■ 傷 part2 ■
街角の街路樹達が色づき始めてきた。茜と、関係を持つ様になって一年が経とうとしている。
「珍しいな。お前がそんなに長く一人の女の所に入り浸るのは。」
京の言う通りだ。俺は、一人の女に執着したことがない。関係が関係だけに執着しようがない。京が言うところの「とっかえひっかえ」だった。
香苗さんと結婚するまでは、あまり人の事をとやかく言える立場ではなかった京は、俺のこの生活には、何も言わない。ただ、「子供は気をつけろよ」とは言う。
「その人の事を本気で愛してるなら、なおいいのだけれどね・・・。」
春麗は、異性という事もあってか、俺のこのような生活を良く思っていない。一人に落ち着いたとは言っても、体だけの関係だ。お気に召すはずがない。
俺は、何の約束もせず、どちらかが会いたくなったときに会い、気を使うことも、使われることもないこの関係が気に入っているのだけど・・・。
そんな事をいったら、きっと春麗に火達磨にされる。
この二人は、俺が小さい時から自分の家族以上に可愛がってくれている。俺も二人を兄と姉の様に慕ってはいるが、最近、この二人から注がれる愛情が重く感じる。
二人が嫌いになったとか、うざったいとかではなく、注がれる愛情に対して俺は何も返してあげられ無い事が息苦しいのだ。それと、この愛情は、もう一人も受け続けるはずだったと思うと、素直に受け取れない・・・。
そんな時に、茜と会うと息苦しさが取れる。何も考えなくて良くなる。
彼女は、何も聞かずただ俺を受け入れてくれる。
彼女は、俺の逃げ場だった。それは、彼女も同じようだった・・・。
「はい。綾人。」
壁を背もたれに使い、両膝を立てて小さいけど厚い本を読んでいる俺の目の前に、ホットミルクが入ったマグカップが差し出された。ほのかにブランデーの香りがする。
茜の好きな飲み物だ。
「ありがとう。」
そう言って、茜の手からマグカップを受け取る。数回息を吹きかけてから、少しずつ口の中に入れる。温かな液体が喉から胃へ流れ込んで行くのが分かる。ブランデーのせいか、ほんの数口で体中が温かくなっていく。
「げっ!なに、それ!?英語!?」
マグカップ片手に俺の隣に座った茜が、本を覗き込んで顔をしかめる。
「違う。フランス語。読む?」
意地悪くそう言うと、茜の頬が膨らむ。こういう仕草はとても俺より十も上とは思えない。
「あんた喧嘩売ってる?」
「ううん。いじめてる。」
「やな男ね!そんな意地悪な子には、今日は、させてあげません!」
茜が膨れた頬のままプイッと背を向け、そっぽを向く。子供だ・・・。
しかし、一年前では考えられない程、彼女は俺に対して感情を出すようになった。声を掛けられた頃は、必要最低限の感情しか出していなかった。例えるなら、保護された野生獣の子供。適度に距離があるときは大人しいが、むやみに触ろうとすると怯え、噛み付こうとする。でも、何かを求めている。
そんな感じだった。
しかし、素の感情を出すのは俺の前だけのようで、一度だけバイト先に迎えに行った時に見た彼女は、出会った頃の彼女だった。むやみに自分に触るなという、無言のバリヤが張り巡らされていた。
それはさておき、「させてあげません」って・・・。このアマ・・・。
電話で俺の事呼んだのはどこのどいつだよ・・。
俺は、自分の本とマグカップをテーブルの上に置くと、茜を背後から軽く抱きしめた。
「ふ〜〜〜ん。そんな強がり、いつまで言ってられるのかな?」
そう言いながら、彼女のマグカップを奪い取り、テーブルに載せる。そして、彼女の耳たぶを軽く噛む。
「ふっ・・・。」
吐息は我慢したようだけど、体は素直に反応している。
俺は、彼女が逃げないように左腕で彼女の腰をしっかりと抱きしめ、右手をシャツの裾から侵入させ、ブラの上から彼女の左胸を優しく揉み始める。
「くっ・・・・・・ふっ・・・・・・。」
茜は、口を真一文字に結び何とか俺から逃れようとするが、がっちりと抱きしめている俺からは逃れられない。
「茜は意外と強情だな・・・。」
俺は、そう耳元で囁くと、そのまま口を首筋に落とし、舌で攻め上げる。
「はぁぁぁん!!」
茜の体がしなる。
彼女がおちたのを確認した俺は、シャツの中で胸をまさぐっている右手でブラを上にずらし、直接揉みだす。
「ふぁん!」
完璧におちた茜の胸の突起を親指と人差し指で挟んだ時だった。
「はぁぁぁぁぁぁん!!」
という茜の甘い鳴き声と同時に
「ピンポ〜ン」
というチャイムが同時に室内に響き渡った・・・・。
二人共、一気に萎えてしまった・・・・。
ったく、誰だよ・・・。何かのコントじゃあるまいし、タイミング良すぎ・・・。
「はい、は〜〜い。」
俺の腕からすり抜け、乱れた服と髪を手早く直しながら茜が玄関へと向かう。
時計を見ると8時過ぎ。一般的には、食後の団欒のひと時の時間で、大人の情事を行っている時間ではない。訪問者が来ても不思議ではなかった。
俺は、一度軽く溜息をついた後、テーブルの本を手に取った。その時、
「今更、なんのつもりなの!!!」
玄関先から茜の怒鳴り声が聞こえてきた。初めて聞く、彼女の荒々しい声にただならぬ物を感じた俺は、立ち上がり、玄関へと向かった。
「何!?わざわざ探し出して、人の不幸を確認しにでも来たの!!まだ、笑い足りないの!?」
茜の体が怒りで小刻みに震えている。
玄関先で、茜の怒りを一身に受けているのは見知らぬ女性だった。軽くウェーブが掛かったロングヘアの彼女は体で玄関の扉を支えた状態で、今にも泣きそうな顔でこちらを見つめていた。
その彼女が軽く首を振る。
「笑うだなんて・・・。私、一度だってそんな事・・・。」
「今更いい子ぶらないでよ!!何も知らない私を騙していたのは誰よ!!」
「・・茜ちゃん・・」
「馴れ馴れしく私の名前を呼ばないで!!!」
茜がキッチンに置いてあった料理の雑誌を投げつける。幸い、それは当たる事無く、佇む彼女の足元に落下した。
玄関先に重苦しい空気が流れる。
俺は、二人がどういう関係で何を言い争って(一方的に茜が怒鳴っているだけだが・・・)いるのか分からないので、見ている以外どうしようもなかった。それに、茜の背中が俺がこの中に入ってくるのを拒んでいた。
玄関先の女性は、何か言いたげな目で茜を見つめているが、茜は俺に背を向けているのでどのような表情をしているかはうかがい知れない。出ているオーラから、相当な怒り顔であろうという事は想像できる。
「・・・私、茜ちゃんと、きちんと話しがしたいの・・・。」
「なにを今更!」
やっとの思いで告げられた言葉を、茜が一刀両断する。
たぶん、今の状態の茜に何を言っても無駄のような気がするが・・・。
「お願いだから、私の話しを・・・」
「聞きたくない!!もう帰ってよ!!二度と来ないで!!!」
女性の言葉を遮って茜が強く拒絶する。拒絶された女性が俯いてしまう。でも、帰る気はなさそうだ。
そういえば、茜が「探し出して・・・」とか言ってたな。という事は、今日は、やっと探し当てた茜と話しが出来るまで彼女は帰る気はないんだな。
話す気が無い茜と、話すまで帰る気が無い彼女・・・。困ったな・・・。
どう解決したものか。
とりあえず茜を部屋の奥へ引っ込めるか・・・。
「茜・・・。」
彼女の左腕を取る。俺の呼びかけに振り向いた顔は、やっぱり物凄い怒り顔だった。
これでは美人が台無しだ。
「とりあえず中へ・・・」
「私、高志さんとは別れたから!」
俺の言葉を遮って、彼女が茜に告げる。
その言葉が火に油を注いだ。茜が怒り顔のまま勢いよく彼女の方に振り向き怒鳴りだす。
「なに!?だから、貴方にお返ししますとでも言いたいわけ!?友人の為に身を引いた可愛い女にでもなるつもり!?今度は私は、悪者ってわけ!?」
「・・・ちが・・う・・・・。」
茜の今にも襲い掛かりそうな勢いと、激しくぶつけられる言葉に、女性はすっかり身が縮こまってしまい、首を横に振るのが精一杯といった感じだった。
「もう、騙されるもんですか!あんたの笑顔と言葉に、散々騙されたんですからね!!さぞかし、いい笑いのネタだったんでしょうね!!」
「・・茜ちゃん・・・・。」
「さっさと、帰れよ!!この悪魔が!!!」
「茜!!!」
俺は、握ったままの彼女の左腕を引っ張り、彼女以上の大声を出して茜を諌める。茜が正しいとしてもあまりにも一方的過ぎたし、最後の言葉はいただけない。あまりにも彼女らしからねセリフだった。
訪問者の女性は、顔が青ざめ、足が小刻みに震えていた。最後のセリフは相当のショックだったのだろう。しかし、これだけ罵声を浴びせられても帰ろうとしない彼女は、相応の覚悟を決めてここまで来たようだ。
「茜・・・。」
今度は、優しく呼びかける。それに答えて、茜がゆっくりと振り返る。眉尻を下げ、口をへの字口に曲げ、泣き出しそうな顔を茜はしていた。そんな彼女の額に俺は自分の額を軽く付ける。
「茜・・・。ちょっと落ち着こう。茜の好きなロイヤルミルクティーを入れてあげるから。それでも飲んで、ゆっくりしよう・・。」
「・・・・シナモンも入れてね・・・。」
「うん、わかった。」
茜の額から顔を上げると、彼女は涙を溜めた目で俺を見上げていた。
「部屋で待ってて。」
「うん・・・。」
茜は、俺から離れるとフラフラとした足取りで部屋の奥へと歩いていった。こんな儚げな雰囲気の彼女は初めてだ。
茜が部屋の奥に引っ込んだのを確認した俺は、訪問者の女性に視線を移す。
目が合った彼女は、俺に頭を下げた。
「ごめんなさい。迷惑をかけてしまって・・・。」
「別に気にしないで下さい。・・・僕は、茜と貴方の関係は知らないし、ましてや、二人の間に何があったかなんて全く知らないので、こんな事をいえた義理ではないのかもしれないのですが、今日の貴方の行動は軽率すぎたと思いますよ。」
「・・・はい。」
「当人同士が会えば衝突するので、もし、まだ、茜と話しがしたければ、間に人を立てるなり、もっとお互いが冷静に話し合えるようになるまで時間を置くなりした方が懸命だと思いますよ。」
「そうですね。おっしゃるとおりです。」
職業病と言う奴だろうか、思わず説教してしまった。
しかし、この女性は、実年齢は分からないにしても年下であろうくらい分かる俺からの説教をしおらしくうな垂れて聞いている。素直な人だな。
しかし、こういうタイプは、思いつめると突飛な行動にでるので、始末が悪い。今までの光景がいい例だ。
「遅くならないうちに、今日はもう帰りなさい。此処からの帰りに貴方に何かあったら茜が傷つきますから。」
「そうですね・・。今日は、本当にすみませんでした。・・失礼します。」
女性は俺に軽く頭を下げ、帰っていった。
俺はすぐに、茜の為にロイヤルミルクティーを淹れだした。
ミルクパンにシナモン片と牛乳を入れる。ミルクパンに入れた牛乳を焦がさないように、且つ、沸騰させないよう注意深く温めだす。
そして、それを見ながら、今迄、目の前で繰り広げられていた光景について考える。
話を聞いている範囲では、あの二人は元友人のようだ。揉め事は、色恋沙汰だろうな・・・。“高志さんとは別れた”とか言ってたしな。恋愛事か・・・。本気で誰かを愛した事のない俺には未知の世界だな。
三角関係とか?それとも、男が二股かけてたとか・・。うん?それも三角関係か?
・・・・わからん・・・・。
そんな事をツラツラと考えていたら、牛乳がいい感じで温まった。アッサムCTCを使ってミルクティーを淹れる。シナモンの香りが湯気と共に立ち上り、香ばしい香りが鼻をくすぐる。
茜用のカップを手に持って部屋に入ると、茜がベットとテーブルの間で膝を抱え丸くなっていた。
この格好は、何かから自分の身を守っているようにも見えるし、逆にすべてを拒絶しているようにも見える。
「はい。どうぞ。」
テーブルにカップを置く。
茜がゆっくりと自分の膝の上から顔を上げる。
「・・ありがとう・・・。」
茜は、礼を言いながら両手をカップに手を持っていくが、添えただけで口元に持っていこうとはしなかった。思いつめたような瞳でカップを凝視している。
そんな彼女を見つめながら、俺はベットに腰掛ける。
「・・・・ねぇ。聞かないの?」
「茜が聞いて欲しいなら聞くけど、そうじゃなければ別にいいよ。大した事じゃないし。」
「あんた、いい男ね。」
「でしょう?」
俺の返答に茜があきれた顔で見上げてきた。
「あっきれたぁ・・・。」
茜がクスクスと笑い出す。やっと、いつもの茜に戻ったようだ。
さっきの出来事で茜が一年前の状態に戻ったらどうしようかと思ったが、いらない心配だったようだ。
笑いが治まった茜が真剣な顔つきで俺を見る。
「聞いてくれる?ううん、綾人には聞いて欲しいな・・・。」
彼女は、ロイヤルミルクティーを飲みながら、ゆっくりと少しずつ話し出す。
今日、やって来た女性は、「布施春奈(ふせ はるな)」といい、茜とは高校2年からの友人で別の大学に通いだした後も、連絡を取り合いよく会っていた事。
大学一年の時、同じサークルの「水瀬高志(みなせ たかし)」という一つ年上の男性と付き合い出した事。
時々、三人で会っていた事。
短気な所もあったが、優しく、楽しい彼とは24歳まで付き合って、お互い結婚も考えていた事。
でも、「もう、隠しておけない」と言ってきた春奈によって、高志と春奈が大学4年の夏から茜の目を盗み会っていた事が分かった事。
信頼していた二人の裏切りにショックを受けた茜は、人間不信に陥り、誰も信じられなくなり家族・友人から離れ、職も住む場所も転々としていた事。
そんなツライ出来事を、茜は、時折顔をしかめ、言葉に詰まりながらも話し続けた。
俺は、それを黙って聞いていた。
「もう、私に黙っておけないと言って、誤り続ける彼女に対して、私は、黒い感情しか抱けなかった。許せるはずがないでしょう?ちゃんと三人で話し合おうっていう彼女に、私は、『売女!裏切り者!!』って叫んだの。彼女、ボロボロに泣き崩れたわ・・・。」
「・・・・・。」
「綾人と会うまでは、その時の光景を思い出してね・・・。なんとも惨めな気分にさせられてたわ・・・。」
茜は、空になったカップを手で弄びながら、黙り込んでしまった。
泣きたいのを我慢している様に見える。
その姿は、丸くなっていた先程よりも小さく見えた。
恋愛というものは、人にこの上ない幸せも届けてくれるが、逆にこれ以上ない不幸も届ける。でも、人を好きになる事はやめられない・・・。
尊くもあり、やっかいな感情だ・・・。
「おいで、茜。忘れさせてあげる。」
この言葉に弾かれたように茜は立ち上がると、俺の首に両腕を廻し抱きつき、堰を切った様に泣き出した。
「あやと〜・・・。」
俺の名を呼びながら泣きじゃくる彼女を、そっとベットに横たえ、滝のように流れ落ちる涙を口付けて受け止める。
彼女の上着を剥ぎ取りながら、口付ける場所を頬から首筋に移す。
泣き声と共に甘い吐息が聞こえ始める。
この日は、茜の気がすむまで抱いた。
激しくも、優しくも、彼女の望むまま、彼女がしたい様にされたい様に抱き続けた。
俺は、この日はじめて、女性と一晩過ごした。
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