Final Distance Scene11

その夜は、不気味なほどに何も無く、静かだった。
月の明かりも、瞬く星々の煌きも、夜を主な活動時間としている虫の鳴き声も、
何も無い夜。

風もなく、空気さえ動かない。

そんな中綾人は、近年、郊外に建設された新興高級住宅街に居た。
持ち主が、何処かの会社の会長や社長、もしくは、大物政治家に連なる人物とい
うだけあり、敷地面積は、一般住宅の数十倍あり、値段も気が遠くなるほどであっ
た。

そんな高級住宅地の最奥。
この住宅地の中でも一際、広さと豪華さを誇示している屋敷があった。
その屋敷の門の前に、黒のフード付きトレーナーにジーンズという格好で綾人は
佇んでいた。
その場をただ通り過ぎた人には、この家の子供かと思わせる格好だった。

無表情の顔を除けば・・・。

綾人は、左耳のリミッターを外すと、そのまま地面へと捨ててしまう。
そして、その上に右足を乗せると、ぐっと力を入れた。
リミッターは、小さな破壊音を発して砕け散った。

それを合図としたかのように綾人は門へと近づく。
彼の目の前に、強固な鉄の門が聳え立つ。
門の一番上は、彼の遥か彼方だ。
その門に両手を添える。

ジッという機械音が耳に入る。

そちらに顔を向けると、監視カメラが作動し、綾人を見つめている。
その無機質な監視者に、彼は不敵な笑みを送ると、鉄扉に添えている自分の両
手に力を入れた。
監視室での全自動の門である。しかも、大人が何人かかってもビクともしない門。
・・・のはずだった。

鉄扉は、金属が擦れる音を発しながらゆっくりと内側へと開いていく。
これをみていた監視カメラが驚きに震えた気がした。
正確には、カメラを通してこの画像を見ていた者が驚いていたのだが・・・。
そんな事は気にも留めずに、綾人は鉄扉を押し広げると、悠々とその内部へと歩
き出した。
一瞬の遅れの後、屋敷の監視室が賑やかになった。

招かれざる客は、悠然と屋敷の玄関へと歩みを進めていたが、やはりというかや
っぱりというか血に飢えた番犬が行く手を阻んだ。
鉄の大きな楔を施された、なんとも好戦的な首輪を付けたドーベルマンが6匹。
小さな唸り声を上げ、いつでも飛び出せる格好で綾人を待ち受ける。
大人でさえ、足がすくみ動けなくなるような光景に、綾人は何も無いかのように歩
みを進める。

ドーベルマン達のリーダーだと思われる一匹が脅しにも屈さず歩み続ける綾人に
襲い掛かろうと更に体を屈した時、彼が立ち止まった。
しかし、恐怖のせいではなかった。

「退け。」

眼光鋭く、言い放つ少年に猛犬達が圧される。
他者を寄せ付けぬ程の威圧感を醸し出す綾人は、見下した目つきのまま犬達を
見つめる。果てなく続くかと思われた両者のにらみ合いは、猛犬達が道をあける
ことで決着が着く。

綾人は、また、何事もなかったかのように歩みを進める。

「いい子だ。」

猛犬達の前を通る時に、そう言い渡して。
猛犬達を交わしたからと言って、全てが終わったわけではない。
むしろ、これからが本番だ。

玄関の前には、3人の屈強な黒ずくめの男達が居並んで居た。
仮にこの男達を倒したとしてもその先も似たような男達が勢ぞろいしているのだ
ろうという事は、綾人でも簡単に分かる。
その事が、彼を興奮させる。
簡単に目的とする人物に辿り着いても楽しくない。

それに、この広い屋敷の中の一番安全だと思っている部屋で、余裕綽綽な表情
で高見の見物をしているであろう人物が徐々に自分のした事への恐怖へ苛まれ
る様が感じたかった。
死出の恐怖を味あわせたかった。
自分が一番大切だった彼女が受けた痛みを、それ以上の恐怖として味あわせた
かった。

10代の少年とは思えない冷たい笑みが、綾人の唇を彩る。

黒ずくめの男達が銃を構える。

綾人は、その男達に近づきながら背に隠していた強化金属製のファイティングナ
イフを抜き取った。

リミッターを外した今の綾人ならば、この屋敷毎「あいつ」を殺れる。しかし、そうは
しない。そんな楽な死に方をさせる気は、綾人には無い。
それに、ここ一番という時の為に「力」は取っておきたかった。父を殺した男を殺っ
た時のような失態は今度は許されない。

男達のトリガーに掛かる指に力が篭る。
そして、躊躇いも無く打ち出される銃弾。
鉛の雨と言っても過言ではなかった。しかし、それは、標的に被弾する事はなく
地面をえぐるだけだった。

標的は、空高く飛び上がっていた。
その事に気がついた男達だったが、銃口を標的に向ける間もなくそれは地表に
舞い降り、駆け抜ける勢いを利用し、鋭い刃で3人の男達の喉元を切り裂いた。

綾人が3人を通り過ぎた瞬間、まるでそれに合わせたかのように、鮮血が滝のよ
うに溢れ出し、屈強な男達は自分の血の池へと身を沈めた。

「ふふ・・・・。」

何か楽しいものでも見聞きしたかのような笑いが綾人の口から零れる。
そして、その笑みのまま、彼は赤い血に染まったナイフを片手に玄関に近づく。
無数の人々が行き交う気配を感じる。気の乱れも・・・。

予想外の展開に慌てている様が伺われる。

「こんな事くらいで慌てているようじゃ、プロ失格だね。」

そう一人ごちながら、綾人は荘厳な彫刻が施された薄茶色の扉に片手を当てる。
この時、更なる笑みが綾人を彩る。
彼は、自分が興奮している事に気がついた。熱い血が体中を駆け巡っている事も。
出動時に感じるもう一人の自分。その自分が目覚めてきた。
こういう時、血が薄まっているとはいえ、自分もあの戦国乱世を駆け抜けた覇者
英の血族だという事を確信する。

父を亡くしたときに目覚めたもう一人。
いつもは制するもう一人の自分。
血に飢えた野獣・・・・。
その自分を、今宵は思う存分解き放つ。

後先など、将来など、知った事ではない。

今、綾人にあるのは大切な者を奪われた悲しみによる、強烈な憎しみだけだった。

こんな事をしても樹里が帰ってこない事等、頭のいい彼は分かりきっていた。
どんなに愚かな事なのかも。

しかし、感情は納得しない。「復讐」を遂げるまで。
いや、一生納得などしない。

扉に付けた手が青白い光に包まれだす。

「さあ・・・パーティの始まりだ・・・・。」

その瞬間、鉄扉同様重厚な作りであった屋敷の顔は、小さな木屑と化した。
玄関ホールに無数の木屑が舞い落ちる。
木屑のカーテンの向こうには、綾人が予想した通り、無数の黒ずくめの敵が手に
手に銃を持って出迎えた。

一瞬前まで、有り得ない光景に動揺していた彼らだったが、さすがに今は冷静を
取り戻し、自分達が排除すべき敵を見据えていた。
子供といえども、あれは戦闘のプロだ。

いつも以上に気を引き締めなければないらない。そして、あれを殺れば自分の株
が上がる。そういう算段もあった。
・・・・自分達とそのボスが、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまった事も
分からずに・・・。

しかも、この箱には「希望」などという夢など入ってはいなかった・・・・。

木屑のシャワーカーテンが終わらぬうちに、綾人がコンクリートの地面を蹴り、
群衆の中へと身を躍らせた。
一斉に銃口から火花が散る。
しかし、それらは、すべて綾人の周りで止まり浮いている。
綾人の目が光ったと同時にそれらは、彼の目の前に居た数人の男達目掛けて飛
び去った。

「ぐわーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

断末魔を吐きながら体を蜂の巣にされた男達は、あっけなくこの世を後にした。
その男達が体を床に横たえるより先に

「サイコキネシストだ!銃は使うな!!肉弾戦に持ち込め!!」

と指示する声がした。
また、ここで余裕が生まれる。保持者と言えども連続攻撃と無数の人間相手では
あの子供も持ちはしないと・・・・。
戦場での油断ほど命を危うくするものはないはずなのに・・・。

一人の男が綾人を掴もうと飛び掛るが、あっさりとその腕を払いのけると、綾人は
自分からその男の懐に入り込み、すぐさま、左胸に凶器を点き立てた。

「ふんっ!!!」

男は、自分の身に何が起きたのか理解せぬままこの世を後にした。自分に倒れ
こみそうになる男からナイフを抜き取ると、すぐに男を払いのけ、次のターゲットに
飛び掛る。
同じようにファイティングナイフを持った男が、綾人が振り下ろすファイティングナイフを自分のナイフで受け止めたが、それは無駄なことだった。
ナイフを形成する金属の違いから防御の意味もなく、男のナイフは砕け散り、綾
人のナイフが彼の顔を斜めに深く傷をつける。
悲鳴をあげるまえに、綾人のナイフは男の気道を切り裂いた。

「ぐはっ!!ごはっ!!ぐえぇぇぇぇ!!!!」

顔の痛みより、息の出来ぬ苦しみの方が勝る。男は首を本能で自分の手で押さ
えるが開いた気道は閉じる事はない。もがき苦しみながら、床を転がる男を尻目
に綾人は、その男から何時の間にか抜き去っていたオートマッチク銃を目に映っ
た男の頭を目掛けて撃ち放った。
頭が認識するより早い綾人の動きに、その男は逃げる事もよける事も出来ず、ま
るで、撃たれる事を待っていたかのように、眉間に銃弾を埋め込まれた。

何度と無く命のやりとりをやってきた猛者(もさ)達は、その流れるような動きを
目で追うだけが精一杯で、仲間を助ける事は出来なかった。
彼らは、右手にファイティングナイフ、左手に銃を持ち、顔に浴びた返り血も拭う
事無く自分を取り囲む大人たちを冷笑する少年に、この時になってはじめて危機
感を覚えた。
特徴ある瞳の色を持つ少年に、この子供が噂の特機の隊員だとは分かっていた。
しかし、噂を耳にする彼の戦いを実際に目にしたわけではなかった。
噂というものは、必ず根や葉が付く。この少年に対してもそうだと思っていた。
だが、それこそが間違っていたのだ。
目の前に居る少年は、噂通り・・・いや、それ以上の戦いを見せている。
この場に居た者達は、皆、気を引き締めなおした。

この百戦錬磨といえる男達でも、知らない真実が存在した。
綾人が銃を握るのは先ほどが初めてだったのだ。
内なる己に身を任せた綾人の戦闘能力は、人知を超えていた。

「もう、終わりなの?」

未だに多数の戦士達が残っているにも関わらず、綾人は薄ら笑いを浮かべ、
自分の倍以上の人生を積み重ねている大人達を見下し、挑発する。
普段なら、そんな挑発には乗らない彼らだったが、綾人のその姿は、男達の闘争
本能に火をつけた。

『うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!』

無数の戦士達が一斉に綾人に群がり襲い掛かって来た。
それを、変わらぬ笑みを浮べたまま綾人は、受けて立った・・・・。



綾人は、玄関ロビーから階段を昇りロビーを見下ろせる踊り場に居た。
彼の後ろ・・・何処かの宮殿のような階段も一般住宅の部屋が数個入りそうな玄
関ロビーも、黒い屍の山だった。
心地よいハーブの香りが充満していたロビーは、今は、生臭い血の匂いと、死臭
が立ち込めていた。
白い大理石の床も壁も赤と黒に染め替えられていた。
隙間無くという言葉が似合うほどの屍の山を築く事は、綾人には大した事ではな
かった。
向こうから殺られに来てくれるのだ。
それを丁重に迎え入れ、急所を襲う。喉を掻き切り、心臓に頭部に鉛の玉を打ち
込み、次々と死の国へと招待した。

片手で人を切り裂き、片手で銃を撃つ。弾が無くなれば襲ってきた者から奪い取
る。それらを卒なく流れるようにこなす姿は、あどけない少年ではなく、生まれな
がらの一流の戦士だった。

数え切れない程の人数を相手にしておきながら、綾人は額にうっすらと汗を掻い
ているだけで、息も切らず、疲労感もなく、この屋敷に来たときと変わらない姿を
していた。
変わったのは、全身、他人の血を浴びている事だった。
それは、まるで、赤いペンキを間違って頭から被ったかのようであった。
それだけ現実離れしていた。

その彼は、今、一人の男性を壁に追い詰めていた。
座り込んだまま、驚愕の顔で綾人を見上げる男。
その男を冷ややかな目で見つめる綾人。

大人と子供が逆転している。

情けないかな、男は恐怖に体を固め、小刻みに震えていた。
その男に綾人は、新たに奪った銃の銃口を額に向けていた。
いつでも撃てる体制だ。

「この先は、あんたらのボスだけ?」

穏やかに質問する綾人に対して男は首を縦に振るだけだった。
綾人は、その男を通り越し在らぬ方向を見据える。
この屋敷の奥。
複雑に入り組んだ最も奥に人の気配がある。それが、彼の最終目的だ。

「すっごく奥まった所にいるんだねぇ。・・自分の大事な部下があっという間にこれ
だけ殺られたっていうのに、何もしないとはね・・・。立派な人だ。まあ、逃げ出さな
かっただけマシかな?ね?」

目の前で怯える男に場違いにも綾人は笑いかける。笑いかけられた方は、引き
攣った笑いしか出てこない。この男も自分の死が近いことを察して生きた心地が
していない。その男に生きる希望が目に入ってきた。だが、それを目の前の子供
に悟られてはいけない。彼は、にこやかに微笑む綾人に向かって変わらず引き
攣った笑みをおくっていた。

男の絶望を希望へと変えた者が、伏せていた体を起し上げ、綾人の背後へと立
ち銃口を後頭部に突きつけた。・・・・はずだった。
屍の中から立ち上がった勇敢な殺し屋は、頭部から赤い血を噴出しながら、綺麗
な弧を描き、その身を背後の階段へと躍らせた。
そして、そのままかつての仲間達の上を滑り落ちていった。

「・・・ぬかったな・・・。まさか殺し損ねてる奴がいたなんて。でも、勉強になったな。仲間の死体に埋もれてやり過ごすなんて、現場じゃ有り得ないからね。」

新たな死体の行く末を見届けた綾人の手にした銃の銃口から白い煙が立ち昇っ
ていた。綾人は、新たな敵が背後をついた瞬間、振り向き、冷静に頭部を打ち抜
いていた。

一瞬の出来事だった。

その一部始終を見ていた男もあまりの出来事に目を見開き、呆然と少年の背中
を見守る事しか出来なかった。
しかし、そこは一般人とは違い、すぐに頭が働き出す。
自分が怯え固まっているだけだと思いこんでいる、目の前の少年を殺す機会が
訪れたのだ。

仲間の敵・・そんなことより、唯一生き残った自分がボスを守りきったとなれば
出世間違いなしだ。裏世界に名も馳せられる。
しょせん、立身出世のみの世界である。

男は用心深く手元を探る。
運良く、死体が持っていたナイフを見つけ出した。それを、ゆっくりと引き抜き、自
分も物音一つしない静かさで立ち上がる。
綾人はまったく気が付いていない。
このことに男の気が逸る。その一瞬の気の変化を綾人は察知し銃を片手に振り
返ったが、遅かった。男は、綾人目掛けてナイフを振り下ろしていた。
それを綾人は何とか交しはしたが、左目を深く切り裂かれた。
顔の半分に熱い痛みが発し、血が溢れ出す。

「!!!」

反射的に体を丸め、片手で目を覆い、一歩後ずさる。
彼の手では受け止めきれない血が、指と指の隙間から零れ落ち、黒い屍に新た
に赤い色を彩色していく。

それを見ていた男に余裕の笑みが浮ぶ。
男は、手にしたナイフを綾人に突きつける。

「形勢逆転だな?なぁ、坊主?」
「・・・・・・。」

綾人は何も言わない。
男は、綾人が観念したと思った。これだけの戦いを見せたとはいえ、子供だ。
片目を無くすほどの怪我をしては戦意もなくなる。そう考えた。

「そろそろ、子供は寝る時間だ。おじさんがゆっくり眠れる場所に連れて行ってあ
げようね。」

そう言いながら綾人に止めを刺すために近づいた。
その時、ゆっくりと綾人の顔があげられた。
男の眉間に皺が寄る。

あれほど流れていた血が止まっている。

殺し屋としての本能が男を立ち止まらせる。
自分の知らない何かが目の前で起こっている。
綾人は、ゆっくりと手を離す。血が拭い去られたその部分には本来ならあるはず
の醜い傷跡が存在しなかった。うっすらと線が残っている。だが、それも顔にいた
ずら書きされたかのようなもので、傷跡とは呼べない。
男は、驚愕する。手ごたえは充分あった。確実に片目は切り裂いた。
経験上、失明しているはずだった。それは、あの沢山の流血が物語っていた。
しかし、目の前の少年の目から血も流れていなければ、傷跡すらない。

少年が保持者とは知っていた。保持者が傷の治りが早い事も知っているが、あの
ように酷い傷が、一瞬で治る事は保持者といえども例がない。
男の背に冷たいモノが一筋流れた。
それにあわせたかのように閉じられていた綾人の左目がゆっくりと姿を現す。
それは、光なき白く濁った色ではない。色鮮やかなアイスブルーだ。

「痛いなぁ・・・。何てことするんだよ。」

くすくす笑う綾人に男は恐怖よりも不気味さを覚えた。

「・・・・化け物・・・・。」

男の素直な感想だった。
顔をゆがめる男に対して、綾人は冷たい視線を放つ。

「そんな事、あなたに言われなくても分かってる。」

そういい終わらないうちに綾人は床を蹴り、素早く動き出し、
男の額を己のファイティングナイフで深く突き刺していた。

「僕の代わりに行ってくれる?ゆっくり眠れる場所に・・・・。」

綾人がファイティングナイフから手を離すと、男は糸の切れた操り人形の様に後
ろに崩れ落ちていった。
それを冷ややかな目で見下ろす綾人。
彼の目に移るものは「人」ではない。自分の目的を達成するための「材料」でしか
なかった。
広大な屋敷の中で、自分を守る者が誰一人としていなくなった今、屋敷の奥で
「あいつ」は慌てふためいているはずだ。
今更ながら、逃げ出そうとしているかもしれない。

余裕が恐怖に変わっているはずだ。

そう思っただけで、笑いが止まらない。

(もっと、苦しめ。もっと、恐がれ。もっと、震えろ。もっと、もっと・・・・。)

声を出して笑いながら、屍を踏みつけ歩く綾人はそう思わずには居られなかった。
自分から命と同じくらい大切な者を奪った汚い大人を、自分の代わりに最も華や
かな人生を送るはずだった小さな命を奪った欲に塗れた大人をそう呪わずには
いられなかった。

「樹里。・・・・僕が悪い人をやっつけるからね・・・。」

そう呟く綾人の目は正気ではなかった・・・・。




綾人は歩いた。
広大な屋敷に存在するただ一つの人の気配を頼りに。何度も右に曲がり、何度も
左に曲がり。人に聞いただけでは決して辿り着けないと思われる道順を何の躊
躇いもなく歩いていた。
そして、一つの部屋の前に辿り着く。
屋敷の玄関と変わらないような扉の前で綾人は眉間に皺が寄る。

ここに来て気配が二つ感じる。強い気配と弱い気配。
考えている間に、ふっと強い気配が消えた。屋敷から逃げたのではなく、この部
屋から逃げたのだ。
そして、気配を殺した。
表の顔は実業家だが、裏では殺し屋を束ねる恐怖の存在だ。気配くらい殺せる。
しかし、此処にいたっては今更無駄な努力だ。

弱い気配に自分に対する殺意が感じられなかった為、綾人はゆっくりと扉を開け
ると中に入った。
広々とした部屋には、天蓋付きのこれもまた広いベットが置かれているだけだった。
ここは、綾人が狙う人物の寝室のようだ。
寒々しささえ感じる部屋で、綾人は、静かにゆっくりと息を殺してベットへと近づく。
綾人の狙う人物ではなさそうだが、何かの罠かもしれない。
ベットの上の人物は、殺意のない振りをしているのかもしれない。
どんな状況でも気は抜けない。
それは、つい数分前に沢山の大人達が彼に実戦して教えてくれたことだ。

ベットを隠すように垂れ下がる天蓋のカーテンを掻き分けると、そこには、白い肢
体を投げ出し、目も空ろな少女が仰向けになっていた。彼女の目尻からは止めど
なく透明の涙が溢れていた。
その少女は綾人がいることさえ気が付いていない。彼女は、虚無の世界に身を
置いているようだ。
綾人の目から見て、この少女は16・7歳の高校生に見えた。
一見、この屋敷の主とは何ら関係のない少女がどうしてこの様なところにいるの
かは、職業柄綾人には手に取るように分かった。
借金のカタに無理矢理体を開かされたのだ。その借金さえ、この娘を手に入れる
為にあの男が手を廻したのかもしれない。
しかも、この一方的な行為が終わってから間もない感じがする。
余裕綽々で部下の働きをモニターで見ていたのかと思っていたが、過ぎた余裕
から無垢な少女を穢していた。

綾人が唇を強く噛む。
血が薄っすらと流れ出す。

綾人の中の憎しみが更に増して行く。
「あいつ」に対する嫌悪が増していく。

綾人は、少女にそっとシーツをかけると、開けられたままの目に手を置き、それを
下に降ろすと少女の目を閉じさせた。そして、そのままの格好で接触テレパスで
、絶望という暗闇に身を置く彼女に「希望」をイメージして送り込む。これ以上の苦
痛を味あわないように・・・。

少女の口元にうっすらと笑みが燈った事を確認した綾人は、再び、戦場へ戻る。
寝室に、続き部屋へと通じる扉を見つけた。自分が入ってきた扉以外に他に何処
へも行けない。
「あいつ」はそこに居る。そう確信した。
最終戦に望む綾人は、先ほどとは変わって感情のない人形かロボットの様に冷
めていた。
異常な程の興奮から異常な程の冷静さに変わっていた。

続き部屋へと通じる扉に手をかけた瞬間だった。
銃の発射音が聞こえたと思ったら、扉から無数の小さな鉛玉が綾人目掛けて飛
び込んできた。
綾人は打ち込まれた衝撃で弧を描きながら後ろに倒れ落ちる。

二つの部屋に静寂が戻ってくる。

綾人が少しも動かない事を扉一枚隔てた場所にいる宇美野は確認すると、扉を
開け、姿を現した。
白いガウンを羽織った恰幅の良い中年の男は手に散弾銃を持っていた。
薄暗い中を綾人が死んでいる事を確認する為に近づいていく。

「意外とあっけないものだな。・・・こんな奴にてこずるとは、まったく・・・・情けない
・・・。」

そう彼が呟いた時だった。
自分の右腕に鈍い痛みが走った。それは、右腕全体に感じる。

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

散弾銃を床に投げ出し、床に両膝をつき、右腕を庇うかのように抱きかかえ体を
丸め込む宇美野。
自分に何が起こったのか分からない。ただ、右腕がもげるように痛い。
血が止めどもなく溢れてくる。
彼の体中の毛穴から脂汗が流れ出す。

(これは・・・一体・・・・。)

苦痛に歪みながらも現状を把握しようと脳はフル回転する。しかし、分からない。
自分にこれだけの傷を負わせるものは今のこの部屋には存在しない。
そう、存在しないはずだった。

「どうしてこうなったか、分からない?」

ふいに目の前から幼い声がする。一瞬、自分が痛みのせいで幻聴でも聞いてい
るのかと思った。
しかし、そうではない事が立証される。
血まみれで横たわっている死体が、むっくりと起き上がりだした。
宇美野は信じられなかった。大量の血を流している人間が生きているなど有り得
ない。
彼はこれも幻覚だと思った。思いたかったといったほうが正しい。

起き上がった綾人の右手が青白い光に包まれていた。

「教えてあげるよ。こういう事だよ。」

掌からなにやら小さな粒が宇美野の左肩を目掛けて飛び出してきた。
肩に激痛が走る。

本能的に痛みを発する部分に手を置きたかったが、右腕も何かで塞いでいたい
程、傷ついている。彼は成す術もなく両腕を力なく投げ出し、痛みに耐えている。
顔から血の気は失せ、青白くなっている。
そんな彼に綾人が近づいてくる。

「貴方が撃った散弾銃の弾は、全部僕のこの手の中だよ。そして、撃ち込んだ。
・・・この血は、あなたの部下達の血だよ。快楽に身を任せずにモニターで見てい
たら分かったはずさ。片付いたと思って監視室にでも連絡したら誰も出ない。何
事かと思って隣の部屋でモニターを見てみると、誰一人生きていなかった。で、
慌てて銃を構えた・・・。そんな所でしょう?」
「くそ・・・」
「ねぇ、痛い?痛いよね・・・。でも、そんなの樹里が受けた痛みに比べたらどうっ
て事ない。」

宇美野は自分の上から冷たい言葉を落とす少年を見上げた。そこには、薄ら笑
いを浮べた死神が居た。
宇美野は、産まれて初めて感じる恐怖に右腕の痛みも左肩の痛みも忘れて身を
固めてしまう。
巷でよく耳にする「身も凍るほどの恐怖」というのを実感していた。

「ねぇ、今、どんな気分?後悔してる?してるよね・・・あの時、僕を殺せなかった
事を。早いうちにまた暗殺しなかった事を。」
「・・・・・・。」
「自分がした事は正しいんだもんね?悪いのは、貴方の歩む道を阻もうとする者
の存在。・・・・いい考え方だよね。僕もそう思うよ。だから、僕から大事な者を奪っ
た貴方から大事な命を奪うことにする。これで公平だね。」

冷ややかに微笑む綾人を宇美野は黙って見つめている。それしか出来ない。
たしかに彼は後悔していた。ただ、綾人が言った様な事ではない。
自分が触れてはいけない物に触れてしまったという事だった。

綾人が言う通り、宇美野は、自分の行く手を阻む者を排除してきた。それは、阻
む者が悪いのだ。今回もその法則に則っていたはずだった。しかし、それは間違
いだった。
今回に限っては無視するべきだった。
存在していたのだ。この世の中に彼が信じていなかった“神聖不可侵”な者が・・
・・。

今更、気がついても後の祭りだった。

綾人の瞳が光る。
宇美野の体が意思とは関係なくゆっくりと立ち上がる。何かに拘束されているか
のように自分の体がいう事をきかない。

「地獄の底でゆっくりと味わうがいい。天使を殺した己の罪を。・・・・僕に触れた罪
をその魂に焼き付けて送り出してやる。苦痛の中を永遠に彷徨えばいい。」

死の宣告の後、綾人の右腕が青白く光り輝き出した。
死刑執行の時間だ・・・・。



時間は遡る。
綾人が宇美野の寝室を見つけた頃、玄関ホールに男女の姿があった。
京と春麗だ。
二人は、樹里殺害の証拠を掴む為に張り込んでいた二課の捜査員の通報で取り
急ぎ駆けつけたのだ。
緊急車両で向かう道すがら春麗は祈り続けていた。

(どうか、間に合って・・・・。)

と・・・。綾人が父親を殺された恨みから起した事件を目の当たりにしていた彼女
は、二度と彼にあのような事はさせたくなかった。あのような目つきをさせたくな
かった。
だが、現実は彼女にも厳しかった。
二人の目の前には、阿鼻叫喚という言葉がしっくりと当てはまる地獄絵図が広が
っていた。今まで多くの事件現場を目の当たりにしてきた二人でさえ、この現場
は目を逸らしたくなった。

誰一人穏やかな死に顔はしていない。最大限に開かれ、飛び出さんばかりの眼(まなこ)。
何かを掴もうとしているかのように伸ばされた腕。
開かれた口からは泡と共に赤い液体が流れていた。

「苦悶の表情」・・それしか当てはまる言葉が二人の頭には浮んでこなかった。

ほんの数十分前までは、訪れる客がため息混じりに感嘆の声をあげていたに違
いない玄関は、その美しい姿をとどめる事無く、今では、訪れるものに恐怖を味
あわせるものに成り下がっていた。

「・・・ここに居ても埒があかねぇ。さっさと綾人を探し出そうぜ。時間的にまだ間に
合うはずだ・・・。」
「そうね・・・。会長を殺す前にあの子を保護しないと・・・。」

京と春麗は、僅かにある屍と屍の隙間をぬってホールを抜け、階段を駆け上がる。
その姿は飛び跳ねているようにも見える。
その彼らが途中、綾人のファイティングナイフを額に突き刺したままの死体を見つ
けた。
それに京は顔を歪め、春麗は落胆した・・・。
綾人の精神の破綻を形として見せられた気がしたのだ。しかし、その思いも頭を
一振りし、払いのけると、奥にある宇美野の寝室を目指して走り出した。

二課から提供された屋敷の見取り図を持っていたが必要なかった。
点々と存在する赤い道標が彼らに目的地へと続く正しい道を教えていた。その道
標を頼りに寝室までやってきた二人は、部屋の前で立ち止まる。中の状況を僅か
な時間で把握する為に。
人の気配がする。
しかも二つ。

(間に合った!!)

二人はそう思い、勢いよく扉を開け放った。
しかし、というかやはりというか、神は無慈悲だった・・・。二人の願いは、空しく誰
かに握りつぶされる。

扉を開け放った二人の目に飛び込んできたのは、恰幅のいい宇美野の体を己の
右腕で綾人が刺し貫く瞬間だった。

「やめて!!綾人!!!!!」

春麗の叫びは届かなかった。
クジュっという鈍い音を出し、生身の槍は分厚い体を簡単に貫いていた。
事切れた宇美野の体が綾人に覆いかぶさるように倒れてくる。それを跳ね除ける
かのように綾人は自分の腕を引き抜き、左手で軽く圧し、放り投げる。
鈍い音を発しながら、人だった物が床に落ちる。・・・・血飛沫を巻き上げながら。

それを見つめる冷たい笑みを浮べた綾人に、京と春麗でさえ息をのむ。
今の綾人の中に、暖かな感情は一欠けらも存在していなかった。存在しているも
のは、綾人自身さえも凍らせてしまうほどの冷たい感情。
こんな冷え切った人を、・・・綾人を見るのはいつも一緒にいる二人でさえ始めて
だった。

できれば見たくなかった。
できればこんな状態にしたくはなかった。
できることなら・・・・。


二人の想いは、全てが無に帰した。


己が知っている気配に気がついた綾人が佇む二人の方を顔だけ向ける。
その時、彼の髪の毛から誰の血か分からない血が雫となって滴り落ちた。

「案外早かったね。二課の人がいる事は知ってたけど、こんなに早く来るとは思わ
なかったよ。」
「綾人・・あなた・・・・」
「早くすれば?僕を捕まえにきたんでしょう?家宅侵入、無差別殺人、とっておき
は、堅実な商社の会長の殺害。・・・警官としての規律違反なんて数え切れない
ね。まっすぐ留置所?年齢を考えて自宅軟禁?ねぇ、春麗・・・。」
「・・・・・・・。」
「なんで二人共そんな目をしてるの?犯罪者に対して同情なんて必要ない。必要
なのは、上官の命令だけを聞く非情さ。」

自分達を軽く睨みつける綾人に京と春麗は何も言えなかった。
綾人であって綾人ではない彼に、自分の領域を侵す事を良しとしない孤高の野
生獣の様に冷たい視線を投げつける彼に、二人は掛ける言葉が見つからなかっ
た。

京と春麗は、自分達の無力さに打ちひしがれていた。
冷静さを失っている綾人が今回の黒幕の事を知れば、単独で動く事など容易に
想像できた。
それが、容赦ない殺戮になる事も。
それが現実にならないように万全の体制をしいて動いているつもりだった。
しかし、それは甘かった。万全など絶対などこの世の中に存在しない事を再認識
させられただけだった。
情報は漏れ、目の前の少年は二人が想像した以上の殺戮を繰り広げてしまった。


・・・護れなかった・・・。


二人の心をこの言葉だけが暗く支配していた。
二人は護れなかった・・・・。
綾人自身も、綾人に殺戮などさせないと樹里に誓った誓いも、綾人のほんの僅か
な将来も。
これほどの事件を起こされては、特機内部での情報操作は無理だ。
しかも相手は、表向き堅実な事業を展開する商社の会長だ。彼が裏社会と関係
があるという証拠は欠片さえない。表面的には、善良な一般市民を特機の隊員
が大量に殺害した事になる。

綾人はいま、彼自身が言うように「犯罪者」だ。
今回は、前回とは違いきちんと公開され、細かな手続きを踏み、綾人は処される
事になる。
死刑は免れないだろう。
そうなる事は、綾人自身がよく分かっていた。分かっていたからこそ、実行したの
だ。
半身を永遠に亡くした彼は、生きる望みも気力も失っていた。
でも、ただで死ぬのはしゃくだった。だったら道連れを作ろうと思った。
樹里を殺した犯人を、白い天使を握りつぶした黒い悪魔を道連れにした。

事を成し遂げた綾人は、無の状態だった。
彼は、何も考えず何も感じていない。

無表情で自分達を見つめる綾人をどうする事も出来ずに、ただその場に立ち尽く
すだけの京と春麗の心を後悔という言葉では語れないほどの暗い感情が渦巻い
ていた。



現場で保護された綾人は、7歳の時のあの事件と同じように家族から隔離され、
特機の建物の一室に居た。むろん、その部屋から出る事は許されていない。
部屋の外にも内にも交代で見張りがついた。
しかし、それは必要のないものであった。心の無い彼は、起きている間中ずっと
窓の外を眺めているだけだった。
逃げる事も自殺する事も考えている様子はなかった。
見張りには京も春麗もあたったが、綾人はその懐かしい人達でさえ反応しなかっ
た。
彼の周りには何も存在していなかった。もしかすると自分自身でさえ存在していないのかもしれない。

事件から数週間経ったある日。
渡辺のもとに警察庁長官の秘書官自らが尋ねてきた。秘書官を出迎える特機の
職員達は悟った。裁決が降りたことを。自分達に良くないことを運んできたであろ
う人物を黙って受け入れた。
応接室で秘書官と向かい合って座る渡辺は、非常な裁決を運んできた割には、
穏やかな雰囲気の人物に「極刑を宣告される」という事以外の別の嫌な予感がし
た。
とりあえず、手渡されたA4版の薄い封筒から数枚の書類を取り出し、早速読み
始める。5枚綴りの報告書を読み進めていくうちに、渡辺の顔が厳しさを増す。そ
して、別紙の一枚を読んだ時、彼は驚愕の表情に変わる。

その表情のまま目の前の人物に視線を移す。

「こ・・・・これは・・・・。」
「読んで頂いたとおりです。今日お持ちした報告書は急遽作らせたもの。数日のう
ちに正式な報告書をこちらに届けさせます。それは、読み応えありますよ。」

言葉は柔らかだがにこりともしない表情から、その報告書に関する質問は一切受
け付けないという事が伺われた。釈然としない気持ちのまま、渡辺はまた、報告
書に視線を戻す。
それには、大雑把に言うと綾人の罪は問わないと書かれている。しかし、それは
諸手を挙げて喜ぶ事は渡辺には出来なかった。

簡易版の報告書は、こう綴っていた。
宇美野産業会長宅を襲ったのは、裏社会で頭角を現し始めた犯罪グループだと
され、近々検挙する。その際は、特機の捜査課も参加する事。
今回の事件の緘口令は無期限に執行される。重々な管理を行うように、そして、
もし違反者が出た場合は、速やかに対処すること及び厳罰に処すること。
如月綾人の特機内部での監禁を速やかに解き、自宅へ帰し、一ヶ月の療養を取
らせる。
名目は、身内を亡くしての精神的苦痛による疾病。

小難しい日本語を使い、ダラダラと理屈を並べ立てた文章に渡辺は、警察上層
部と日本政府の思惑が見え隠れしている気がした。しかし、それよりも彼を驚愕
させたものは、別紙の方だった。
辞令内定書だったが、その内容が突飛以外の何者でもなった。

内容は・・・。
綾人が16歳を迎える日付をもって、渡辺は兼任していた隊長職を解かれ、部長職のみになり、管理に専念することになっていた。
そして、空いた隊長職には綾人が就くことになっていた。
それに伴い異例ではあるが、綾人の階級が4階級あがりAクラスへと昇進する。

渡辺の心を複雑な感情が覆い尽くしていた。
綾人の罪が問われない事は喜ばしい事ではある。しかし、その為に犯罪者とは
いえ、この件に無関係な者達をエスケープゴートとして差し出し、更に裁く事は納
得出来なかった。
この事を知れば、綾人は益々心を閉ざすだろう。根が優しい少年だ。
また、自分の為に人が犠牲になったと気にするに違いなかった。
その事が分かる渡辺は素直に喜べなかった。彼の昇進も、そんな年齢で背負わ
なくてもいい責務を負わされる事に「可哀相に・・・」と思うだけだった。

警察上層部と日本政府は、特機隊員が起した事件に頭を抱えたかというとそう
ではなかった。
押収した監視カメラの記録から映し出される光景に、誰もが息をのんだ。
非常にも的確に急所を狙い一瞬のうちに息の根を止めていく光景に皆が色めき
立った。
画面に映る者は、犯罪者ではなく一流の戦闘員だった。

(これは手放せない。)

誰もがそう思った。
彼がいれば、犯罪保持者後進国などと言われずにすむ。それからは、どうやって
この事件を処理するかを話し合われた。そして、出された結果が渡辺が手にした
報告書と辞令内定書だった。

人間の欲望が見え隠れする書類を渡辺は握りつぶしたい衝動に駆られた。しか
し、そうしたからといって綾人に対する決定が覆る事はない。またもや、彼は無慈
悲に人に決められた人生を歩まざるを得ない。
渡辺は、確信する。「この世に神も仏も存在しない。」と・・・・。
彼は保持者ではない。しかし、長年、保持者と接し仕事をしてきた。その度に思っ
ていた。
何故、この人達がこんな目に会うのだと。本当に神や仏はいるのかと・・・。
多くの保持者は神も仏も信じていない。自分にこんな過酷な運命を背負わせる者
に対して敬謙な気持ちになどなれるはずもなかった。本当にいるのなら救って欲
しかった。
しかし、誰も救ってはくれない。
渡辺は、保持者と同じ気持ちになっていた。たった一人の少年に無慈悲な仕打ち
しかしない神など仏などいらない。そして、彼以上に年齢を重ね、経験を積んで
おきながら何も出来ない
自分も・・・・。

渡辺は、警察上層部と日本政府の面々が、善人そうな顔をして人を平気で蹂躙
する質の悪い犯罪者の様に思えた。しかし、その仮面を被った者達の中にも綾
人の境遇に眉を顰める人物が居た。警察庁副長官の本郷だった。彼は色めき立
つ会議室にいて一人だけ静かに事の成り行きを見守っていた。
誰もが、彼をこのまま日本が有し、使う事だけを考えていた。
本郷は、ため息をついた。愚かな者達に向けて。

こんな爆弾を身に抱える危険を何故考えないのだと。
まだ、誰かの保護を必要としている少年に一国の未来を託そうとなど、大人が考
えるべき事ではないと。
なによりも、彼は「人」であると。所有などという言葉を使うべきではないと。

本郷はそう思っていた。口には出せはしないが・・・。
まだ彼は、この中の一部であり、大多数の意見を覆すほどの力は無かった。

表の権力を持つ大人たちは、12歳の綾人を罰する事はなく、更に縛り付けること
にした。
そして、それから綾人は「人」として扱われる事はなかった。
彼はあくまで、日本が保有する最高級の保持者で、戦闘員で、「兵器」だった。
本郷が長官に就任するその日まで・・・・。


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