Final Distance Scene10
『』=フランス語 「」=日本語


娘の訃報を公演先で受け取ったアリエノールはとりあえずの荷物だけで日本の
如月邸へと駆けつけた。遺体が安置されている大広間に来たアリエノールが目
にしたものは、部屋中の沢山の花に囲まれたキリスト教式の棺に白い寝巻きを
着せられ、組まれた両手に金のクロスを握った樹里が横たわっていた。
そして、その傍らにはビスクドール人形の様に無表情の喪服姿の綾人が寄り添
っていた。

アリエノールは静かに綾人の側に歩み寄り、しゃがみ込むと綾人をそっと抱きし
めた。
『クリード・・・。』
綾人は母の呼びかけに答えない。ただ、人に抱かれる人形だった。
『クリード・・・・。』
抜け殻のような息子の頭をアリエノールは何度も何度も優しく撫でる。
その間も綾人はされるがままの人形だった。
彼は、目の前で二度も肉親を亡くした。しかも今回は、自分と同じ魂を有する彼
の半身、生きて行く支えだった妹・・・。
樹里が自分の替わりに命を散らせてしまったことに綾人の心はズタズタに切り裂
かれていた。
アリエノールは、運命の残酷さを呪った。
何故、こうも綾人にばかり神は悲惨な現実を叩きつけるのかと・・・。
息子が何をしたというのか・・・。彼は、望まぬ人生をそれでも一生懸命生きてい
るというのに・・・。
何故・・・。

アリエノールの瞳から一筋の涙が零れ落ち、それが綾人の頬に落ちた。

焦点の定まらない様な目つきだった綾人の瞳に正気が戻る。
『ママ・・・。』
小さな呼び声に、アリエノールは腕の力を弱め、息子の顔を覗き込む。顔は相変
わらず無表情だが、瞳は生きていた。心の中で安堵する母親に、綾人は信じられ
ない言葉を発する。
『ママ・・・僕を憎んで・・・。』
『ク・・・クリード?』
気が動転している自分が聞き間違えたのかとアリエノールは思ったが、自分に厳
しい眼差しを送る息子はそうでは無いといわんばかりに、再度同じ言葉を発する。
『僕を憎んでよ、ママ。嫌いになって。』
『何を言っているの・・・・。』
『お願いだから、僕を責めてよ・・・。僕をののしって・・・・。』
『クリード・・・。ブランシュが亡くなったのは貴方のせいではないわ。悪いのは貴方
の命を狙った大人だわ。』
『だから、僕のせいなんだ・・・。僕が恨みを買ったから・・・。』
『違う。違うわ・・・。』
アリエノールは首を横に振るが、綾人は厳しい眼差しで母親を見つめたまま頑な
に自分の考えを変えない。
『皆、僕のせいじゃないって言うんだ。そんな事無いのに・・・・・僕のせいなのに・・・。』
『クリード・・・。』
『夢の中のパパも樹里も微笑むだけで何も言わないんだ・・・。僕がこんな力を持
っていなかったら、特機の隊員じゃなかったら、樹里は死ななかったんだ・・・。僕
が・・・僕が・・・・』
母を見つめるオッドアイが、小刻みに揺れだし始めた。
『クリード!』
アリエノールが正気を失いかけている我が子を呼び戻すかのように叫ぶ。
しかし、その声は綾人には届かない。
『僕が・・僕が殺したんだ・・・。僕が樹里を殺したんだ・・・。』
綾人は焦点の定まらぬ目つきで、自分の両手で自分の頭を抱え込む。その手に
力が込められ、髪の毛が抜けるかと思われる程、強く握られる。
『クリード!しっかりして!!・・・誰か!!誰か来て!!』
アリエノールは、強く綾人を抱きしめると別室に控えている親族に助けを呼ぶ。
『僕が殺したんだ!!樹里を殺したんだよ!!』
『落ち着いて!!クリード!!落ちつきなさい!!』
『僕が・・・僕が・・・。樹里!樹里!樹里ぃ―――――――!!!!!』
『クリード!!』
『嫌ああああ!!一人は嫌だよ!!!!樹里!!!!』
アリエノールは自分の腕の中で叫び、暴れる息子を力の限り強く抱きしめる。
子供の力だとは思えないほどの力で暴れる綾人をアリエノールも普段以上の力
で押さえつける。
今、この子を離してしまうと唯一残された綾人も失くしてしまう・・・。
そんな不安が彼女に力を出させた。
「綾人!!」
「ちょっと、誰か、先生を呼んで!!!」
アリエノールの悲痛な叫びと綾人のこの世のものとは思えぬ叫び声に、異変に
気付いた隼人と瑤子が大広間に駆けつけた。
隼人は、必死に綾人を押さえつけるアリエノールから彼を受け取り抱きしめる。自
分の体を包み込んでしまう祖父の体の中でも綾人は叫び暴れる。
「うわああああああああああああああああああ!!!」
「綾人!綾人!!」
『クリード!』
祖父と母の呼び声は綾人の耳には入っていなかった。そして、周りの風景も。
彼に見えるのは、微笑む樹里の姿と彼女が自分を呼ぶ声だけだった。

その後、綾人は急遽呼ばれた英の主治医によって鎮静剤を投与され、一時的に
落ち着く。しかし、心の呵責がなくなる事は無く、自室で眠る彼は
『ごめんなさい、パパ、ママ。ごめん、樹里。』
と、繰り返し繰り返し寝言で誤り続け、付き添うアリエノールは涙が止まらなかっ
た。


樹里の葬儀は、都内の教会で執り行われ、樹里が通っていた学校関係者、友人
達が彼女の突然の訃報に涙して行った。友人達は、この時はじめて彼女がヨー
ロッパで有名な「ブランシュ・メイフィールド」である事を知る。しかし、知った所で
その本人はもうこの世にはいない。
そして、樹里の死因は「交通事故による出血多量死」とされた。
これは、マスコミと世間の奇異な目から遺族を守る為に行われたものであった。

彼女の冥福を祈る大勢の人達の中に、懐かしい顔があった。
モーリス・オージェ、エドアール・ジョスマール卿がフランスから駆けつけていた。
我が子の様に可愛がっていた樹里の変わり果てた姿に彼らはショックを隠せな
かった。
献花をする時、二人は穏やかに横たわる樹里の顔を見て、立ちすくんでしまう。
その穏やかさに、数年前に亡くした友人を思い出してしまった・・・。
(何故、彼らばかりが・・・・。)
悲しみよりも憤りを感じてしまう。
そして、何よりも彼らの心を痛めさせたのは、綾人の無表情さであった。
綾人は、最前列の椅子に座りただ樹里の棺を見つめているだけであった。泣くで
もなく、悲しみを我慢しているわけでもなく、本当に彼は虚無の世界に身を置いて
いた。
昔馴染みの自分達にさえ、かれは決まり決まった挨拶しかしなかった。自分達の
事を認識しているのかしていないのかさえ分からなかった。

オージェは、若葉と話した事を思い出す。
それは、綾人と樹里のレッスンの日に珍しく若葉が付き添ってきた時の事だ。
まだ、双子たちが5・6歳の頃。
レッスンが終わり、綾人の伴奏で樹里が歌っている。
それをBGMに大人達は紅茶を啜っていた。
『全く、あきれるくらい仲がいいなぁ。あの二人は。』
オージェが双子を横目で見る。
『双子だからかな?親の僕らでさえ、彼らの絆には入っていけないよ。』
相変わらずの穏やかな笑みを浮べ若葉が答える。
『う〜〜ん。双子は一つの魂を分け合って生まれてくるから、年の違う兄弟とは兄
弟としてのあり方が違うとは聞いたことがあるが・・・。この子達を見てるとそれが
本当のような気がしてくるなぁ。あんまり信じてなかったんだが・・。』
『ああ、二人で一人っていう説だな。・・・うん、自分達の子を見てると時々そんな
感じがする時があるよ。別々の道を歩いてはいるんだけど、一緒の道を歩いてい
るような・・・何て言ったらいいのかな・・・個体としては別々なんだけど、精神的に
一つっていうか・・・。』
『ああ、分かる、分かる。・・・双子って皆そんな感じなのかねぇ・・・。』
『さぁ?僕の周りに双子は自分の子供だけだから。どうなんだろうね?』
若葉とオージェは同時に双子を見返る。
双子は、微笑み合い、楽しそうに心地の良い調べを生み続けている。
『しっかし、こんなに仲良いと将来心配じゃないか?・・・結婚とかさ、出来無そうじ
ゃないか?』
『大丈夫だろう。今は小さいから良く一緒にいるが、大きくなったら程よい距離を
保つんじゃないかな。』
『そうだな。男の子と女の子だし、大きくなれば話しづらい事とかも出てくるだろう
しな。』
『そうそう。・・・でも、お互いがお互いから距離を置く前にどちらかに何かあったら
、この子達はどうなってしまうんだろう・・・。』
我が子を見つめる顔に影が出来る。
『若葉?』
『半身を失くした時、残った半身は生きていけるのかな?
壊れてしまわないかな?』
『おいおい、縁起でもない・・・。』
自分を呆れ顔で見ているオージェの視線に気付き、若葉はオージェに小さく微笑
む。
『ごめん、ごめん。でも、あの二人を見ていると、そういう心配をしてしまうんだよ・・・。親っていうのは心配性なのかもしれないねぇ。』
『心配しすぎだ!どうせ、心配するなら将来ブランシュが悪い男に引っかからない
かとか、クリードが変な女に騙されてピアニストとして駄目になりはしないかとか
、そんな事心配してろ!いなくなる事なんて心配してんじゃないよ!!ったく・・・。

オージェは不機嫌そうに紅茶を音を立てて啜り、若葉は苦笑いを浮べ、頭を2・3
回掻いた。

この時、オージェは、若葉が死ぬ事も、若葉が心配したように双子の片割れがい
なくなり、残った者が壊れてしまうなど、想像にもしなかった。
しかし、それが今、現実として彼の目の前に存在している。
献花を終えたオージェは息子を抱くようにして座っているアリエノールの隣に腰を
降ろした。
ゆっくりと彼女はオージェに顔を向ける。
『アリエ・・・大丈夫かい?』
『ええ・・・。』
小さく頷く彼女は、どう見ても大丈夫そうではなかった。痩せて、顔色は悪く、目の
下にはくっきりとクマが出来ている。最愛の夫に続き、娘まで失い、唯一残された
息子は心を閉ざそうとしている。
大丈夫なはずがなかった。
それでも、心配かけまいとする彼女の態度が痛々しかった。
『アリエ。僕はしばらく日本にいる。僕がクリードを見ているから、君はブランシュを
見送ってあげて。』
『え・・・でも・・・・。』
『遠慮しなくていい。父親にはなれないけど、父親の真似事くらいは出来るよ?僕
は若葉から君らに何かあったら頼むと遺言を受けている。僕にそれを遂行させて
くれないか。』
オージェはアリエノールが頼みやすいように、若葉の遺言を持ち出す。
『でも、オージェ・・・仕事は・・・・?』
『それは心配無用だ。僕の仕事はピアノと楽譜と鉛筆があれば何処でも出来る。
・・・そうだ、クリードにも手伝って貰おう。』
そう言って微笑むオージェが、言葉の外で「気にせずに頼りなさい」と言っている
ように思われた。
自分の家族の事で友人の手を煩わせる事に躊躇いがあったアリエノールであっ
たが、今の綾人には父親が必要だということはわかっていた。しかし、その父親
はいない。
でも、綾人が父親と同じように信頼していた人から手をさし伸ばされている。
(彼なら、クリードは心を開くかもしれない。)
少し考えて、アリエノールはその手を取る。
『クリードをお願いします。』
『任せて。』
その日から、オージェは如月邸にて綾人の側で過ごす事になる。


オージェは綾人の側から離れなかった。というより、綾人が彼の側を離れなかっ
た。
彼が行くところ、行くところ付いて廻った。彼と一緒だと熟睡していた。
しかし、まだ無表情ではあるが・・・。
それでも、母親でさえ拒否していた頃に比べれば大した進歩であった。
綾人の変化を見た、アリエノールと隼人はこのまま彼に綾人を任せる事にした。

樹里が亡くなって一ヶ月が過ぎた頃、綾人はオージェにだけは話しかけるように
なっていた。そして、近づこうとさえしなかったピアノ室に自ら入り、オージェのレッ
スンを受け出した。
音楽というのは人の心に作用する力があるのか、それからすぐに綾人の食欲が
戻り、それに従って顔色も良くなってきた。白磁の陶器の様に真っ白であった頬
に、ほのかな赤みが差してきた。
オージェと連弾する時は、楽しそうな顔をするようにもなってきた。

ただ、笑顔だけは、オージェも取り戻す事は出来なかった・・・。


そして、樹里が亡くなって二ヶ月が過ぎた頃、綾人は、週三回の訓練には復帰し
た。仕事に戻るには、まだ、彼の精神は安定していなかった。上層部からは早く
復帰させるように散々言われていたが、渡辺は頑なに許可を出さなかった。
彼も唯一残された者を出来る限り守っていた。
そんなある日、綾人は訓練の帰りに捜査課に立ち寄った。
葬儀の時の綾人を知っている春麗と京は、久しぶりに会う綾人が元気になりつつ
ある様で、一安心した。
「そう・・・。お父様のお友達がいらしてるの。」
「うん。昔みたいにレッスンもしてくれて、何だかフランスに居た時みたいで楽しい
よ。」
綾人は小さく微笑んだ。
「良かったわね。」
綾人の小さな微笑が作り笑いである事は、春麗にも分かったが、心配かけまいと
する彼の気遣いに「作り笑い」には気付かない振りをして微笑み返した。
その時、電話が鳴り、珍しく京が出た。
「おう、捜査課〜。・・・・・あいよ、ご苦労さん。」
受話器を置き、綾人に顔を向ける。
「おう、綾人。そのピアノの先生が迎えに受付に来てるってよ〜。」
「ありがとう。・・・じゃあ、帰るね。」
綾人は椅子から飛び降りる。
「気を付けてね。」
「うん。バイバイ。」
綾人は二人に手を振り扉の外に姿を消した。それを黙ってみていた春麗が
「樹里ちゃんも、ああやって帰って行ったのよね・・・。」
と呟いた。
それを聞いた京の眉間に皺が寄る。
「姐さん・・・。」
「ご・・ごめんなさい・・・。私ったら・・・。」
「いんや、いいよ。しょうがねえよ・・・。樹里が居なくなって、まだ二ヶ月だ。・・・俺
様なんて、まだ、いつかお菓子持って遊びにくるんじゃねぇかと思う時がある・・・・
。」
「・・・うん・・・・・。」
樹里の死はこの二人にも大きな影を落としていた。
部屋がしんみりとした雰囲気に包まれた頃、扉が勢いよく開いた。
「なんだ?どうした?・・・何かミスったのか〜。勘弁しろよ〜。」
渡辺である。
部屋の空気がしんみりしているのが、樹里の事だと分かっていながら彼は部下を
元気づけるようにおどける。
それにより、春麗と京に笑みが戻る。
「やだ、部長〜。私が居てミスなんてありませんよ!」
「はははは!そりゃそうだ。牧瀬だけだったらミスの連続だろうがな!」
「ひっでえ〜。」
「事実だろ?・・・と、まぁそんなことより・・・綾人の命を狙っていた組織が割れたぞ
・・・。」
渡辺の言葉に春麗と京の顔が引き締まる。
「親父・・・何処の馬鹿野郎だったんだぁ?」
京の凄みが増す。
「落ち着け、牧瀬。こいつが中々やっかいな所だった・・・。」
「厄介って、どんなに厄介なんだよぉ・・・。」
「そうだなぁ・・・まず結論から言おう。綾人の命を狙い、樹里の命を奪った組織は
「宇美野物産」だ。」
春麗と京の眉間に深々と皺が寄る。
「部長、そこって・・・。」
「そうだ。表は普通の商社だが、裏では犯罪社会の中核を担っているとされてい
る組織だ。」
「でも、いつもいつも証拠がなく小物達しか立件できない・・・・。宇美野物産が裏
社会と繋がっているという確たる証拠も未だ掴めない。」
春麗の説明に渡辺が頷く。
「じゃあ、今回も・・・・。」
「ああ、証拠はない。というより消された。あと一歩と言うところで・・・・。」
渡辺が苦々しそうな顔つきになり、春麗は唇を噛み締める。
「ちっきしょ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
京がデスクを己の拳で力いっぱい叩き、悔しさを発散させる。

―――犯人を挙げること。

これが、この場にいる三人の樹里を殺された事への復讐だった。
犯人は分かっている。しかし、証拠がない。それでは警察としては手が出せなか
った。
「あきらめるな!相手も人間だ、何処かに隙があるはずだ!今まで漠然としてい
たものが、目標物が出来たんだ!何とかなる!・・・いや、何とかするんだ!!」
渡辺があきらめきってしまった部下二人を叱咤激励する。
「そうだわ・・・。私達があきらめては樹里ちゃんが浮ばれないわ・・・。」
「まったくだ・・。じゃあ姐さん、気を引き締めて頑張りましょうかぁ〜。」
「二課の連中もそのまま総動員させて捜査にあたらせる。何か分かったら、お前
らに連絡が行くようにしておく。」
「分かりました。・・・で、部長・・・この事は綾人には・・・。」
春麗の問いに、渡辺は無言で首を横に振った。
それに、二人は頷き返した。
言える訳がなかった。7歳にして、父親を殺された恨みから彼は一人の男性を社
会的に抹殺し、国際手配中の殺し屋をこの世から抹殺している。正常な精神状
態であった綾人が激情にかられただけでもあれだけの事をしてしまうのだ。その
彼が、今は精神状態が不安定だ。そんな彼がこの事を知ればあの時以上の惨
劇を招く事は容易に想像できた。

春麗は、一つため息を付いて眼を閉じた。
彼女の脳裏にあの夜の事が思い出される。桜の花びらが舞う中、大の大人の男
の上にまたがり、その男の喉元にファイティングナイフを突きつけたまま、冷たい
視線を自分に投げつけてきた少年。
気位の高い野生獣の様な目つきに、思い出した今も背筋が凍る・・・。

(もう、綾人にあんな事をさせてはいけないわ・・・。)

しかし、春麗の誓いは無駄であった。
綾人は、捜査課の扉の外で全てを聞いていた。彼は、一度捜査課のエリアを出
たが、春麗にいう事があった事を思い出し戻ってきたのだ。
「宇美野・・・物産・・・ね・・・・。」
そう呟いた綾人の目は細く冷たい光を放ち、口元は薄ら笑いを湛えていた。


惨劇が再び、幕を開けようとしていた・・・・。


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