■ 花を咲かそう ■
茜の元友人「布施春奈」の突然の訪問から二ヶ月近くたっていた。その間に季節は、秋から冬に変わり、年も変わっていた。俺と茜は相変わらずの関係を続けている。春奈という女性もあれ以来現れない所を見ると、俺が言ったとおりしばらく茜とは距離を置くつもりなのだろうか?
俺としては、二度と関わって欲しくないような気もする。あの夜の様な彼女は、もう見たくなかった。しかし、このままという訳にはいかないだろう。何処かでちゃんと決着をつけないと、いつまでたっても茜も布施さんも立ち止まったまま一歩も前に進めない。それでは駄目だ。
この世に生まれた命は、幸せになる権利がある。
俺以外は・・・。
年末年始を仕事で忙殺され、成人式が済んで一段落したこの日。学校の帰り、久しぶりに茜のマンションに寄ることにした。合鍵を持っているので、彼女に電話しなくてもいい。勝手に上がり込むのだ。
バイクを駐輪場に置き、5階にある茜の部屋へ向かう。冬の日暮れは早い。
5時なのにもう真っ暗だ。エレベーターを降り、外廊下を歩き出した俺の目に、茜の部屋の前に立つ男性二人が写った。
このマンションの住人が立ち話をしているといった雰囲気ではない。
茜に用があり、待っているようだ。布施さんのお使いだろうか?それとも家族?
どっちでもいいけど。
「この部屋に何か御用ですか?」
丁寧にお伺いをたてる俺を、俺より少し背の低い二人が怪訝そうな顔で見上げる。一人は、温和そうな雰囲気のメガネをかけた男性で、もう一人は、気性が激しそうな男性だ。その気性が激しそうな男性の睨みつける目つきが昔を思い出させた。
俺の身長は、日本の社会では常に人を見下す格好になるので、それが癪に障ると中学の時、品行の良くない先輩に因縁をつけられたが、返り討ちにしてやった。
そのときの奴の目つきとそっくりだ。
なんか嫌な予感がする。
「えっと・・・、此処は、『神崎茜』さんの部屋じゃないのかなぁ?」
メガネの男性が困った様な顔つきで俺に尋ねてきた。
「そうですけど?あなた方は?」
「あっ、僕達はね・・・」
「てめぇ!茜のなんなんだよ!!」
俺の問いに、メガネの男性が答えようとした時、あの目つきの悪い男性が俺の革ジャンの胸倉を両手で掴み上げて来た。
やっぱり、ケンカを売られた。俺は、売りやすいのだろうか・・・。
京は、からかい易いというけれど、どっちも嬉しくない・・・。
「高志!やめろよ!!」
メガネの男性が、俺の胸倉を掴みあげ睨み続けている男性を引き剥がそうと、背後から羽交い絞めにして何度も自分の方に引っ張るが、彼は、揺れ動くだけでびくともしない。
びくともしないのは俺の方も一緒で、苦しそうな顔をするでもなく、怯えるでもなく、真っ赤な顔をして睨み続ける男性を(ああ、これが例の彼氏かぁ・・・。)と思いながら眺めていた。民間人の力で俺がどうこうされるはずがないし、そんな睨みぐらいでビビッていたら商売あがったりだ。
「こンのぉ!!何とか言いやがれ!!」
俺の態度が更に彼の癪に障ったらしく、益々顔を赤らめ、胸倉を掴む両手に力が込められる。
「高志!!」
メガネの彼にも力が込められる。
あ〜〜もう・・・。うざったいなぁ・・・・。
俺は、胸倉を掴む彼の両手首を自分の両手で其々ガシッと掴み、じわりじわりと握り締めていった。
「いっ!!!!!」
彼が悲鳴にならない声をあげ、苦痛に顔を顰める。
俺は更に力を入れる。彼の骨がキシキシと悲鳴をあげ始めた。
「この汚い手を離しなさい。」
額から脂汗を流す目の前の男に冷たく言い放つ。男は、2度、勢いよく頷いた。
少し力を弱めてやる。と同時に胸倉を掴んでいた手が微かに震えながらゆっくりと外されていった。
完全に離れた事を確認した俺は、ぱっと手を離し、苦痛に耐える彼を解放する。
「ぐぅ・・・・・・・・。」
彼は、両腕をダランと力なく垂れ下げたまま、うずくまる。
「相手の力量も測れないのに、噛み付くからこうなるんですよ。いい勉強になりましたね。」
うずくまり痛みに耐える彼に冷たく言い放つ。いま、彼の手首は真っ赤に俺の手形がついているだろう。明日あたりから腫れ上げるだろうが、俺が相手だったから、それくらいですんだのだ。もし相手が京だったら、今頃、この彼は、ボロ雑巾と化していたはずだ。京は「手加減」という文字を知らない。
あの男は、売られたケンカは高値で買う。
「高志!!」
メガネの彼が、うずくまり苦痛に耐える連れを心配して、しゃがみこもうとしたが、
「あんたはこっち。」
と言って、俺が彼の左腕を掴みあげた。
「えっ?えっ?」
俺の怒りの矛先が自分に向いたのかと思ったらしい、彼は、顔が強張ってしまった。俺は、茜の部屋の鍵を開け、扉を開け放つと、メガネの彼を押し込んだ。
「なに?なに?」
完全にパニックになっている。
そんな彼を無視して
「感情にまかせて行動する人には、茜は会わせられません。頭を冷やして、出直してきなさい。」
と、茜の心の傷「水瀬高志」に言い放ち、玄関の中に入ると荒々しくドアを閉めた。狭い玄関には、状況が把握できず、おろおろしているメガネの彼が突っ立っていた。男二人が密着した状態になっている。気持ち悪い・・・。
「はい!早く、靴をぬいであがる!」
「は・は・は・はい!!」
俺の命令に素直に従い、彼はガタガタと体の色んな所をぶつけながら靴を脱ぎ、これまた、色んなところにぶつかりながら部屋の奥に歩いていく。
年下の俺が言うのもなんだが、随分可愛らしい人だ・・・。あっ、男相手にこの言葉は失礼だな・・・。
「すみません。緑茶でいいですか?茜がコーヒーも紅茶も切らしたままらしくて・・・」
俺は、マグカップになみなみと注いだ緑茶をメガネの彼の前に置く。
「あっ!気にしないで下さい!!突然、お邪魔した僕が悪いんですから!!頂きます!!!」
外での一件のせいか、彼は俺に対してガチガチに緊張している。その証拠にテーブルの向こう側で正座している。
俺は、正座ができないので、ちょっと感心してしまう。
マグカップを両手で力強く挟み、彼は口元に持っていく。
一口お茶を啜った彼の顔から緊張がとれ、笑顔がともる。
「おいしい!これ、すっごくおしいですよ!高いお茶なんですか?」
「いいえ。茜が買うんだから、500円くらいのだと思いますよ。」
「うそぉ〜〜。うちで飲むのよりおいしいよ?」
「淹れ方でしょう。ちゃんと淹れてあげれば普通のお茶だって、ほのかな甘みが出ておいしいですよ。逆にちゃんと淹れなければ、高いお茶だって不味くなる。淹れ方ですよ。」
「ほ〜〜〜〜〜。」
俺の説明を妙に感心しながら、彼は顔中で「おいしい」を表現して緑茶を啜りだした。俺は、お茶好きの祖母の影響で、緑茶も紅茶も淹れられる。抹茶も先生をしている彼女に一から教わった。(正座はできないが・・・。)中国茶だって淹れられる。祖母に覚えるように強要されたわけではなく、幼くして父親を亡くし、母親と離れて暮らす事になった俺と妹は寂しさからずっと彼女の側を離れなかった。その結果である。
「ところで、おたくは誰?」
素朴な、しかし、もっとも重要な質問を彼にする。彼は、慌てて口元からマグカップを外し、テーブルのうえに置くと
「ああ・・すみません。失念してました・・・。」
と頭を下げた。
いや、そんな事はいいから・・・。
「僕は、布施瑞貴(ふせ みずき)と言います。」
「布施?」
「はい。先日、こちらにお邪魔した春奈の一つ上の兄で、高志の友人です。」
・ ・・・・春奈さんが選んだ立会い役なんだろうか・・・。それぞれの立場も、三人の事もよく知ってるってわけだよなぁ。よくこんな適任者がいたな・・。っていうか、最初からこの人が間に立ってれば良かったんじゃないのか?
まぁいいけど・・・。
「僕は、如月綾人といいます。茜の・・・・・」
一体何になるんだ?彼氏ではない事は確かだ。
えっと・・・
「情夫・・・?」
瑞貴さんのメガネの奥の瞳が最大限に見開かれる。
「いや、この言葉には愛情関係が含まれるから違う・・・。えっと、なんだ?
セックスフレンド?・・・これは何だか軽いな・・・あ〜〜〜もう!日本語ってわからねぇ・・・。」
「えっ?あの・・・如月君?」
茜と俺との関係を適切に現わしてくれる日本語の単語を、必死に頭を抱えて考える俺の顔を、瑞貴さんが不思議そうな目で見つめてくる。何が、そんなに不思議なんだ?俺の目を見れば純粋な日本人じゃないことぐらい・・・・。
そうだ、俺、学校の帰りだからカラコンいれてるんだった・・・。
「ちょっと失礼。」
そう彼に断って、側のデイバックの外に付いているポケットからコンタクトのケースを取り出し、テーブルの上に置く。下を向いて、右目のコンタクトを外し、ケースへ。同じ事を左目でも行う。
「ああ・・・・・。」
顔を上げた俺を見て、瑞貴さんが納得したような声をあげた。
「日本語を日常語として使うようになって10年も経っていないので、適切な言葉が浮んでこないんですよね・・・。」
「別に一言で言い表さなくても・・・。」
「ああ。じゃあ、僕と茜は男女の愛情が絡まない体を求め合うだけの関係です。僕達は、お互いの傷を舐めあう、お互いがお互いの逃げ場だという、刹那的な関係です。」
一気に、まくしたてる様に説明した。
あまりいい言葉がでてきてはいないのに、何故か瑞貴さんの顔がほころんでいる。
「ありがとう・・。」
彼は、俺に深々と頭を下げてきた。
俺は、礼を言われるような事はしていなけど・・・。
瑞貴さんは、俺に温かな笑みを向ける。この人とは初対面のはずなのに、どこかで会った事があるような感じがする。どうしてだろう・・・。
「高志への態度からすると、君は、僕の妹と高志と茜さんとの間に何が起こったか知ってるんだよね?」
「ええ・・・。」
「あの件以降の茜さんは見ていられないほど酷かったよ・・・。家族も友人も信じられなくなってね。僕たちの前から消えてしまったんだよ。僕達は、必死で探したよ。あんな状態の彼女を一人にはしておけなかった・・・。」
瑞貴さんは、その頃の事を思い出したのだろう、顔が苦しそうになる。
俺は、茜の時のように黙って聞いていた。
「探し出した時には、もうそこには居ない。今回も春奈の事で直ぐに転居してしまったと思っていたんだ。でも、そのまま住み続けているのは、きっと君のお陰だね。少しは、前を見るようになったのかもしれない。それに、誰も寄せ付けなかった彼女が、他人と一緒に居るという事は、すごい前進だと思う。それが、人には褒めてもらえない関係だとしても、僕はうれしいよ。」
彼の温和な微笑みと共に紡ぎだされる言葉は、温かみに溢れていた。しかも、この人の言葉には仲介人というよりは、むしろ・・・・。
「茜の事が好きなんですか?」
心の中でふいに芽吹いた疑問を口にだしてみる。すると、彼は、みるみるうちに顔を赤らめ
「ち・ち・ち・ちがいます!!ぼ・ぼ・ぼ・僕は、あ・あの三人をどうにかしたいと!」
両手をブンブンと左右に大きく振りながら、シドロモドロの言葉で思いっきり否定してきた。しかし、その行動がすでに肯定している。きっと、その事には気が付かないんだろうな・・・。
なんて、正直な人なんだろう。
俺とは、真反対の位置に属する彼に羨ましさと共に好感を持ってしまう。
「そ・それに、高志が茜さんの事、今も愛してるし・・・。」
「はぁ!?」
今更、どのツラさげてそんな事が言えるんだ?あんなに茜を傷つけておいて・・・虫が良すぎる。でも、まぁ、さっきの俺に対する彼の眼差しの意味が分かったからいいけどさ・・・。嫉妬ねぇ・・・。
「失ってはじめて自分の気持ちに気付いたんだよ。・・・そういう事もあるんだよ・・・。」
「それが許される場合と許されない場合とあると思います。今回は、許されないでしょう・・・。」
「ですね・・・・。」
まるで、自分が悪かったかのように瑞貴さんは落ち込んで、うな垂れてしまった。あなた、人が良すぎますよ・・・。
茜には、こういう人がいいのだろう。春奈さんの兄というのがネックといえば、ネックだが、なんとかしてもらおう。目の前の男に・・・。
「それは、当人達の問題ですから、本人達にどうにかしてもらう事にして・・・。瑞貴さん、協力していただけませんか?」
「なに?なに?僕でよければ、協力するよ!」
俺の願いに、暗くうな垂れていた彼は、一瞬にして、目を光らせ、興味津々といった顔を向けてきた。表情がよくかわる人だ。見ていてあきない。
「これから、定期的に茜に会いに来てください。」
「でも、彼女は・・・。」
「大丈夫ですよ。僕の助言通りにやればうまくいきますよ。」
瑞貴さんに自信を持ってもらうために、微笑みかける。春麗曰く、俺の「魅惑の営業スマイル」。
「君にそう言われると、うまく行く気がするよ。で、どうすればいいの?」
「あのですね・・・。」
俺は、瑞貴さんに指示を与える。彼は、真剣に俺の言葉一つ一つに頷きながら聞いている。
「いいですか?絶対、貴方一人で来て下さい。絶対ですよ!!」
「はい!」
俺は、念をおして約束させる。彼一人で実施する事に意味がある。他の人間と来たり、ましてや当事者の例の二人なんかと来られたら、茜の心は益々頑なになってしまう。それに、これには、瑞貴さんに茜に対する独占欲を植え付ける為にも行うのだから・・・。
その時、俺の携帯が鳴った。ジーンズの後ろのポケットから取り出して、液晶画面を覗く。「公衆電話」と表示されているので、茜だ。彼女は、携帯電話を持っていない。
通話ボタンを押して、携帯を耳に持っていく。
[あんた今、何処?]
やっぱり、茜だ。彼女は、何の前フリもなく話しだす。
「茜の部屋。」
[バイクでしょう?迎えに来てよ。]
「予備のメット持って来てないよ。」
[あんたのを私に貸してくれればいいじゃない。]
「俺は、ノーヘルか?」
[うん。]
さも当然といった感じで茜が返答する。こいつ、俺の職業知ってていってるんだろうなぁ・・。
電話の向こうの茜に引きつた笑顔を向けながら
「茜さん。俺の役職は?」
と聞いてみる。
[特機の隊長さんvv]
茜が悪戯っぽくウィンクしているのが、目に見えた・・・。確信犯だ・・・。
俺は、白旗をあげる。
「わかったよ。今から行くよ。」
[20分以内でね!!]
こいつ・・・・。
茜の強気の発言に顔を引き攣らせている時、目の前から熱い視線を感じ、そちらに視線を移す。瑞貴さんが替わって貰いたそうに見つめていた。悪いんだが、この時、彼に犬の耳をむしょうに付けたくなった。
「努力はするけど・・・。なぁ、茜。俺の目の前に布施瑞貴さんが居るんだけど、どうする?」
茜が黙ってしまう。きっと、電話の向こうでは、怒っているような苦しんでいるようなそんな複雑な顔つきになっているだろう。
[帰ってもらって、今すぐ、私を迎えにこい!!]
鼓膜が破れそうなくらいの大声で叫んだ後、茜は電話を切ってしまった。あれだけの大声だったので、目の前の彼にも聞こえていたようだ。黒い影を背負って、沈み込んでいる。
茜の反応は、分かりきった事じゃないか・・・。本当に、この人は・・・。
「そんなに直ぐは無理ですよ。時間をかけて頑張りましょう。」
本日、二度目の営業スマイルを彼に向ける。
「ですね!」
はやい。落ち込むのも早いけど、立ち直りも早い・・・。
瑞貴さんは、さっきの落ち込みが嘘のように、明るい笑顔を俺にむけている。彼の笑顔は、柔らかな春の日差しを集めた様な感じがする。
ああ・・・。父の笑顔に似ていたのだ・・・。全ての光りを集めた様な温かな父の笑顔に・・・。それで、どこかであった様な気がしたのか・・・。
心の奥が軋みだす・・・。やばい・・・。
「じゃあ、今日はこれで・・・。めげずに頑張ってください。」
俺は、心の奥で吹き出しそうになっている黒い感情を無理矢理押し込めて、瑞貴さんに対して何とか微笑んだ。
この日から、俺は、預かった時には枯れかけていた「茜」という花を、回復した今、綺麗に咲かせてくれそうな人に渡す準備をはじめた。
俺のプロデュースによる布施瑞貴氏による「茜」懐柔作戦が始まる。
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