆、またね!!」
樹里は小さく手を振り、愛らしい笑顔を残し、颯爽と扉の向こうへ消えていった。
その後ろ姿を見送った綾人の胸が急に苦しくなってきた。
(なんだろう・・・・。)
急速に体中を支配し始めた不安に、綾人は眉間に皺を寄せる。


樹里は、特機の建物を後にし、好きな歌をハミングしながらスキップをして正門へ
と向かっていた。
彼女が正門を出てすぐに、目の前に黒いスーツにサングラスを掛けた男性が立
ちふさがった。
あからさまに怪しい男に樹里は顔を引き締め、警戒する。
「君が如月綾人君?」
男は口元はにこやかに質問してきた。
樹里は、じわじわと今出てきたばかりの特機の敷地へとあとずさる。
「あんた、誰・・・。」
顔を強張らせながらも気丈に男を睨みつける樹里に、男は口の端を上げると、懐
から拳銃を抜き取った。
「!!」
樹里は、弾かれるように男に背を向け走り出した。
(綾人!!!)


自分のデスクで春麗から報告書の書き方を教えてもらっていた綾人の背筋に悪
寒が走る。
「どうしたの?」
突然、固まってしまった綾人を春麗が心配する。
しかし、綾人は一点を見つめたまま何も答えない。

  ―――綾人!!!

綾人に樹里の叫び声が聞こえる。
「樹里!!!!」
綾人は左耳のリミッターであるラピスラズリのピアスを無理矢理引き抜き、姿を消
した。
「な・・なに?どうしたの?」
突然の事に春麗だけではなく、後の二人も呆然としている。
「・・・樹里ちゃんに何かあったのかもしれん!行くぞ!!」
いち早く正気を取り戻した渡辺が部下の二人を叱咤し、捜査課を飛び出していく
。それにより、
我に返った京と春麗も後に続いた。


樹里は、特機の敷地内に逃げ込んだ。もう、大丈夫だろうと走るのをやめた瞬間
、数発の銃声が響き
樹里の小さな背中を貫いた。
(えっ・・・・・?)
樹里は、自分に起こった事が把握できなかった。ただ、焼けるように背中を中心
に体全体が痛い。
樹里はゆっくりとうつ伏せに倒れる。
男は、正門前から樹里を撃ったのだ。改造拳銃なのであろう。飛距離が通常の
拳銃より長かった。
『樹里!!!』
樹里の危機を察した綾人がテレポーテーションで彼女の側に現れた。
(なに!?)
目標物を殺ったと思っていた男の目の前に、本当の綾人が現れ困惑する。男が
もう一度仕留める為に銃を構えたが、特機の建物から職員達が出てきた為、断
念し、車道に飛び出、迎えに来た仲間の車に飛び乗り走り去った。
『樹里!樹里!!』
綾人が血まみれの樹里の体を抱きかかえ何度か揺する。
『樹里!!!』
兄の悲痛な呼び声に樹里はうっすらとオッドアイの瞳を開ける。はじめて見る切
羽詰った綾人の顔が見える。彼は、左の耳たぶから血を流していた。
自分が苦しいのにも関わらず、樹里は笑みを浮かべる。
『良かった・・・・。綾人が・・・無事で・・・・。』
樹里の右手が弱々しく綾人の左頬に伸ばされ、触れる。その手の温もりは失わ
れつつありヒンヤリしていた。綾人に、7歳の時に味わったあの感覚が蘇る。
(また?・・・またなの?)
綾人を絶望が襲う。
『ごめん・・・・ね・・・。約束・・・・・守れ・・・そうに・・・ないや・・・・。』
無理して笑う樹里に綾人は首を横に振る。
「樹里!」
「樹里ちゃん!!」
駆けつけた渡辺、京、春麗が二人の側にしゃがみ込む。
綾人に抱かれた樹里は背中から大量に血を流し、顔も手も青白かった。ほんの
数分前まで、自分達と話をし、笑っていた樹里の変わり果てた姿を見た三人は絶
句してしまう。
樹里がゆっくりと三人の方を振り向き、綾人の頬から離した右手を差し出す。そ
れを春麗が両手で受け取る。その温もりの無い手に春麗も絶望という谷に突き落
とされる。
「樹里ちゃん・・・しっかりして・・・・。」
溢れ出そうになる涙をぐっと堪え、樹里の小さな手を力強く握り締めて春麗は呼
びかける。
「おじさま・・・春麗ちゃん・・・京ちゃん・・・・綾人を・・・おねがい・・・ね・・。」
何とか笑おうとする樹里の姿が痛々しく、春麗はとうとう両方の目から涙を流して
しまう。
「何言ってんだよ!!俺様にサラダ作って食わせてくれるんだろう?樹里!!」
京が春麗の手の上から樹里の手を握り締める。
「そ・・・そうだ・・。そうだ・・・。」
渡辺の声が震えている。きっと、こう言うだけで精一杯なのであろう。

ここに居る者達は職業柄、樹里が手遅れなのは分かっていた。
しかし、認めたくなかった。樹里を向こう側へなど行かせたくなかった。

樹里は微笑むだけで何も答えず、預けた手はそのままに綾人の方に顔を戻す。
綾人の頬を涙が伝っていた。それのうちの数滴が樹里の顔に落ちてくる。温かな
優しい涙・・・。
『綾人の・・・力も・・・持って行って・・・あげ・・られたら・・・・・。』
『駄目だ・・樹里・・・。行くな・・・。』
向こう側へと行こうとする妹を綾人は引きとめようとする。
『大好きよ・・・綾人・・・。パパと応援してる・・からね・・・・お兄ちゃん・・・・。』
今一度、綾人に満面の笑みを贈った後、樹里は眠るようにそっと目を閉じた。そ
の瞬間、春麗と京が握りしめていた小さな手が滑り落ち、地面に叩きつけられる。
『・・・・駄目だ、樹里・・・・。行くな・・・・。僕を置いて逝くなあああああああ!!!
!』
綾人は絶叫と共に、冷たくなった樹里を抱きしめ、その体に顔を埋める。
京は、地面につっぷし、右の拳を何度も何度も地面に叩きつけ、春麗は、渡辺に
縋りつき大声を上げ泣いた。
渡辺は春麗の肩をしっかりと抱きとめ、両目から溢れる涙をそのままに天を
仰ぐ。
「ちきしょう・・・。」
茜色に染まった空に渡辺の悔しい想いが吸い込まれていく。



今、一人の天使が、天へと還って行った・・・・。



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