■ First Contact ■
高校生活もそれなりに順調に過ごせている。本当は、高校には進学する気はなかったのだが、母と春麗が頑なに進めたので行く事にした。彼女達は、俺が、この年で仕事漬けになるのを嫌っていた。
俺としては、面倒な二重生活と別れたかったのだが・・・・。
まあ、周りが大人ばかりで、殺伐とした職業だから、学校に来て同年代の級友達と話すのはいい気分転換にはなる。
「如月〜〜〜、ドイツ語の問題集貸してくれ〜〜〜。」
夏休みが終わり、二学期が始まって間もない日の放課後、同じクラスでドイツ語を選択している友人が俺の机の目の前でしゃがみこみ、犬のような目つきで懇願している。
この高校は、帰国子女が多いので、英語を母国語とする国から帰ってきた生徒もしくは、英語を得意とする生徒は、英語の授業を免除され、替わりに「フランス語」か「ドイツ語」を選択させられる。
父と母が国際結婚の家庭だったので、通常の会話は英語だった。瑤子さんや龍哉さん、如月の祖父母との会話や手紙も英語だったので日本語以上に得意だ。という訳で英語は免除される。
しかも、俺は、フランスからの帰国子女ということになる。今も母とはフランス語でやりとりをするので、勉強をする必要はない。
従って、残るドイツ語を選択することになるのだが、ドイツ語も日本に来る前はウィーンとパリを行き来していたので、読み書きは不得意だったが、日常会話はできていた。しかし、長年使っていない。忘れている事が多かったので「ドイツ語」を選択した。が、幼い時に身に付いたものは中々忘れないのか、授業が進むにつれて湧き水のように思い出し、今ではすっかり思い出してしまっていた。
でも、文字はすっかり忘れているので、授業を受ける価値はある。
春麗は、俺の頭がいいから思い出すのであって、普通は使わなければ忘れるというが、本当に俺の頭がいいのなら、漢文や古文も素直に理解して欲しいものだ。
しかし、なんだって、今更使いもしない文字の勉強なんかするんだか・・・。根っからの日本人ではない俺には理解できない。
日直だった俺は、書きかけの日誌から視線を犬と化している友人に移す。本当に奴の頭に耳が、腰に尻尾が見える・・・。
「おい。まさか、明日提出のあの大量の課題をやってないのか・・・。」
「・・・半分・・・・・。」
ははっと笑う友人に、軽い眩暈を覚えながらも机の横に立て掛けているデイバックを取り、中からドイツ語の問題集を取り出し、しゃがみ込んだままの友人の頭をそれで軽く叩く。
「自分で解かないと身につかないぞ。」
「分かってる。分かってる。でも、そう言いながら貸してくれる如月君がすき。」
「男に好かれてもな・・・。」
自分の頭の上に置かれた問題集を受け取りながら一応礼を言う友人に、呆れ顔で答える。
「そう、つれない事言うなよ〜〜〜・・・ってあれ?如月の目って真っ黒じゃないんだな。微かに青いっていうか、緑っていうか・・・そんな感じ・・・。」
俺は、心の中で舌打ちする。
間近で見ると黒のカラーコンタクトでは隠し切れない本来の瞳の色がうっすらと見えるのだ。
俺は、こことは別の私立中学に通いはじめるときに、オッドアイを隠す為、黒のカラーコンタクトを入れ始めた。小学校の時にいちいち話題になり面倒臭かったという事もあるが、なによりも自分がこの瞳の色が嫌いだった。鏡に写る度に出会うもう一人の自分・・・。自分のせいで永遠に失くしてしまった自分の半身・・・。
大事な者を失くす原因となった特徴ある瞳の色を俺は嫌悪していた。
「ああ。何代か遡ると外国人が家系にいるらしい。それでだろう。」
「ほ〜〜〜。」
何代も遡らなくてもいい。この国から見ると母親が外国人だ。それに俺自身も何カ国の血が混じっているんだか分からないくらい混じっている。純粋なフランス人ではない母でさえ自分の家系にどれ程の外国人が混じっているのか把握できていなかった。
ああ、でも、国籍でいうと俺も外国人になるのか・・・。日本の他にフランスの国籍をもっているから。
日誌を書き終えた俺は、それを閉じ、ボールペンをペンケースに仕舞う。
「日誌を出したら、俺は、図書室にいるから。写し終わったらそこまで返しに来い。」
そう言いつつ、デイバックにペンケースを放り投げる。
「おおう。」
俺に問題集を借りる前とはうって変わって、晴れ晴れとした顔つきで友人は答えると、いそいそと自分の机に戻り、一心不乱に写し出した。
デイバックを背負い、日誌を片手に教室を出ようと引き戸を横に引いた時だった。
「げ〜〜〜〜〜!!遅れる〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
と叫びながら、ショーットカットの黒髪の女子生徒が全速力で俺の目の前を駆け抜けて行った。
危なかった・・・。ちょっとでも、俺が出るのが早かったら完璧にぶつかっている。
(元気だな〜・・・。)
と思いつつ、廊下に出た俺は、その彼女の後ろ姿を見送っていた。すると、今度は、
「や〜〜〜〜・・。かすみ〜〜、まって〜〜〜〜・・・。」
と、少し、おっとりとした声が俺の後ろから聞こえてきた。振り返ると、何とも可愛らしい小柄な女子生徒が小走りに走ってきていた。この子は、先程の子の友人のようだ。カプリパンツにTシャツといった先程の彼女と違い、必死に走っているこの子は、タイトスカートと開襟シャツといういでたちであったので、走りずらそうであった。
その彼女が俺の横を通り過ぎようとした時、間っ平らな廊下で何故か躓き、派手に転びそうになった。
「危ない!!」
俺は、片腕で彼女を受け止めた。左腕にずっしりとした衝撃が走るが、いつも受ける衝撃に比べればたいしたことはない。
「大丈夫?」
左腕に抱きとめた彼女の体勢を元に戻しながら聞く。彼女は一度コクンとうなずいた。その時、茶色の柔らかい髪がサラサラと音を立てた。
「ありがとう。ごめんね。」
丸い大きめの茶色の瞳が俺を覗き込む。その瞳に吸い込まれそうになりながら、
「どういたしまして。」
と言い、軽く微笑んだ。
すると、彼女の頬が見る間に赤くなっていく。女性は、何故か俺が微笑むと顔を赤らめる。何故だろう?
そして、いつもは、「あっ、まただ。」としか思わないのに、彼女に対しては素直に“可愛い”と思った。
「あ〜〜〜。みさき!どうしたの!?」
先程の彼女が友人が付いてこないを気付いて引き返してきたようだ。
俺は「みさき」と呼ばれた子から添えたままの左腕を離す。この時、無性に離れ難かった。
「あのね。転びそうになったのを、彼が助けてくれたの。」
「みさき」さんが俺を見上げる。それにつられてその友人が俺を見上げる。
「あれ!?君ってば、噂の如月綾人君じゃない!!」
噂???
この単語に引っかかりを覚えながらも
「そうだけど・・。」
と、俺のほうでは面識の覚えがない元気娘に答える。彼女は、軽く握った右手を顎に置き、下からなめる様にマジマジと俺の顔を覗き込む。
「へ〜〜〜。噂は本当だね。これは、マジで綺麗だわ・・・。」
そう言いながらもまだ見ている。なんだか、おやじに品定めされている女性の気分になってきた。
「ねぇねぇ、かすみ・・。時間・・・。」
みさきさんが、俺を嘗め回すように見続ける友人を現実に引き戻してくれた。
「あああああああ!!!」
かすみという子は、本来の目的を思い出し、大声を張り上げる。
うるさい・・・・。なんで、この子はいちいち元気なんだ・・・。
「こんな事をしてる場合じゃないのよ!いくよ!みさき!!じゃあね、如月君!!」
一気にそう言い放つと、かすみさんは、みさきさんの手を取り走り出そうとした。
「こら。ちょっとまて・・・。」
それを、彼女の肩をつかんで俺が止める。かすみさんが、ものすごい勢いで俺を睨む。
俺を睨んだ普通の女性は彼女が始めてだ・・・。
それはさておき・・・。
「急いでるのは分かるが、君と友人の服装の違いを気にしたらどうだい?」
俺の指摘に、かすみさんが隣の友人の服装を見る。そして、「あっ」と小さな声をあげると
「ごめん・・・。走りずらかったね・・・。」
と眉を顰めて謝った。騒がしいだけかと思ったら、それなりに素直のようだ。
しかし、しおらしかったのはつかの間で・・・、
「ご指摘ありがとう!じゃあね、美少年!!」
かすみさんは、右手をピッとあげてそう言うと、みさきさんを連れて早歩きでその場を立ち去っていった。
「美少年!?」
この言葉に対しての抗議を行いたくても、抗議相手は、はるか向こうに行ってしまっていた。
嵐のような子だ・・・・。
まあ、あの子だけに限った事ではなく、皆元気だよな。
俺は、俺と俺の周りの温度差を感じてしまう。俺が周りから浮いているというわけではない。それなりに溶け込んではいる。ただ、冷静に周りのことを見ている自分が心の中にいる。
話しかけられれば話すが、自分から話しかける事はない。
級友達は、ちょっとのことで大笑いしたり、騒ぎ出したりするが、俺は、どこがそんなに可笑しいのか、どこにそんなに騒ぎ出す必要があるのか分からなかった。
〜 もの静かな、落ち着いた人 〜
それが、中学以来、周りが俺に抱く印象だった。
今の俺しか知らない奴らは驚くかもしれないが、幼い俺は、やんちゃの限りをつくし、母と手伝いのフランをいつも困らせていた。
声を出して笑ったのはいつだろう・・・・。
大騒ぎしたのはいつだろう・・・・。
もう、何年もそういった行為から遠ざかっている様な気がする。
俺は、もう一人の自分を失くして以来、心の何かが欠けていた。
だからといって、それを見つけようとか埋めようとかは思わない。別に無くても生きていくのには困らない。
日誌を提出するために職員室に向かっていた俺は、なんとなく自分の左腕を上げる。「みさき」というあの娘(こ)の温もりと感触が、まだ、なんとなく残っていた。
「みさき・・・か・・。」
ふいに彼女の名前が口をつく。
(どんな漢字を書くのかね・・。「美しい」と、「咲く」という漢字だったら、彼女のイメージそのままなんだけどね・・・。しかし、日本語って、なんでこんなに文字が多いんだ?)
人の名前など気にした事がない俺が、初めて人の名前が気になった。
まだ、幼い蕾でも充分可愛い彼女だから、将来はさぞや綺麗に咲き乱れるのだろう。
誰が咲かせてくれるのかは知らないが、俺ではない事は確かだ。
純真無垢という言葉が似合う彼女が、茜の様に中途半端な咲きかたをしなように祈ろう・・・。
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